第118話 次のオフの日


 書斎の中、デスクに向かっているリュウ。
 ウィスキー片手にギルド長としての仕事中であるが、あまり捗ってはいなかった。

 コンコンとドアをノックする音が聞えるなり、不機嫌そうに声を上げる。

「何度仕事中だって言えば分かんだ、おまえは。いつまでも邪魔してねーで、さっさと風呂に入って寝ろ、ハ――」

 ハナ。

 と言おうとしたリュウの言葉は、キラの声に遮られた。

「私だ、リュウ。ハナは先ほど部屋に戻った。落ち込んだ様子でな」

 とキラがドアを開けて姿を見せると、その顔を見つめてリュウが溜め息を吐いた。

「猫モンスターはバカばっかだな……」

「なっ、何故私を見て言うのだ、私をっ!?」

「バカだろ」

「そっ、そんなことな――」

「残された飼い主がどうなるのか察することが出来ずに、破滅の呪文唱えたんだからよ」そう言い、リュウが再びデスクと向き合いながら吐き捨てる。「何がこの世の英雄だ、バーカ。飼い主に生き地獄味わわせておいて英雄気取ってんじゃねーぞ、バーカ。英雄になるなら俺の英雄になれ、バーカ。おまえはタダのバカ猫だ、バーカ。バーカ、バーカ、ブワァーーーカ」

 と酷く不機嫌なリュウに、バカバカ連発され、キラが堪らず泣き出す。

「ふっ……ふにゃぁあああぁぁあん! ごっ、ごめんなさいなのだぁああぁぁあぁあっ! たしかにあのときの私はリュウのこと分かってるようで分かってなかったが、今は誰よりもリュウのこと分かってるのだあぁああぁぁああっ!」

 と、にゃーにゃーと泣き声を上げるキラに、リュウが再び溜め息を吐いた。

「……悪かった。こっち来い」

「う、うむっ……」

「抱いてやるから」

「え」

「詫びに」

「おやすみ」

「来いっつってんだろうがよ。主命令に背いてんじゃねーぞ、コラ」

 と、踵を返そうとしたキラの手を引っ掴み、リュウはキラを膝の上に抱っこする。
 一呼吸置いて、続けた。

「ちと、イラついててよ。悪かったな」

「……ハナのことか、リュウ」

「……」

 リュウが閉口すると、キラが続けた。

「リュウ、おまえにとって、すっかりハナは家族なのだな」

 またリュウが溜め息を吐き、口を開く。

「俺のため、あいつは必死にジュリを守ろうとする。俺にとって掛け替えのない家族――ジュリを。たしかに俺はジュリのためにあいつを傍に置いたが……、自らの危険を冒してまで守れだなんて言ってるわけじゃねえ。ジュリのペットになったそのときから、あいつも……」

 あいつも――ハナも、掛け替えのない家族なのに。
 ハナはいつそのことに気付くのだろうか。

 リュウはまたもや溜め息を吐く。

「やっぱり猫モンスターはバカばっかだぜ」

「う、うるさいぞ、リュウ……」

 と苦笑したキラの黒猫の耳に、2階から慌しく駆け下りてくる音が飛び込んできた。
 それはだんだんと近付いて来、ここ――書斎の前で止まり、そしてその途端聞こえて来たハナの声。

「リュウ様、リュウ様! 呆れないで、もう一度オラを見てくださいだ! オラ、もうすぐリュウ様のお役に立てるかもしれませんだ!」

「あ……?」

 とリュウが眉を顰める一方、キラは察する。

(ジュリはついにハナに傾き始めたか。よくやった、ハナ)

 と心の中でハナを誉めながら、キラは訊く。

「そうか、ハナ。そしてそれは、いつ頃の予定だ?」

「次のジュリちゃんたちの――リーナちゃんのオフの日ですだ、キラ様!」

「そうか」

「はいですだ! んだば、お邪魔しましたべ!」

 とハナが去って行くなり、リュウが訊く。

「おい、キラ。今のは一体何の話だ」

「もうすぐだ、リュウ。もうすぐ分かる」とキラが振り返り、リュウの首を抱きしめた。「ああ…、よくやった。よくやってくれたな、ハナ。私の主――リュウの幸せのために……」

 リュウはふと思い出す。
 そう言えば先日、ハナは玄関先で言っていた。

『オラ、遠くないうちにジュリちゃんのこと、とってもとって幸せにしてみせますだ 』

 それは一体どうやってかと訊く前に二階へと駆け上がって行ってしまったが、とりあえず今のキラの言葉で察した。
 ハナはその言葉の通り、もうすぐジュリのことをとてもとても幸せに出来そうなのだと。
 その目的は、他の誰でもない、ハナにとっての主――このリュウの幸せのために。

(だが、やっぱり分からねえ。それは一体……)

 どうやって――?
 
 
 
 
 翌日の夕刻。
 ヒマワリ城の門前で、ミカエルの溜め息が響いた。

「ああ…、今日もジュリとハナに全て仕事を任せてしまったな……」

「仕方ないやん、ハナちゃんめっちゃ強いんやもん。敵わへんわ……」

 とミカエルの傍らで苦笑したリーナは、ふと心配顔になって訊く。
 ここ最近、仕事を終えたら必ず訊くのだ。

「なあ、ミカエルさまっ? きょ、今日、これからの予定は何もあらへんっ?」

「ああ、特に予定はないが」

 とミカエルもお決まりの言葉を返すと、安堵して笑ったリーナ。

「そか! ほな、また明日!」

 とミカエルに手を振り、その場から瞬間移動で自宅マンションへと帰って行った。
 鍵を開けてドアを開けると中は暗く、仕事中のリンクはもちろん、ミーナもいないようだった。

「なんや、おかんキラ姉ちゃんと遊びに行ったんか。晩ご飯作るの面倒やわあ」

 と自室で仕事用の服から部屋着に着替えた後、キッチンへと向かっていく。
 冷蔵庫を開けて食材を確認しているときにポケットの中で携帯電話が鳴り、誰からか確認せずに電話に出た。

「もしもしー? 誰やー? うち今めっちゃお腹減っとるから、手短に話してやー」

 返ってきたのは、ジュリの声だった。

「あ、ごめんね、タイミング悪くて。分かった、手短に話すよ」

「ああ、ジュリちゃん!」と声を高くしたリーナは、晩ご飯を作るのを後回しにしてリビングに向かって行った。「ええねん、ええねん、ジュリちゃんなら長話でも!」

 と、そのつもりでソファーに腰を下ろしたが、すぐに「あっ」と声を上げて立ち上がった。

「せや、会って話さへん? 最近、あんまり話してへんかったし。ジュリちゃん今、家か?」

「うん」

「ほな、迎えに行くわ」

 と言うなり電話を切ると、リーナはジュリの部屋へと瞬間移動した。
 ついでに晩ご飯を分けてもらい、ジュリを連れて自宅マンションのリビングに戻ってくる。

 ソファーに並んで座り、適当に話をしながらリーナの食事が終るのを待つジュリ。
 リーナが食事を終えて「ごちそうさまでした」と満足そうに合掌した後、話を切り出した。

「ねえ、リーナちゃん。次のオフの日のことなんだけど」

「次のオフ? あ、リュウ兄ちゃんからいつになるかもう聞いたん?」

「ううん、まだだけど。次のオフの日、僕と1日デートしてくれない?」

「え?」と、一瞬首を傾げたリーナだったが、すぐに笑顔になった。「うんっ……、うちとデートしよ、ジュリちゃん!」

「良かった。それじゃあ、父上からオフの日を教えてもらったら、連絡するね」

「うん! なあなあ、うちに何着て行って欲しいーっ?」

「何でもいいよ。リーナちゃんは何着ても似合うから」

「あっかーん! もうジュリちゃんてば、正直なんやからぁーっ!」

 と、ジュリの目の前、リーナから笑顔が溢れる。
 ジュリが小さい頃からずっと好きだった、真夏の太陽のように明るい笑顔。

 いつ見ても、愛しい――

「…ジュ…ジュリちゃんっ……?」

 と、不意にジュリに抱きしめられ、リーナの頬が染まった。

「ああ…、僕はやっぱりリーナちゃんのことが好きだなあ……」

 リーナの笑顔を独り占めできたら、リーナがこのジュリだけを見つめてくれたら、どんなに幸せだろう。
 リーナのことをずっと好きでいる自信はあるし、そのつもりだった。

 でも、

(僕は、待たせてしまっている人がいる)

 いや、人ではない。
 一匹の、黒猫。

(命の危険をかえりみず、僕を助けてくれようとした、ハナちゃん)

 いつまでも待たせてはいけないと思った。
 だから、

「次のオフの日――デートの日、訊きたいことがあるんだ。とても、大切なこと」

 それはこのジュリを選ぶか、ミカエルを選ぶか。

 その答えが前者だったならば、ジュリ自信は幸せだし、そうとなればハナも安堵するだろう。
 ハナは、リーナが2人の間をふらふらとしてジュリを落ち込ませているところに憤慨していたのだから。

 そして答えが後者だったならば、ジュリはもうすっぱりとリーナを諦めると決めた。

(僕が、どんなにリーナちゃんのことを好きでも)

 待っていてくれる、ハナのために。
 己のために命を掛けてくれた、ハナのために。

 もう、決めたのだ。
 次のオフの日に、己とリーナ、ミカエルの三角関係に、終止符を打つ。

 リーナが首を傾げる。

「とても、大切な、訊きたいこと……?」

 うんと頷いたジュリの腕に、力が篭った。

「だからリーナちゃん、必ずデートに来て……」
 
 
 
 
(私は決して、リーナに嘘を吐いたわけではない。今日これからの予定は、本当に何も決まっていなかったからな)

 と、自室の前で立ち止まったミカエルは、そっとドアを開けて微笑した。

(だが毎日毎日、何の連絡もなしに訪問客が来ていたりする)

 目線の先のキングサイズのベッドの、真ん中のところ。
 何の連絡もなしに毎日やって来る訪問客――ユナが、左右にごろごろと転がっている。

「先日、仕事を終えて会いに来る私に『もう来なくていい』って言った割には、ずいぶんと顔を見せてくれるな、ユナ?」

「あ、おかえりなさい、ミカエルさま!」と黒猫の耳をぴんと立たせて起き上がったユナが、えへへ、とはにかむ。「だってミカエルさま、仕事のあと毎日あたしに会いに来てるって知ったリーナに離してもらえなくて、大変そうだったから。それならいっそ、あたしの方から勝手に来ちゃえって思って。会いたいのは、あたしの方だしね」

「そうとは限らないさ」

 とミカエルがユナの傍らに腰掛けてその頭を撫でると、ユナが嬉しそうに笑った。
 それを見つめながら、ミカエルは胸を痛める。

(何故私は、こんなにも長い間ユナを待たせてしまっているのか……)

 ユナが毎日会いたがるように、己だってそうクセに。
 見つけた途端、触れられずにはいられないクセに。
 こんなに愛しいと、思うクセに。

(ここ最近、ずっと考えていたが……。やはり私は、ユナに惹かれているのだろうな)

 だとしたら、いい加減ケジメを付けるときが来たようだ。

「なあ、ユナ。次のオフの日は、決まったのか?」

「ううん。でも、あたしはパパに言えばいつだってオフにしてもらえるから」

「ああ、リュウ、おまえって奴はどうしてそう娘に……」

 とミカエルが苦笑する一方、ユナがミカエルの顔を覗き込んで話を続ける。

「オフの日が、どうしたの?」

「おまえに会いたいって思ってな」

「えっ……!?」

 とユナが頬を染めると、ミカエルは微笑して続けた。

「まあ、そうだな……いつでもオフにしてもらえるのならば、都合がいい。私の次のオフの日に、おまえもオフにしてくれると有難いんだが?」

「う、うんっ、分かったっ……! オフが決まったら、連絡してねっ! あっ、その日、何時頃から空けておけばいいっ?」

「ディナーくらいの時間だな」

「分かった、夜ねっ……!」と承諾した後、ユナは何となく訊いてみる。「ちなみに……その日、朝起きてからそれまでの時間、何してるの?」

「ケジメをつけてくる」

 ユナが「え?」と首を傾げると、ミカエルは言葉を変えて言い直した。

「リーナに、振られてくる」
 
 
 
 
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