第129話 『新・1番バッター、いきます』 後編


 ジュリの自宅屋敷の玄関先。

「……何の用だべ、リーナちゃん?」

 そう鋭く睨むように見つめて訊いてきたハナに、思わず怯んで視線を逸らしたリーナ。
 ハナの後方――玄関のドアの外から、

「え、リーナちゃん?」

 とジュリの声が聞こえて来ると、はっとしてハナに顔を戻した。
 ここで怯んでしまったら目的を果たせないかもしれないと、負けじと睨むようにハナを見つめながら口を開く。

「な…何の用やって? ジュリちゃんに話があんねんっ……! ちょいとお借りすんで」

「ジュリちゃんに話? そんなもの、ないはずだべ」

「ある。今日、ちゃんとジュリちゃんとも約束した」

 とリーナが言うと、ハナが後方へと――ジュリへと振り返った。
 ハナが訊く前に、ジュリが答える。

「うん、そうなんだハナちゃん。僕、今日仕事が終わったら、リーナちゃんと会う約束してたんだ」

 そんなジュリの言葉に、少しの間口を閉ざしていたハナ。
 リーナの真剣な顔を見つめたあと、「分かったべ」と一言ジュリに返し、二階へと続く緩やかな螺旋階段を上って行った。

 ジュリの部屋のドアが閉まる音がすると、安堵の溜め息を吐いたリーナ。
 玄関の中へと入って来たジュリの顔を見つめる。

 その途端に感じた。

 愛しさ。
 切なさ。
 悲しさ。
 寂しさ。
 申し訳なさ。

 色々な思いが入り混じって胸が痛み、声が詰まる。

 一方のジュリは、「えーと……」と困惑した様子で辺りを見回した後、もう一度玄関の外へと出た。

「外で――裏庭でお話する?」

「……う、うんっ……!」

 とリーナは頷くと、裏庭へと向かって歩き出したジュリの後方を付いて行った。
 外はもうすっかり日が暮れているが、ジュリとリーナの猫の目には昼間のように明るく映る。

 華奢な、でも以前より広くなった気がするジュリの背中を見つめながら、リーナは深呼吸をした。

(ちゃんと謝らな、ちゃんと。うちは、めっちゃジュリちゃんを傷つけたんやから……)

 裏庭へと辿り着き、ジュリが足を止めて振り返る。
 その途端、リーナは大きく頭を下げると同時に、大きな声で言った。

「ごめんなさい!」

 だが、その声は己のものだけではなく、見事にはもり、リーナは「えっ?」と驚いて顔を上げた。
 すると、そこには同じ体勢、同じ表情のジュリがいた。

「ジュ、ジュリちゃん、うちにごめんなさいって、何?」

「リ、リーナちゃんこそ、どうして僕に謝るの?」と訊き返したジュリが続ける。「僕がリーナちゃんに謝るのは、その……一昨日、リーナちゃんがミカエルさまともお付き合いしなかったって聞いて……! そ、それで何だか、僕、リーナちゃんに悪いことをし――」

「頭上げてや、ジュリちゃん。お願いやから」

 とリーナが言葉を遮ると、ジュリが戸惑った様子でしぶしぶと頭を上げた。
 それを確認してから、リーナは続ける。

「ちゃうんよ、ジュリちゃん。ジュリちゃんは、何も悪くあらへん。ジュリちゃんのことも、ミカエルさまのことも失ったうちは、自業自得やったん。アッチふらふら、コッチふらふらで……ジュリちゃんとミカエルさまのこと、うちはめっちゃ傷つけたんやから。当然の報いや」

 せやから、とリーナは再びジュリに向かって頭を下げた。

「ごめん、ジュリちゃん。今まで、めっちゃめっちゃ……ごめんなさい……! ごめんなさいっ……!」

 とリーナの声に涙が混じると、ジュリは狼狽してリーナに頭を上げさせた。

「や、止めてよ、リーナちゃん! 違う! 違うよ!?」と、ジュリはポケットからハンカチを取り出すと、それをリーナの瞼に当てながら続けた。「悪いのは、僕が頼りなかったから――僕が、男としてまだまだだったから! リーナちゃんが、僕よりずっと大人のミカエルさまから離れられなかったのは、当然だったんだ! だからお願い、リーナちゃん…! そんな風に思わないで……!」

 とジュリは必死になって説得しようとするが、リーナは首を大きく横に振って言う。

「ジュリちゃんは、めっちゃ頼りになる。めっちゃええ男や。ミカエルさまにやって、負けへん。欠けていたのは、うちの方。うちには、たった一人だけを――ジュリちゃんを信じる強さがなかった」

「止めて、リーナちゃん! 元を正せば、子供だった僕がリーナちゃんを深く傷つけたからだ! 僕を信じられなくなって、当然のことだよ!」

 リーナがまた首を大きく横に振る。

「あのとき、うちだやけやなく、ジュリちゃんやってめっちゃ傷付いてた。それでもジュリちゃんは、うちだけを想っていてくれた。うちは逃げたのに……優しくしてくれたミカエルさまに甘えて、逃げたのに。うちは欠けてる……ほんまに、弱い」

「リーナちゃん、お願いだから――」

 もう止めて。

 と、胸の苦しさに顔を歪めたジュリの言葉を、リーナが「せやけど」と声を大きくして遮った。

「うちは、強くなる。これから、めっちゃめっちゃ強くなってみせる。もうアッチふらふらコッチふらふらなんてせえへん。ジュリちゃんだけを想って生きていく」

「――えっ……?」

「せやから、ジュリちゃん。もう一度……うちを見てくれませんか」

 そう真剣な瞳で見つめてくるリーナから、ジュリは困惑して目を泳がせる。

 だって、まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。
 実は昨日リーナから話したいことがあるとメールをもらったとき、怒りをぶつけられるのだとばかり思っていたし、それ故に謝った。

(僕はリーナちゃんに嫌われただろうとばかり、思っていたのに……!)

 予想だにしなかった展開に、困惑せずにはいられない。
 ふと自宅屋敷の二階の一室――自室から視線を感じて顔を向けると、そこの窓辺にハナの姿があった。
 リーナを睨むように、見下ろしている。

 それを見た途端、ジュリは慌ててリーナに顔を戻した。
 大きく頭を下げる。

「――あ、えとっ……ご…ごめん…なさいっ……! リーナちゃんっ……ぼ、僕はもう――」

「うん」と、ジュリの言葉を遮ったリーナが笑う。「分かっとるよ、ジュリちゃん。今は、ごめんなさいされることくらい。分かっとって言ったんや。せやから、気にせんといて」

 とリーナはジュリに頭を上げさせると、「せやけど」と続けた。

「さっきも言った通り、これからのうちはジュリちゃんだけを想って生きていく。ジュリちゃんのこと、諦めへん。失うと、改めてよう分かるな。うちはめっちゃめっちゃ、ジュリちゃんのことが好きやねん。必要やねん。今度はうちが、ジュリちゃんを追い掛ける番」

「えっ…? で、でも、リーナちゃんっ……!」

 と困惑顔になったジュリにもう一度笑顔を向けたあと、ジュリの自室へと――ハナへと顔を向けたリーナ。

「と、いうわけでハナちゃん、覚悟しておいてやぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!」

 と手を振りながら叫んだ後、その場を瞬間移動で後にした。

 残されたジュリが呆然と立ち尽くしているのを見下ろしながら、ハナから小さく溜め息が漏れる。

(諦めが悪い子だべね、リーナちゃん)

 でも、

(せっかくだから、オラは見せてもらうとするべね。その口で言った通りのことを、リーナちゃんが本当に出来るのか)

 無論、口先だけだったと判断したときは、ハナはジュリをリーナに返すつもりはない。
 いくら優しいジュリがリーナに同情しようと、絶対に手放したりなどしない。
 同じことを繰り返し、ジュリを傷つけるだけだから――ハナにとっての本当の主・リュウを悲しませるだけだから。

 だが、もし出来たそのときは、ジュリを再びリーナに譲ってあげてもいいとハナは思う。
 どんなに傷付けられても、ジュリがとてもとても――この上なく愛した女なのだから。

(でもま、オラの目は厳しいだよ……リーナちゃん?)
 
 
 
 
 リーナが瞬間移動した場所は、自宅マンションではなく、新・1番バッター――ネオンの部屋だった。
 リーナの姿を見るなり、ネオンがベッドから身体を起こす。

「リーナ姉さんっ……!」

「ああ、やっぱり起こしてもうたか。うち、裏庭で結構大きな声で喋ってもうたからな。ごめんごめん」

「ううん、気になって眠れなかっただけだからっ……!」とネオンは言うと、続けた。「え、えーと……やっぱり作戦は失敗しちゃったね? ご、ごめんなさい……」

 とネオンが頭を下げると、リーナは笑いながらベッドの淵に腰を下ろした。
 ネオンの頭を撫でて言う。

「何でネオンが謝んねん。ネオンはめっちゃええ作戦を出してくれたで?」

「そ、そうかな……」

「うん。せやかて、うちな? ジュリちゃんにごめんなさい出来て、今めっちゃスッキリしとる。そして、これからめっちゃ頑張れそうや。絶対、絶対絶対、ハナちゃんのお眼鏡にかなってみせるで! ありがとう、ネオン!」

 とリーナに抱き締められたネオンが、安堵の溜め息を吐いた。

「そっか……良かった。頑張ってね、リーナ姉さん!」

「うん!」

 と笑顔で頷いた後、リーナは壁のカレンダーに顔を向けた。
 次にゆっくりと時間を掛けてジュリに会える日はいつだろうかと、考える。

「うーん……今月の、サラちゃんの誕生日パーティーの日やろな。うちリュウ兄ちゃんの仕事に付いて行くことになったから、あんまり暇ないし」

「ああ、ジュリ兄さんと次に会える日? うん、そうだね。ぼくのお母さんのお誕生日パーティーの日になるだろうね」

「ジュリちゃんにまた振り向いてもらえるよう、うち頑張るけど……次のバッターの作戦とかあったらありがたいなあ」

「そうだね。ぼくが残りのバッターのみんなに何か考えておくよう伝えておくよ!」

「そか? ありがとう、ネオン。ほな、とりあえず今日は……」

 新・1番バッターの作戦は失敗に終わってしまった。
 案の定。

 でも、

「次からのうちは、めっちゃめっちゃ、頑張るでぇぇぇぇぇぇぇぇーーーっ!!」
 
 
 
 
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