第114話 笑顔にさせてくれるもの


 リーナが瞬間移動でヒマワリ城の城門へとやって来るとほぼ同時に、城の中からミカエルとユナが姿を現した。
 他愛もない会話を楽しそうにしているミカエルの顔を見、ユナの顔を見、リーナに恐怖が襲い掛かる。

(え…? も、もしかして、ユナちゃん昨夜はミカエルさまの部屋に泊まった…? それって、それって…、まさか……!?)

 狼狽したリーナの声が上がる。

「ミ、ミカエルさま!」

 それまでユナの顔を見つめて笑っていたミカエルの顔が、リーナへと向けられた。
 その途端、それは歪んでしまう。

「リーナ……」

「あ、あの、ミカエルさまっ! き、昨日はごめんなさいっ……!」

 とミカエルの表情を見たリーナが慌てて頭を下げると、ミカエルから小さく溜め息が漏れた。

「私に謝られてもな……」

 一度「あっ」と顔を上げたリーナが、今度はミカエルの傍らにいるユナに向かって頭を下げる。

「き、昨日はごめん、ユナちゃんっ…! うち…、うち、もう二度とあんな酷いことせぇへんからっ……!」

「それは本当にか?」

 と訊いたのはミカエルだ。

「ほんまに!」とリーナが頭を下げたまま声を上げる。「ほんまのほんまに! もう二度と、あんなことせぇへん!」

「…わ、分かった分かった、リーナ。あたしもう気にしてないから、頭あげてっ……! ミカエルさまだって、きっともう怒ってないし。ねえっ?」

 とユナが同意を求めてミカエルの方を見ると、リーナが恐る恐る顔を上げた。
 リーナの心の内を見抜くようにじっと見つめていたミカエルが、だんだんと涙目になっていくリーナを見つめてふと微笑む。

「ああ。もう怒ってなどいない。昨日は私も悪かったな、リーナ」

 ミカエルの笑顔を見、その言葉を聞き、少し安堵したリーナがほっと溜め息を吐いた。
 それを見た後、ミカエルが続ける。

「聞いてくれ、リーナ。私はやはり、おまえとの約束を守ることが出来ない」

 リーナとの約束――ユナにプレゼントしたネックレスとブレスレットを返してもらうというもの。

「これからだって、記念日やイベントなどの日にはユナにプレゼントを贈るだろう」

「…そ…そかっ……」と小さく返したリーナの笑顔が引きつる。「…な…なあ、ミカエルさま? き、昨日も訊いたけどな、も、もしかして…ユナちゃんのこと好きなんかっ……?」

 ミカエルは閉口した。
 昨夜リーナに訊かれたときは、「分からない」と答えた。

 今もはっきりしたことが言えない。
 でも、昨夜ユナに理性を吹っ飛ばされそうになった己がいる。
 正直あのとき王が邪魔しに入って来なかったら、ユナに唇を重ねていただろう。
 あのときの想いは決して軽いものではなく、本当にユナが愛おしいと思った。
 胸が熱かった。

(それは、私はユナのことが好きだということなのだろうか……)

 返答のないミカエルに、リーナは不安になって口を開く。

「や、やっぱええわ、ミカエルさま! うんっ…、答えなくてええわっ……!」

 答えを聞くのが怖かった。
 何だか、肯定されてしまうような気がして。

(あかん…、このままやったらほんまに、ユナちゃんにミカエルさま取られてまう……!)

 ユナから引き剥がすように、ミカエルの腕を掴んで引っ張ったリーナ。
 ミカエルの腕をしっかりと両腕に抱きながら、ユナに作り笑顔を向ける。

「ほ…ほな、うちらこれから仕事やからっ…! 瞬間移動で家まで送るわ、ユナちゃんっ……!」

 とユナの返事を聞く前に瞬間移動し、ユナを自宅屋敷の前まで送った後、リーナはすぐさま再び瞬間移動をしてミカエルと共にその場から去っていった。

「あっ…! ミカエルさまっ……!」

 と名残惜しくて手を伸ばしたユナだが、もうミカエルの姿はそこにない。
 小さく溜め息を吐いて、自宅屋敷の玄関の戸を開けた。
 するとそこには、ジュリとハナが立っていた。

「あ、おかえりなさい、ユナ姉上」

「おかえりだべ、ユナちゃん」

 とジュリとハナの笑顔に迎えられたユナは、「ただいま」と返したあと首を傾げた。

「って、あれ…? ジュリ、今日はリーナと仕事じゃないの……?」

「いえ、今日もリーナちゃんと仕事ですけど?」

 それを聞いたユナは、一度後方――ついさっきリーナが立っていた場所に振り返った後、ジュリに顔を戻して困惑した。

「ね、ねえ、ジュリ。リーナ、ミカエルさまと2人で仕事に行っちゃったよ?」

「――え……?」

 ずきんと胸が痛んだジュリの顔を、ハナが覗き込んで訊く。

「どうするべ、ジュリちゃん? 今日はオラと2人で仕事に行くべか?」

 ジュリは首を横に振ると、ハナの手を引いて外へと出た。
 召喚カブトムシ・テツオを召喚し、ハナと共にその頭へと乗って、本日分の仕事からリーナがいるだろう場所を察して飛んでいく。

「テツオ、急いで。ミカエルさまだけじゃ、リーナちゃんを危ない目に合わせてしまうかもしれないから」
 
 
 
 
 リーナの瞬間移動で、ヨルガオ平原へとやって来たミカエル。
 仕事で討伐しなければならない凶悪モンスターを遠方に確認しつつ、リーナに訊く。

「なあ、今日はジュリはいないのか?」

「昨日の今日でうちが元気ないからって、おとんが気ぃ利かして、いつもより仕事少なくしれくれたから2人でも大丈夫や」

「そうか。しかし、ジュリは家でリーナが迎えに来るのを待っているんじゃ――」

 突然リーナが胸に抱きついてきて、ミカエルは言葉を切った。
 凶悪モンスターからリーナの頭へと目を落とす。

「な、なあ、ミカエルさま」と話し出したリーナの声は、震えていた。「き、昨日、ユナちゃんと何かあったっ……?」

「いや、何もない。朝まで親父が私の部屋に居座っていてな、ユナがたびたびセクハラされそうになるんで、私は一晩中親父を見張っていた……」

 と言って苦笑したあと、ミカエルが口元を手で押さえて欠伸した。

 ミカエルの言葉を聞いて「そか」と返しながら、少し安堵したリーナは、続けて訊く。
 これをたしかめなければ、完全に安堵できなかった。

「ミカエルさま、うちのこと、まだ好きかっ……?」

「それは――」

 それはもちろん。

 と答えようとしたミカエルだが、言葉が続かなかった。
 頭にユナの顔が浮かんで。
 やっぱり己は、ユナのことが好きなのだろうかと考える。

「そ、それは? な、なんや? ミカエルさま?」

「それは……」

「それはっ……!?」

「それは…………」

 と返答に困惑するミカエル。
 ふと耳に入ってきた頭上からの羽音と、リーナの後方に出来た黒い影を見て、何かと空を仰いだ。

 そこには、羽ばたいている召喚カブトムシのテツオ。
 その頭に乗っているジュリとハナが、こちらの様子を窺っていた。

「……なあ、リーナ。ジュリが来てるぞ」

「知っとる」

 というリーナの返事に、ミカエルは「え?」と首を傾げながらリーナに顔を戻した。
 こんな場面をジュリに見られたらリーナは慌てるだろうと思ったのだが、リーナにその様子はなかった。
 ミカエルの胸に抱きついたまま、離れない。

(大丈夫…、ジュリちゃんはどんなことがあったって、ずっとずっとうちだけのことを想っていてくれるから。ジュリちゃんは、大丈夫……)

 そう信じて疑わないリーナが安心できない相手は、ジュリではなくミカエルの方。
 先ほどした問いにまだ答えてくれないミカエルに向かって、怖くなったリーナは思わず声を上げる。

「それは、の続きは…!? 早く答えてや、ミカエルさま! 早く言ってや! なあ、早く! うちのこと、好きやって……!」

 と大声で言ったリーナの台詞は、テツオの大きな羽音に包まれていたって、当然ジュリとハナの猫耳にはうるさいほど良く聞えている。
 ミカエルがまた空を仰ぐと、傷付いたジュリの顔がはっきりと見えた。

 ジュリがテツオを消し、たん、と身軽な音を立ててハナと共に大地に足を着ける。
 静かに歩み寄ってきたジュリよりも先に、ミカエルの胸に顔を埋めているリーナが口を切った。

「ごめん、ジュリちゃん。さっき、なるべく早く戻ってくるからって言ったのに。うち、今日はミカエルさまと2人で仕事行くことにした」

「……ミカエルさまだけじゃ心配だから、僕も一緒に行くよリーナちゃん」

「大丈夫。今日の仕事、少ないから」

「そうだけど、でも――」

「ええから」とジュリの言葉を遮り、リーナは苛立たしそうに続ける。「ええから、今日はもう帰って。うち、ほんまに大丈夫やから。今、ミカエルさまと大事な話しとんねん」

 少し間を置き、小さく「分かった」と返したジュリは、一人凶悪モンスターの方へと向かって歩いて行った。
 ミカエルが思わず心配になって口を開く。

「お、おい、待てジュリ。一人でその凶悪モンスターの相手をするのは大変だ。私も行くぞ」

「大丈夫です。ハナちゃんもいますから」

 というジュリの言葉を聞いて、リーナは驚いて振り返った。
 今更になって、ハナもいたことに気付く。
 真顔でいるハナの瞳は、じっとこちらを見据えていた。

「ハ…ハナちゃん、どうしてここに……」

「オラはジュリちゃんのペットだから、仕事についてきたって何もおかしくないべよ」

「せ、せやけど――」

「リーナちゃん」と、リーナの言葉を遮ったハナ。「二兎を追う者は一兎をも得ずってことわざ、知ってるだか?」

 と訊くなり、冷たく視線を逸らしてジュリの後を着いて行った。
 ジュリの手をほとんど煩わせることなく、凶悪モンスターをあっという間に討伐する。
 そして再び召喚したテツオの頭にジュリと共に乗り、その場から飛び去っていった。

 二兎を追う者は一兎をも得ず、なんてことわざ、リーナだって大人といえる年齢なんだから当然知っている。
 だが、そんなことわざに己は当てはまらないと信じたい。

(ジュリちゃんがうちのことをずっとずっと想ってくれるのは当然、ミカエルさまのことやって……)

 ミカエルの唇に、リーナの唇が重なる。

(絶対に、離さへん……!)
 
 
 
 
 今日はもうリーナに帰れと言われたジュリだったが、それに従いはしなかった。
 ミカエルだけにリーナを任せるのはやっぱり心配で、本日分の仕事をハナと共に先回りして終わらせる。
 その数はいつもの半分以下しかなく、ハンターだったら普通に超一流クラスのハナがいる故に、正午前には完了していた。

「手伝ってくれてありがとう、ハナちゃん。あっという間だったよ」

「オラはペットなんだから、いくらでも使っていいだよジュリちゃん」と笑ったあと、ハナはジュリの手を引っ張ってテツオの頭に乗りながら続けた。「それで、これからどうするべか? あ、もう少しでお昼だから帰るだね」

「うん……」

 と頷いた元気のないジュリの横顔を見たハナは、思い直して言う。

「と、思ったけんども、たまには外食もいいだねジュリちゃん!」

「え?」

 とジュリがハナの顔を見ると、ハナが続けた。

「どこかに、美味しいもんでも食べに行くべよ、ジュリちゃん! それで、そのあとはオラと夜まで遊ぶべよーっ! オラ、葉月町でまだまだ行ってみたい場所がたーくさんあるだよ!」

「ああ、そっか。ハナちゃん、父上にお留守番頼まれてばっかりだったもんね。それじゃ、今日は僕と遊び回ろっか」

 と言ってジュリがテツオを飛び立たせると、ハナがはしゃぎ出した。
 そんなハナの様子を見ながら、ジュリは察する。

 今日これから、己がハナを楽しませるようで、それは逆になるだろう。
 逆に、ハナが己を楽しませてくれる。

(不思議とハナちゃんといると、嫌なことがあっても笑顔になれるから……――)

 案の定、その予想は当たった。
 ハナが行ったことのないレストランでランチして、ハナが行ったことない葉月町のデートスポットから心霊スポットまで遊び回って、ハナが行ったことのない居酒屋で飲んで、ジュリの笑顔が止まない。
 楽しい時は経つのがとても早く、気付けば日付が変わっていた。

 ジュリの家族が、特に父親――リュウが心配するからと、ジュリをテツオに乗せて慌てて帰ってきたハナは、玄関に入るなり180度近く頭を下げた。

「ごめんなさいだ、リュウ様!!」

 と、そこにリュウが立っているものだと思って。
 だが、

「ハナちゃん、父上いないよ?」

 というジュリの言葉を聞いて「あれ?」と頭をあげた。
 玄関広間を見渡してリュウの姿を探すが、どこにもない。

「ジュリちゃんを心配したリュウ様が、玄関でうろうろうろうろしてると思ったんだけんども…。イ、イトナミ中だべか……!?」

 とハナが赤面したとき、玄関広間の奥からリュウがウィスキーの入ったグラス片手に、眉を寄せながら姿を現した。

「こんな夜中に何を大声出してんだ、ハナ。静かにしろ」

「あっ、ごめんなさいだっ……!」

 とハナが再び頭を下げる一方、ジュリがリュウに笑顔を向けた。

「ただいまです、父上。遅くなっちゃってごめんなさい。ハナちゃんと遊んでたら、いつの間にかこんな時間になっちゃって」

「そうか。夕食は食ってきたようだな」

 とリュウがジュリの桃色に染まったほろ酔いの頬を見て言うと、ジュリが頷いた。

「はい。たくさん食べてきたので、お腹いっぱいです」

「そうか。それじゃー、今日はもう風呂に入って寝ろ。今日は仕事が少なかったが、明日からはまたいつも通りの仕事だ」

「はい!」

 と片手を上げて元気良く返事をすると、ジュリは2階へと続く階段を駆け上がっていった。
 それを見送ったあと、ハナはリュウの顔を覗き込む。

「……お酒飲んで、くつろいでたみたいですだね、リュウ様?」

「くつろいではいねーよ。書斎で、酒片手にギルド長としての仕事中だ」

「そうでしたか。でも、それにしても……」

 と何か言いたそうなハナを見て、リュウは眉を寄せながら訊く。

「何だ、ハナ」

「あ、いえ、その……ジュリちゃんの帰りが遅いから、酷く心配なさっていると思っていたですだ」

「まあ、心配はしたな。だが、キラがおまえも一緒に仕事に行ったって言ってたからよ。心配したっつっても、僅かなもんだ」と言ったあと、リュウはジュリが上っていった階段の方へと顔を向けて続けた。「……なあ、ハナ。ジュリはおまえと一緒にいると、本当によく笑うな」

「そうですだか?」

「ああ……」と頷いたリュウが、再び書斎の方へと向かって行きながら続けた。「サンキュ」

 その言葉は、リュウからの――主からのその言葉は、とてもハナを幸せにする。

「リュウ様!」

 と呼び止められてリュウが振り返ると、ハナが頬を染めて微笑んでいた。

「待っていてくださいだ! オラ、遠くないうちにジュリちゃんのこと、とってもとって幸せにしてみせますだ!」

「――……?」

 それは一体どうやってかとリュウが訊く前に、ハナはにこっと満面の笑みになると、階段を駆け上っていった。
 
 
 
 
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