第128話 『新・1番バッター、いきます』 中編
もう少しで22時を回ろうか頃の、リーナの自室。
普段ならば自宅屋敷で眠りについているはずのネオンが、リーナの顔を覗き込みながら、心配そうにしきりに声を掛けていた。
「頑張ってね、リーナ姉さん。ちゃんとジュリ兄さんに、ごめんなさいしてきてね?」
「分かっとるって、新・1番バッター――ネオン」と、リーナが笑ってネオンの頭を撫でる。「うち、もう大人やで? ちゃんとごめんなさい出来るわ。心配せんで、子供はもう眠り。瞬間移動で送るから」
「はい……」
とネオンが承諾すると、リーナはネオンを連れてジュリ宅へと――ネオンの部屋へと瞬間移動した。
ネオンをベッドに寝かせ、「おやすみ」を言ってから電気を消す。
そのまま再び自宅へと瞬間移動しようかと思ったが、思い直してネオンの部屋から2階の廊下へと出た。
(そろそろジュリちゃん帰ってくるやろうし、ここにおってもええよな……)
と、緊張した心を落ち着かせるように深呼吸をし、1階に続く緩やかな螺旋階段を下りようとしたとき。
ちょうど帰宅したらしいサラが階段を上って来て足を止める。
「あ、サラちゃん。お疲れさま」
とリーナが笑いかけると、はっとしたように2階の廊下に立っているリーナを見上げたサラ。
リーナへと小走りで駆け寄ると、愛用の武器――長戟を投げ捨ててリーナの小柄な身体を抱き締めた。
「ああ、サラちゃん巨乳……」
なんて感想はどうでも良く。
リーナは首を傾げて訊く。
「どうしたん、サラちゃん?」
とリーナが言い終わるか終わらないかのうちに、サラが口を開いた。
「ごめん、リーナ。ごめん」
「え? 何が?」
とリーナがまた首を傾げると、サラは尚のことリーナをきつく抱き締めて続けた。
「ユナがミカエルのことを好きだって言ったとき、リーナにライバル宣言をしろって言ったのは、アタシなんだ……! ユナが、本当に本当に、ミカエルのことを好きだと感じたから、アタシは言ったんだ……ユナの立場を、自分に置き換えて」
「うん……?」
「アタシは誰かの幸せを優先してやれるほど強い女じゃない。恥ずかしいけどレオ兄がいなきゃ生きていけないほど、弱い女だ。ユナの立場に自分を置き換えたとき、ミカエルがレオ兄に思えて……。そうしたら、リーナにライバル宣言しろって――リーナからミカエルを奪えって、そんなことしか言えなかった」
だから、とサラが声を詰まらせる。
「ごめん、リーナ…こんな辛い想いをさせちゃって、ごめん……! あんただって、アタシの妹と変わりないのにね……!」
サラの腕の中、温かいものを感じながら、リーナは微笑した。
「謝らんといてーな、サラちゃん。サラちゃんは、間違ったことは言ってへんかったで? せやかて、ユナちゃんの方が、うちよりずっと……ずっとずっと、ミカエルさまのことを想っとったんやから。ミカエルさまがうちから離れて、ユナちゃんを選んだのがその証拠や。うちはただ、大人で、優しいミカエルさまに甘えとっただけやったから……。ジュリちゃん同様に、うちがいっぱいいっぱい傷つけたミカエルさまの傍に、ユナちゃんがおってくれて良かった……。せやから、ありがとう……サラちゃん」
「…リーナ……」
と、少し驚いたように、声を大きくしたサラ。
笑っているリーナの顔を見つめたあと、微笑した。
「強くなったね、あんた……アタシより、ずっと」
「あはは、そかな」
頷いたサラが続ける。
「ジュリのことが本当に好きなら、全力で頑張りな。なぁに、ハナちゃんはジュリが幸せになれると判断したら譲ってくれるから、大丈夫。だから頑張りな。いいね? アタシの……」
可愛い妹――
と、額にサラのキスを貰ったリーナ。
笑顔で頷いて承諾すると、階段を駆け下りて行った。
そこへ帰宅したのが、助手のユナを連れたリュウ。
「帰ったぜ。さあ、俺の可愛い黒猫と娘、孫娘よ。俺の胸に飛び込んで来い……!」と両腕を広げながらにやけたが、目の前にいるリーナの顔を見るなり眉を寄せた。「あれ、何でおまえだし」
「悪かったな、うちで。うちもあんさんの娘ちゃうんかい……」
と顔を引きつらせたあと、リーナはリュウの傍らで俯いているユナに顔を向けた。
「お疲れさま、ユナちゃん」
「…う…うんっ……」
と返事をするも、顔をあげようとしないユナ。
ミカエルと相思相愛になれて有頂天の反面、このリーナのことを気に掛けているようだった。
罪悪感に苛まれているのか、泣き虫のユナが今にも泣き出しそうなのが分かる。
「あのな、うちの仕事のことやけど」と、リーナはリュウの顔を見上げて訊く。「やっぱりこれからも仕事続けるから、リュウ兄ちゃんの助手にしてくれへん?」
「あ? 俺の助手にはユナが――」
「分かっとる」
とリュウの言葉を遮ったリーナ。
ユナの涙が零れ落ちる前に、「でも」と続けた。
「ユナちゃんのことは、ジュリちゃんとミカエルさまの助手にした方がええで」
そんなリーナの言葉に、ユナが「えっ?」と顔を上げると、リーナが続けた。
「そりゃ、ハナちゃんも助手みたいやから、仕事は大分楽やと思うけど。遠距離攻撃使えるのって、チャクラムのジュリちゃんだけやろ? 日によっては飛行タイプのモンスターばかりやから、ジュリちゃん大変やねん。せやから、武器は弓矢で、炎魔法も使えるユナちゃんを助手にした方がええで」
「なるほどな。しかし、ユナはファザコンで――」
「大丈夫、パパ」と、リュウの顔を見上げて口を挟んだユナが、「パパと一緒にいたいけど、あたし我慢する。だって、可愛い弟のこと放っておけないもん」
と笑うと、リュウがさも感動したように目頭を押さえた。
「ああ、おまえは何て弟想いなんだ…! こんなにも優しい姉、俺の娘たち以外にこの世に存在するだろうか……!」
「いや、結構おるやろ。世の中の姉さんのこと、どんだけ無情やと思っとんねん……」
と苦笑しながら突っ込んだリーナの言葉は、聞こえているのか聞こえていないのか。
ユナを抱き締め、リュウが続ける。
「分かった、ユナ…! そうだな、可愛い弟を――ジュリを助けてやれ……! おまえの身の安全は、ハナに任せておけば大丈夫だしな。ああ、何て素晴らしい姉なんだ、俺の娘は――」
「はいはい、分かったからもう」と声を高くして突っ込み、溜め息を吐いたリーナ。「ほな、リュウ兄ちゃんの弟子は明日からうちでええな? 手伝えることって言うたら、瞬間移動だけやけど」
「おう、助かるぜ」
とリュウの許可をもらい、そういうことになったリーナ。
リュウが妻や娘、孫娘の呼び声に反応して一足先にその場から去っていくと、ユナに笑顔を向けた。
「というこで、頼むなユナちゃん……ミカエルさまのこと!」
「リーナっ……!」
と声を詰まらせたユナが、リーナに抱きつく。
肩がユナの涙で濡れていくのを感じながら、リーナは笑った。
「ああもう、結局泣くんかいな。ユナちゃんはほんまに、泣き虫やんなあ」
だって、とユナがしゃくり上げながら言う。
「あたしっ…あたしっ、リーナからミカエルさまを奪っちゃった形になったのにっ……! それなのにリーナ、どうしてっ……!」
「あのな、ユナちゃん。さっきサラちゃんにも言うたんやけど、うち、ユナちゃんに感謝してるくらいなんやで?」
「えっ?」
と声を上げたユナが、リーナの顔を見つめる。
リーナはポケットからハンカチを取り出すと、それをユナの瞼に当てながら続けた。
「せやかて、うちはミカエルさまのことも、めっちゃ傷つけたから。ミカエルさま、きっと傍で一途に想っていてくれたユナちゃんに救われたと思う……支えられていたと思う。せやから、うちからミカエルさまを『奪った』なんて思わへんで……罪悪感に捕らわれへんで……後悔なんか、せえへえんで。ミカエルさまのこと、ほんまにありがとう……ユナちゃん」
「――」
ユナの淡い紫色の瞳から、尚のこと涙が溢れ出したかと思った、そのとき。
静かに音を立てて開いた、ユナの背後のドア――玄関のドア。
リーナとユナの猫耳に、弾んだ呼吸の音が聞こえて来た次の瞬間、ドアの隙間からぬっと伸びてきた腕がユナの肩を背後から抱き締めた。
ユナが「わっ」と声を上げて背後を見ると、そこにはミカエルの笑顔。
「ただいま、ユナ」
「お、おかえりなさい、ミカエルさま。あの――」
「まぁーったく」と、呆れ声を出したリーナ。「元カノの前で、ようイチャイチャしてくれるなあ」
と溜め息を吐いてみせると、ようやくリーナの姿に気付いたらしいミカエルが仰天して「うわっ」と声を上げた。
慌ててユナから腕を離し、必死な様子で言い訳をする。
「そ、そ、その、あれだっ…! ほ、ほら、ユナの背で見えなくて……だなっ……」
「へえ、あんさんの視界には、ユナちゃんのことしか――彼女のことしか入らへんかったんや」
「あ、あれだぞっ…? リーナが小柄だからで……だなっ……」
「うちチビやけど、ユナちゃんの背で隠れてまうほどのチビちゃうんやけど」
「いや、そ、そのっ、えーとぉ……」
と目を泳がせるミカエルを見つめたあと、ふっと可笑しそうに微笑したリーナ。
「幸せそうやな、ミカエルさま。ほんまに良かったわ」と呟くように言った後、2階へと続く緩やかな螺旋階段を指した。「ほら、はようユナちゃん連れて上に行きや」
そんなリーナの言葉に驚いたのか、ミカエルが少し声を高くする。
「リーナ……」
「なんや? ユナちゃんに会いに来たんやろ?」
「あ、ああ……」
「せやから、はようユナちゃんの部屋に行きや。そんなにハァハァと息弾ませて……オスやなあ」
「――って、ちょ、なんだ今のは!? 息が弾んでいるのは、あくまでも走って来たからだぞ!?」
「へえ、ジュリちゃんたちが置いてけぼりになってまうほどの猛ダッシュで来たんや。仕事帰りやっちゅーのに、発情期のオスは疲れを知らんのかい」
「い、いや、別に、そういうつもりでユナに会いに来たわけじゃ――」
「はいはい、ええから隠さんでも。付き合いたてのカップルはラブラブやなあ」と、リーナが笑いながら再び2階を指して催促する。「リュウ兄ちゃんに見つかる前に、はようイトナミ3、4発楽しんでら」
「や、やだもー、リーナってば!」と、ユナが頬を染めながらミカエルの手を掴み、2階へと小走りで上っていく。「ミカエルさまは、きっと2発までよっ……!」
「へー……」
「ちっ、違うっ! 違うぞっ!? さ、3発だ、3発! 3発だぞっ! 私は2発が限度ではなく、3発出来――」
と、ミカエルの声を遮るようにユナの部屋のドアが閉まった後。
一人玄関に残ったリーナの鼓動が、緊張で高鳴る。
ミカエルが帰ってきたということは、間もなくジュリも帰宅するだろう。
(そしたら、いよいよ新・1番バッターの作戦開始や)
案の定、間もなく外から聞こえて来た靴音。
リーナは目を閉じ、深呼吸をした。
そして、ドアの開いた音がすると、
(ほな、行くで……!)
と目を開けた。
そこに、ジュリの姿があると思って。
だが視界に飛び込んできたのは、外見年齢15、6歳のメスのブラックキャット――ハナの、鋭い瞳だった。
「……何の用だべ、リーナちゃん?」
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