第127話 『新・1番バッター、いきます』 前編


 夕刻過ぎのジュリ宅。
 早めに仕事を終えたリュウは、1階にあるミヅキのドール工房へと入って行った。
 普段一家の中でここに入るのはミヅキとその妻のレナ、ミヅキに――父親に弟子入りしたセナくらいであるが、今日はそれに加えてシュウとリン・ラン、レオン、ネオン、それからリンク・ミーナ夫婦もいた。
 リュウを含めた全員が、ジュリとリーナを再び相思相愛にする作戦を練るための、残りのバッターである。

 今までの作戦はジュリがリーナを振り向かせるため故に、リーナには秘密してきたが、これからは逆である。
 これからはリーナがジュリを振り向かせるため故に、ジュリには秘密にすることになった。

「よって、ジュリ……と、ハナにもだな。2人に見つからねえように、普段は入らねえこの部屋にやって来たわけだが……」

 と、リュウは部屋の中を見回すと、最も重要な者がいないことに気付いてポケットの中から携帯電話を取り出した。
 電話を掛け、「早く来い」と一言だけ言って切る。

 するとその最も重要な者――リーナが、泣きじゃくりながらリュウの背後へと瞬間移動で現れた。
 リュウの背にしがみ付いて泣き喚く。

「もうあかんのや、もうあかんのや! うち、うち、もうジュリちゃんを完全に失ってしもうたんや!」

「ああもう、おまえは……」

 と苦笑して溜め息を吐き、リュウの背からリーナを引っ張り出したのはシュウ。
 リーナのすっかり腫れてしまった瞼に、治癒魔法を掛ける。

 一方で、シュウと同時に溜め息を吐いたミーナが、娘であるリーナに向かって眉を吊り上げた。

「いつまでもメソメソとするな! おまえのために、こうして残りのバッターが集まってくれたのだぞ!? おまえは独りではない! 残りのバッターのわたしたちが、何とかしてみせるぞ!」

「せやで、リーナ。ジュリのことは完全に失ってないはずや。おとんたちに、任せてや」

 とリンクが続くと、恐る恐る部屋の中の一同の顔を見回したリーナ。

 ここの皆にとっても、とても大切なジュリを深く傷付けた己。
 それを皆はどんな目で見ているだろう。

 そう考えると、とても怖かった。
 でも、そこにあったのは、とても優しく温かい目だった。

 リュウの手が、リーナの頭に重なる。

「そろそろ準備はいいか……手の掛かる八女め」

「リュウ兄ちゃん……」

 とリュウの顔を見上げたあと、リーナはようやく涙を拭いた。
 改めて実感する。

(うちも、リュウ兄ちゃんとキラ姉ちゃんの娘――ここの家族なんや……)

 そう思ったら治癒魔法でも掛けられたかのように胸が温かくなり、孤独が、悲しさが、そこにぽっかりと空いた穴が、少しだけ埋められたような気がした。

 リーナの様子を見たリュウが、話を続ける。

「んじゃ、早速だが。13番バッター……いや、『新・1番バッター』とした方が混乱しなくていいか(読者さまが)。何か作戦が思い浮かんだ奴、挙手しろ。そして『新・1番バッター』としての作戦を言ってみろ」

「はい」と真っ先に挙手したのは、セナだった。「目には目を、歯を歯を。っつーことで、ジュリ兄をねとる」

「よし。んじゃリーナ、早速ジュリを寝取ってこ――」

「よし、やないわ!」とリュウの言葉を遮ったリーナが、顔を真っ赤にして俯く。「い、い、い、いきなりそんなこと出来るわけないやんかっ…! う、うち、まだ一度もイトナミっちゅーもんしたことないんやからっ……!」

「せ、せや! あかんあかん、もう! おれの娘に何させる気やっちゅーねん!」と狼狽しながら口を挟んだリンクが、一同を見回して訊く。「他に誰かマトモな、マートーモーな、作戦思い浮かんだ人おらんか?」

「っんだよ、手っ取り早くていいのによ。カマトトぶってんじゃねえよ」

 とセナが口を尖らせてぶつぶつと文句を呟く一方で、「はい」とレオンが挙手した。

「レオン、言ってみろ」

 とリュウが言うと、レオンが足元にいる息子――次男・ネオンに目を落とした。

「いや、僕じゃなくてね? この子が何か言いたそうでね。……ああ、大丈夫だよ。この子は常識のある子だから、変なことは言わない」

 たしかに。

 と、頷きながら同意した一同。
 一斉にネオンを見つめると、ネオンが戸惑い気味に口を開いた。

「あ…あの…、作戦って言うほどのことじゃないから、手を上げていいか分からなくて……」

「いい、言ってみろ」

 とリュウが催促すると、ネオンが「はい」と返事をしてから続けた。

「えと…リーナ姉さん、ジュリ兄さんのこと悲しくて悲しくて仕方ないと思うんだけど……。『ごめんなさい』したい気分なんじゃないっ……?」

 そんなネオンの問いかけに、「え?」と首を傾げたリーナ。
 数秒ほどしてから、頷いた。

「うん…。最初は自業自得やって分かってながらも、『ジュリちゃん何で?』って、『信じてたのに』って、『酷い』って……そんなこと思っとったけど……。今は、『ごめんなさい』……したい」

 己はジュリのことを、とてもとても、傷つけたから。
 その現実をようやく素直に受け止めたリーナに、ネオンが「だから」と続けた。

「まずは、そこから始めるべきなんじゃないかな…? 『ごめんなさい』して、そして『これからも想っています』って、ジュリ兄さんに伝えることから……」

「うん…せやな……」と呟いたリーナが、一同の顔を見回して笑った。「ほな、うち早速明日にでも『新・1番バッター』の作戦、頑張ってくるわ。きっと失敗に終わるけど、でも……めっちゃ大切なことやから」

 そういうことになり、ミヅキのドール工房を一同が後にする。
 リーナも両親――リンクとミーナを連れて瞬間移動で帰宅しようと思ったが、ふとミーナに手を引かれて首を傾げた。

「どうかしたん、おかん? 帰らへんの?」

「うむ……おかんはもう少しここにいるから、リーナはおとんと先に帰ってていいぞ」

 承諾したリーナがリンクを連れて去った後、ミーナも一同に続いてミヅキのドール工房から出た。
 向かう先は、腹の虫が鳴りそうな香りを漂わせているキッチン――現在キラがいる場所。

 戸口から顔を覗かせると、鍋と向き合っているキラの姿だけがそこにあった。

「今日は、ミラやカレンは手伝っていないのか?」

 とミーナが訊くと、キラが振り返った。
 ミーナの顔を見るなり、優しく微笑する。

「おお、私の可愛い妹のようなミーナ。来ていたのか。ミラはちょっと買出しへ、カレンはまだ仕事だ。さっきまではシュウも手伝ってくれていたし、もう出来上がるから大丈夫だぞ」

「そうか。では、わたしは皿を用意するぞ」

 とミーナは言うと、キッチンの中に入った。
 キラの立っている後方にある食器棚から食器を出しながら、ちらりちらりとキラの背を見つめる。

「どうしたのだ」

 と、しばらくして先に口を開いたのは、キラの方だった。
 鍋と向き合って手を動かし続けながら、続ける。

「私に何か言いたいことがあるのだろう、ミーナ?」

「む、何故バレたのだ……」

「おまえの様子をみれば、考えていることなど分かる。もう何年の付き合いになると思っているのだ」

 と笑ったキラが、ミーナの方へと振り返った。
 髪色は違えど、このキラと同じ長さまで伸ばしているミーナの髪を撫で、キラは優しい声で催促する。

「ほら……言ってみるのだ」

「う、うむ……」と頷いたミーナ。「ごめんなさい……なのだ」

 と頭を下げると、キラが首を傾げた。

「何がだ、ミーナ?」

「わ、わたしは、キラが頑張ってしたことを、水の泡にするようなことを娘に――リーナにさせようとしているのだ」

「む?」

「キラは主のために――リュウのために、ジュリにハナを与えたが……。わたしは、その――」

「またリーナを、ジュリに……か」

 とキラが言葉を遮ると、ミーナが戸惑いながら頷いた。
 キラが訊く。

「さっき何人かがミヅキのドール工房へと入って行ったが、あながち『作戦』でも練っていたのか? 見たところ、残りのバッターだらけのような気がした」

「う、うむ……」

 とミーナが、キラの顔色を窺いながら恐る恐る頷くと、キラが「そうか」と呟いた。
 再び鍋と向き合い、手を動かしながら続ける。

「私は怒っていないぞ、ミーナ」

「ほ、本当かっ?」

「うむ。ジュリには今、ハナがいる。以前のように、リーナに泣かされるというようなことはないだろう。それはつまり、ジュリのことでリュウが――私の主が、悲しむことはないということ。好きにするが良い」

「ありがとだぞ、キラ!」と笑顔になったミーナだったが、それはすぐに消えた。「あ……で、でも、リーナがハナからジュリを奪ってしまったら、キラは嫌ではないかっ?」

「ハナがジュリを、再びリーナに任せるとき……それは、リーナに信頼が戻ったときだ。リーナはもうジュリのことを泣かせないと――リュウを悲しませないと、確信できるようになったときだ。だからリーナが、もし再びジュリとよりを戻せたとき、私は快くリーナを受け入れよう。主のため悪いことをしてしまったが、リーナとて私の娘同然なのだ。娘の幸せが嬉しくないわけがなかろう」

 それに、とキラが振り返って笑う。

「そのときは、私とおまえの夢――共に暮らすという夢が、叶うしなっ♪」

「――うむっ!」

 と、キラとミーナが嬉々として抱き合っている、その頃――。

 リーナは、自室の中で携帯電話を手に握った。
 深呼吸をし、緊張で小刻みに震えてしまう指でメールを打つ。

 無論、ジュリに。

『大切な話があるので、明日どこかで会えませんか』

 最後に、名前も付け加える。
 己の電話番号もメールアドレスも、消されていてもおかしくないと思ったから。

 返事に戸惑っているのか、仕事で手一杯なのか。
 返事が返ってきたのは、0時を回る寸前だった。

『うん、分かった。それじゃ明日仕事が終わったら、またメールするね』

 とりあえず安堵して、溜め息を吐いたリーナ。
 ジュリに承諾の返事と『おやすみ』のメールを送った後、電気を消してベッドに入る。

 目を閉じるも、緊張でまるで眠れそうになかった。

(ちゃんとジュリちゃんに謝らな……ちゃんと。うちはジュリちゃんのこと、めっちゃ傷付けたんやから……)

 そして、

(これからも好きやでって……めっちゃ好きやでって、伝えよう。そうしたらジュリちゃん、なんて言うかな……)

 とりあえず、その気持ちを受け入れてはくれないだろう。
 でも、

(ええんや。新・1番バッターの作戦は失敗に終わるって、分かっとる。でも、でも、ええんや。大丈夫、大丈夫。いつになるかは分からんけど、うちはきっと、また……)

 ジュリに、振り向いてもらえる日が来るはずだから――
 
 
 
 
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