第14話 初めての公衆浴場にて 後編


 葉月町にあるとある公衆浴場を貸し切って来ているジュリとその家族、リンク一家。
 ジュリが素っ裸で女風呂に入って行って女たちの身体を洗ったり、シュウが壁を破壊して女風呂に現れたりと、悲鳴が鳴り止まないでいた。

 そして現在、素っ裸のジュリに姫抱っこされているリーナ。
 首まで真っ赤に染めて絶叫した。

「あっ…、あかんてぇぇえええぇぇええぇぇええぇぇぇええぇぇええぇぇええぇぇええぇぇえぇぇえぇぇえっ!!」

 にこにこと笑っているジュリ。
 膝から下の脚をじたばたとさせているリーナを洗い場へと運んで行く。

「ヤダなあ、遠慮なんかいらないよリーナちゃん」

 あはは、と笑うジュリにリーナはますます狼狽する。

「いっ、いやいやいやいや! 遠慮やなくてなジュリちゃん!?」

「僕一生懸命リーナちゃんの身体洗って普段のお礼するね♪」

 と、洗い場の風呂椅子に座らせられたリーナ。
 ジュリがスポンジにボディーソープを含ませている間に、近くに置いてあったタオルを取って身体を隠し、後ずさりしながら逃げていく。

「いやいやいや! ジュリちゃん、ほんまにええから! ええからな!?」

「だから早く洗うよぉ♪」

「いや、『ええ』は『ええ』でも、そういう意味の『ええ』やなくてな!?」

「ねえ、早くリーナちゃん♪」

 と再びジュリが寄って来て、パニック寸前のリーナ。

「あぁあぁあぁ、もうあかんてぇえええぇぇええぇぇええぇぇええぇぇええぇぇぇええぇぇぇぇえっ!!」

 と浴室の中を猛ダッシュで逃げ回り始めた。
 ジュリが首をかしげてリーナを目で追う。

「リーナちゃん、突然どうしたの?」

「む? どうしたのだジュリ?」

 と、浴槽にいるキラが訊いた。

「リーナちゃんが突然走り出したのです、母上。何故ですか?」

「何?」と、眉を寄せたキラ。「おまえは乙女心がまるで分かっていないな、ジュリ……」

 と呆れたように深く溜め息を吐いた。
 ジュリが困惑して訊く。

「お、乙女心っ…? お、教えてください、母上っ…! リーナちゃんは何を思っているのですかっ……!?」

「ジュリ、おまえはあんなにも必死に走り回っているリーナを見ても分からないと言うのか! おまえはリーナの婚約者だというのに!」

「は、はい、ごめんなさい母上っ!」と、深く頭を下げたジュリ。「僕、リーナちゃんの婚約者だというのに、リーナちゃんの乙女心というものがまるで分かりません! この世に並ぶ者がいないほど賢い母上、どうか僕に教えてくださいっ!!」

「そこまで言うならば、仕方ない。この世に並ぶ者がいないほど賢い母上が、愚かなおまえに教えてやるぞ」と、誇らしげに胸を張ったキラ。「良いか、ジュリ? リーナは今……!」

「リーナちゃんは今……!?」

「おまえを誘っているのだ!」

「誘っている?」

「鬼ごっこに♪」

「――ハァ!!?」

 と、驚愕したのは浴室を逃げ回っているリーナである。
 思わず急ブレーキを駆け、キラに顔を向ける。

「ちょ、何言ってんねん、この天然バカ黒猫っ!! うち、どう見ても逃げてるやないかいっ!!」

 あはは、と笑ったキラ。
 リーナを指差して続ける。

「ほらな、ジュリ♪ リーナは鬼役のおまえから逃げてたぞーっ♪」

「違――」

「わあ、凄いです母上!」と、声を高くしてリーナの言葉を遮ったジュリ。「ジュリも母上のように賢くなるよう、いっぱいいっぱい努力します!」

 そう大声で誓ったあと、リーナに笑顔を向け、

「それじゃあ、リーナちゃん! いっくよーっ♪」

 とリーナを追いかけ始めた。
 ぎょっとして再び逃げ始めるリーナ。

「あわわわわっ! あかんっ! ジュリちゃん、そんなあかんてえぇっ!」

 タオルが肌蹴ないよう、両腕で押さえながら逃げる。
 転がっている桶をぴょんぴょんと跳ねながら避け、平均台に上った気分で浴槽の淵をぐるりと一周し、洗い場の前をボディーソープの泡で転びそうになりながら通過し、脱衣所の前に来たときにジュリに捕まりそうになって、浴室から通じている露天風呂へと瞬間移動。

 危うく湯の中に顔面から落ちそうになり、両腕をばたつかせて体勢を立て直したリーナ。
 振り返り、露天風呂と浴室を遮っているガラスの扉の方に顔を向けた。

 その向こう見える浴室の中、きょとんとした顔で辺りを見回しているジュリがいる。
 その視界から逃れようと、リーナは静かに浴槽に入った。
 タオルは湯に入れてはいけないので、四つ折りにして浴槽の脇に置き、膝を抱えて小さくなる。

 頬が火照っているのは、もちろん熱めに作られている湯のせいだけではない。

(ああ、びっくりした……)

 胸にくっ付いている太股に、波打つ鼓動が響いてくる。

(うちもう10年以上もジュリちゃんに恋しとって、早くキスから先に進みたいって日々思っとったのに、この程度で何してんねん…! 身体くらい洗わせえや、このヘッピリ腰……!)

 なんて自分に喝を入れたリーナ。
 数秒後、やっぱり恥かしくなって、湯の中にぶくぶくと泡を吹きながら沈んでいく。

(あっかんわ、もぉぉぉう…! キスから先って、いざとなるとめっちゃ勇気いるもんやったんかっ……!)

 なんて額まで沈んで行ったとき、白猫の耳が扉の開閉する音をキャッチし、湯の中ではっとして目を見開いたリーナ。
 慌てて顔を上げた途端、真横にドボンという音と共に現れた影。

 驚いて小さく飛び跳ね、

(――き、ききき、来たあぁぁぁっ!!)

 慌てて背を向けて逃げようとしたリーナだったが、

「リーナちゃん、捕まえたぁーっ!」

 後ろからその影――ジュリに、ぎゅっと抱きすくめられた。
 無邪気に笑っているジュリの一方、大衝撃を受けるリーナ。

「ちょ、ジュリちゃ……!?」

 ジュリの脚の間にいることに気付き、身体が硬直した。
 背がジュリの胸に密着している。

 抱き締めたり、抱き締められたり、抱き合ったりなんてものは普段のじゃれ合いの中で普通に行われている。
 だが、一糸纏わぬ姿でそんなことをするのは5年ぶりである。

(あ、あかん…! あかんやろ、これは…! い、いや、ジュリちゃんにこんなことされるのが嫌なんやなくてな……!?)

 またもやパニック寸前のリーナ。
 爆発しそうな心臓の鼓動は、ジュリに伝わっていく。

「リーナちゃん?」

 と、ジュリがリーナの肩に頬をつけ、リーナの顔を覗き込む。

「あ…、あの、ジュリちゃ……!」

「どうしてドキドキしてるの? リーナちゃん」

「えっ…!? う、うちは別に――」

「おっきなカブトムシでもいたんだ?」

「なんでやねん……」

 と苦笑したリーナに、ジュリがもう一度訊く。

「ねえ、リーナちゃん。どうしてドキドキしてるの?」

「し、してへんよ、別にっ……!?」

「え?」と、ぱちぱちと瞬きをしたジュリ。「してないの?」

 と何食わぬ顔をして、リーナの左胸に触れた。

「――!!?」

 リーナ、再び大衝撃。

(ち、ちちちちちちちちちちちちちち乳っ…! うち、乳触られて……!?)

 一方のジュリはリーナの左胸に触れたまま首をかしげている。

「あれぇ? やっぱりドキドキしてるよ、リーナちゃん? しかもさっきより」

「…ちょっ…ジュっ…待っ……!」

「ねえ、してるよねリーナちゃん?」

「…てっ…手ぇっ……!」

「ところで、リーナちゃんのおっぱいって」

 と、ガラスのドアの扉に顔を向けたジュリ。
 浴室の中にいるキラたちを見つめたあと、再びリーナの顔を覗き込んで破顔一笑した。

「鉄メダルだね♪」

「…………」

「母上が金メダルで、サラ姉上が銀メダル。他の姉上たちが銅メダルで、カレンさんがアルミメダル。ミーナ姉さまとリーナちゃんは、銅メダルとアルミメダルの間の鉄メダルだね♪」

「……びっ……」

「び?」

「びっ、微妙ぉぉぉおおぉぉおおおぉぉぉおおぉぉぉおぉぉおおおぉぉぉぉぉおおぉぉおおぉぉぉぉおっ!!」

 と絶叫し、ジュリの腕を振り払ったリーナ。
 思わず右手を振り上げ、ジュリの頬を引っ叩いてしまった。

 ぶわっちぃぃぃぃぃぃんっ!!

 と辺りに響いた打撃音の後、訪れた静寂。

「――えっ……?」

 呆然とするジュリ。
 胸を両腕で隠し、顔を真っ赤にして眉を吊り上げているリーナを見つめて困惑する。

「…リ…リーナちゃ……?」

「いっ、いきなりそんなことしたらあかんやろ!?」

 黒猫の耳に響くリーナの甲高い怒声に、ひりひりと痛み出した頬。
 ジュリの大きな黄金の瞳に涙が浮かんでいく。

「…ふっ…ふみっ…、ふみっ……!」

 としゃくり上げ始めたジュリに、びくっと肩を振るわせたリーナ。

「あっ、あわわわわわっ! ごめんっ、ごめんなジュリちゃん!? 悪いのはうちやったわ、うん!!」

 狼狽して前言撤回するものの、もう遅かった。

「ふみゃああぁぁあああぁぁあああぁぁああぁぁあああぁぁあああぁあああぁぁああぁぁあああぁぁああぁああんっ!!」

 と浴室の中まで響き渡って行ったジュリの大泣き。

 湯が宙に舞い、摘んであった桶は跡形もなく破壊され。
 葉を生い茂らせていた木々は素っ裸になり、ガラスのドアは粉砕。

 露天風呂の男湯と女湯を遮っていた木の壁が吹っ飛び、男湯にいたリュウとリンクが姿を現す。

「わっ、わあぁぁあああぁぁああぁぁああぁぁあっ!!」

 と飛んできたリーナを、リンクが慌ててキャッチした。

「リ、リーナっ! だ、大丈夫かいな!?」

「う、うん、ありがとう、おとん――って…!? ぎゃあぁぁああぁぁあああぁぁぁぁあっ!! 紙メダル見せんなやああぁぁあああぁぁあああぁぁあああぁぁああぁぁあっ!!」

「うっわあぁぁああぁぁあ、ご、ごめんっ!!」

 とリンクが慌ててリーナから手を離し、股間を押さえる。
 よって、再び飛ばされたリーナは、後方にいたリュウが脇に抱えてキャッチした。

「あ、ありがとう、リュウ兄ちゃ――って、ひぃぃぃいぃぃいいぃぃいいぃぃいいぃぃいっ!! き、ききき、金メダル見せんといてええぇええええぇえええぇぇええぇぇえぇえええぇぇえっ!! え・げ・つ・なあぁあああぁぁあああぁぁあああぁぁあああぁああぁあっ!!」

 なんて蒼白して絶叫するリーナの言葉を聞いているのか聞いていないのか、リュウがリーナを脇に抱えたまま慌てたようにジュリのところへと向かっていく。

「お、おい、ジュリ!? どうした!? もう大丈夫だ、父上が来たぞ!?」

 と声をかけたら、

「ふみゃああぁぁああああぁああんっ!! 父上ぇえええぇぇえええぇぇええぇぇええぇぇえっ!!」

 ジュリが振り返り。

「さあ、父上の胸に――」

 飛び込んで来い!

 と、言おうとして言葉を切ったリュウ。
 ジュリの股間が目に入り、頭上に惑星が落ちてきたような大衝撃を食らう。

「――…っ……!!?」

 硬直したリュウの顔を見上げ、リーナは声をあげる。

「ちょお、リュウ兄ちゃん!? 早くジュリちゃん泣き止ませてや!」

「…………」

「って、え? リュ、リュウ兄ちゃん? どうしたんっ? リュウ兄ちゃんっ?」

「…は…生えてねえ……」

「え!?」

「は、生えてねえんだ……!」

「何!?」

「お…、俺の可愛いジュリは、股間にアレなんか生えてねえ…ん……だ…………!」

「えっ、ちょ、リュウ兄――」

 バッターーーン!

 と後方に倒れたリュウ、失神。

「――ちっ、父上ぇぇえええぇぇええぇぇえええぇぇえええぇぇええぇぇえぇぇええぇぇえっ!?」
 
 
 
 
 突然倒れたリュウに驚き、ジュリは泣き止んだ。
 が、急遽男風呂の脱衣所に集まった一同は休まる間もなく狼狽していた。

 気を失っているリュウを囲む。

「お、おい、ちゃんと治癒魔法を掛けたのかシュウ!? リュウはまだ目を覚まさないぞ!」

「か、掛けたよ、母さん…! 目を覚まさないのは精神的ショックだよ、たぶん……!」

「せ、精神的ショック!? リュ、リュウおまえ、そこまでジュリの股間にアレが生えていることが嫌なのか!?」

「ふぅ…」

 と、呆れたように溜め息を吐いたマナが、荷物の中から黄色い液体の入った小瓶を取り出した。
 蓋を開け、リュウの口元に持っていきながら言う。

「こんなこともあろうかと、薬作っておいた…」

「おおっ」と、キラが声を高くする。「マナ、それはどんな魔法薬なのだっ?」

「過去30分以内にあった出来事を忘れちゃう薬…」

 それがリュウの口の中に入れられていくのを見て、安堵する一同。
 もう少しすればリュウは目を覚ますだろう。

「ったく、リュウ兄ちゃんは……」

 とリーナが苦笑したとき、手元に置いてあった誰かの携帯電話が震えた。
 リーナが目を落とすと、それはリュウのもの。

「あれ…、もしかして仕事の依頼やろか。今日はギルド長室に誰もおらんから、リュウ兄ちゃんの電話に繋がるようになっとるし……」

 と、リーナはリュウの携帯電話を手に取った。
 緊急の仕事だったら大変である。

 だがそれは電話ではなく、メールのようだった。

(え、王さまから?)

 書かれている内容を見たリーナ。
 小さく口に出して呟く。

「えーと、なになに…? 『次の舞踏会にもジュリを連れて来い。そこで重大発表がある』……?」

 それは何だか、とても嫌な予感がした。
 
 
 
 
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