第113話 『10番バッター、行くのだ』 後編


 キラから選択肢を突きつけられ、リーナのグリーンの瞳が困惑して揺れ動く。

「キ…キラ姉ちゃん、と、突然そんなこと言われたって、うち……」

「選べぬか? それは、ジュリだけを想うことは出来ぬという答えか?」

「ちゃ、ちゃう! そうやないっ……!」

「では、ミカエルのことは忘れ、ジュリだけを想うのか?」

「そ、それも……」

 違う。

 と、リーナが小さく首を横に振った。
 それを見てキラが小さく溜め息を吐く。

「はっきりせぬな」

「ご、ごめん」と小さく謝ったあと、リーナが「せやけど」と少し声を高くして続けた。「キラ姉ちゃん、その選択肢、意味ないと思うでっ……!」

「それはどういうことだ?」

「ジュ、ジュリちゃんは、うちがどっちを選ぼうが、うちのこと好きなままでいてくれるっ…! たとえ、うちが今まで通りの方を選んだとしてもっ……!」

「今まで通り――ジュリとミカエルの間をふらふら……か」と、キラが再び小さく溜め息を吐いた。「それが答えということで良いのか?」

「……」

 閉口したリーナを見、肯定したと判断したキラ。
 先ほどした忠告を、もう一度する。

「良いのか、リーナ? おまえはこのままだとジュリとミカエルの両方を失うぞ」

「せ、せやから、そんなことないっ…! ジュリちゃんは、ずっとずっとうちのことだけ想っていてくれるっ…! ミ、ミカエルさまやって、うちがちゃんと謝れば、また……!」

 リーナの顔を見つめて数秒後、「そうか」と返したキラ。

「おまえは、ジュリだけを想うことは出来ぬのだな。分かった」

 とリーナに背を向け、部屋を後にした。
 部屋の前、そわそわとしながら待っていたリンクに小さく頭を下げる。

「すまぬ、リンク。おまえもミーナも、将来は私たち一家と共に暮らすことを願っていたが……無理かもしれぬ。ミーナにも謝っておいてくれ」

 リンクの顔が困惑した。

「そ、それって、リーナとジュリの結婚は考えられなくなった……ってことか?」

「完全に考えられなくなったとは言わぬが、リーナはそうなるだろう答えを選んだのだ」

「――え……?」

 と首を傾げるリンクから顔を逸らし、キラはリンク宅を後にした。
 主――リュウが心配するからと、自宅屋敷に向かって小走りになる。

(10番バッターは失敗だ)

 故に、

(私はジュリにハナを選ぶよう促さなければならぬ……)
 
 
 
 
 翌朝。
 家族一同が集まる朝食の席にやってきたリュウが、娘や孫娘に頬におはようのキスされながらキッチンの中を見回して首を傾げた。

「おい、ユナはどうした」

「まだ部屋で寝てる……」

 と嘘を吐いたのは、ユナと同室のマナだ。
 いや、実際まだ寝ているかもしれないが、それは自室でではなくヒマワリ城――ミカエルの部屋でだ。
 でもそんなことを言ったらミカエルは三途の川へと送られてしまう故に、嘘を吐く。

「でも具合悪いわけじゃないから心配しないで、パパ……」

「そうか。なら、今日はパパ一人で仕事に行くから、好きなだけ寝ているよう言っておいてくれるか」

 マナが頷いて承諾した後、自席に着いたリュウ。
 ユナを除く家族一同で「いただきます」をして朝食を食べ始めながら、その黒々とした鋭い瞳をジュリの方へと向けた。

「……ちゃんと食え、ジュリ」

「はい。食べてますよ、父上」

 とジュリはリュウに笑顔を返すが、それは作りもの。
 無理して笑っている。

 その言葉だって嘘だ。
 食べ物が喉を通らないのか、口に入れる一口一口がとても少ない。

 ジュリの隣に座っているハナが曇ったリュウの顔を見、タラコを箸で挟んでジュリの口元へと持って行った。

「ジュリちゃん、ジュリちゃん。今日のタラコ、凄くおいしいべよーっ♪ はい、あーん!」

 とハナが言うと、あーんと口を開けたジュリ。
 その口の中にハナがタラコを入れると、ジュリがふと笑った。

「うん、本当だ。おいしいね」

「だべ? ご飯と食べるともっとおいしいだよ! たくさん食べるだよ、ジュリちゃん!」

「うん」

 とまた笑ったジュリが、さっきよりも大きな一口で食べ始める。
 それを見て小さく安堵の溜め息を吐いたリュウを、ちらりと尻目に見たキラが、ハナに顔を向けて口を開いた。

「ハナ、朝食が終わったらちょっと良いか?」

 承諾したハナ。
 朝食後、後片付けをしているキラを手伝いながら「それで」とキラの顔を覗き込んで訊く。

「何かオラに話があるですだ? キラ様」

「ああ」と頷いたキラが、話を切り出した。「ハナ、やはりおまえはジュリにとって必要な存在だな。ジュリの傍におまえがいてくれて、私は良かったと思っている」

「なんだか照れますだ」と、ハナがはにかむ。「でも、突然どうしたですだキラ様?」

「うむ……」と頷き、キラが一呼吸置いて話を続けた。「リーナのことで、ジュリはまた落ち込んでしまっている。どうか元気付けてやってほしいのだ……リュウのために」

 とキラがハナの顔を見ると、一瞬目をぱちくりとさせたハナが大きく頷いて笑った。

「もちろんですだ。でもオラ、昨日ジュリちゃんに振られてしまいましたべ……」

「ああ、振られたのか、あの後」

「はいですだ――ってぇ!?」と、驚愕しながらキラを見たハナの顔が、茹蛸のように赤く染まっていく。「き、ききき、聞いてたですだか、キラ様!?」

「ああ。見てはいないが、キスをしていることも分かった。なかなか強引だな、ハナ。リュウのためとはいえ、軽く驚いたぞ」

「ひえぇええぇぇーーーっ! は、恥ずかしいべぇぇぇぇぇぇ!」

 とハナが恥ずかしさのあまり蹲ると、キラは「だが」と続けた。

「それくらいで良い。昨夜、10番バッターは失敗した。リーナは相変わらずジュリとミカエルの間をふらふらとし続ける。このままでは私の主が――リュウが、落ち込んだままだ。だから強引にでも、ジュリの心をリーナから奪い、そしてジュリを幸せにしてやってほしい。これはジュリの母親である私には出来ぬこと。ハナ、おまえでなければ出来ぬことなのだ」

「あっ……」と声をあげ、立ち上がったハナがキラの顔を見つめて頷く。「はいですだ。昨日オラは振られてしまったけんども、諦めたわけでねえですだ。あんなリュウ様を見たら、諦められるわけがねえですだ! オラに任せてくださいだ、キラ様! オラ、絶対絶対、ジュリちゃんの笑顔も、そしてリュウ様の笑顔も取り戻して見せますだ!」

 そう宣言したハナの顔を見つめ、「そうか」と安堵したキラ。
 ハナに後片付けを任せ、仕事へ行く準備中だろうジュリのところへと向かって行った。
 二階の向かって右から6番目の部屋――ジュリの部屋のドアをノックし、「どうぞ」とジュリの声が返って来てから中に入る。

「仕事の準備中に悪いな、ジュリ」

「いえ、母上。どうかしましたか?」

「10番バッターは失敗した」

 というキラの唐突な言葉に「え?」と、きょとんとしたジュリ。
 数秒後、笑顔を作った。

「そうですか……、残念です。どんな作戦だったのかは知りませんけど」

「ジュリ。リーナは、これからもおまえとミカエルの間をふらふらとし続ける。リーナはおまえだけを想うことは出来ぬと、昨夜私に言った。おまえがどんなにリーナを一途に想っても、リーナは駄目なのだ。おまえ以外の男もいなければ、駄目なのだ」

「そ…そう……ですか」

 と答えたジュリの笑顔が歪んだ。
 作りきれず、口元が小刻みに震える。

「だからジュリ、もうリーナのことは諦めて、ハナにしろ。おまえは落ち込んでいても、ハナといるときは笑ったり元気になったりするであろう。ハナとならば幸せになれる。だからジュリ、ハナにしろ。ジュリ……」

 と頬に伸びてきたキラの華奢な手を、ジュリが一歩後方に下がって避けた。

「…ごめんなさい、母上。僕はまだリーナちゃんのことが好きだから、そんなすぐには……」

「……そうか…、そうだな」と呟き、ジュリから手を引っ込めたキラ。「だが、よく考えるのだジュリ。おまえは本当に今のままで良いのか? いつも傍で笑わせてくれるハナといる方が幸せになれると、母上は思うぞ……?」

 そう言い残して、ジュリの部屋を後にした。
 キッチンに戻り、朝食の後片付けをしているハナに命ずる。

「ハナ。これからは、ジュリが仕事へ行くときも共にいろ。ジュリが、なるべく早くリーナを忘れられるように……」
 
 
 
 
 仕事へ行く準備が終わり、玄関先でリーナが瞬間移動で現れるのを待つジュリの頭の中に、キラの言葉が木霊していた。

(僕は、ハナちゃんといる方が幸せ……? ハナちゃんのことは好きだし、傍にいてくれると安心するけれど、でも僕はリーナちゃんのことが……)

 ジュリが困惑していると、リーナが目の前に瞬間移動で現れた。

「お待たせ、ジュリちゃん」

 と笑うリーナのその瞼は、赤く腫れていた。
 ずきんと胸が痛む。

 痛々しくて可哀想だと思う半面、悲しい。
 きっとミカエルの名を呼びながら泣いたのだろうから。

「ちょっと待っててね、アイスノン持ってくるから」

 と笑顔を作り、背を向けてキッチンの方へと向かって行こうとしたジュリの手を、リーナが引いた。

「ううん、いらへん。大丈夫や」

 ジュリが振り返ると、リーナが話を続けた。

「な、なあ、ジュリちゃん? き、訊いてもええかなっ……?」

「うん……?」

「あ…あのな、ジュリちゃんは、ずっとずっと、うちのこと想っていてくれるかっ? いや、想っていてくれるよなっ……?」

 そう訊いてきたリーナの表情は、とても不安そうだった。
 ジュリの返事を待つリーナのグリーンの瞳が揺れ動いている。

 それを見て、ふと微笑んだジュリが頷く。

「うん、もちろんだよ。僕はこれからもずっとずっと、リーナちゃんのことが好きだよ」

「…せ…せやな、ありがとう、ジュリちゃんっ……!」

 とリーナが安堵して笑顔になる。
 それじゃ仕事に行こうとジュリが言おうとしたとき、リーナが言葉を続けた。

「ほな、ちょっと待っててな? うち、ミカエルさまのこと迎えに行かなあかんから」

「ヒマワリ城に行ってまたここに来るのなんて、面倒でしょ? 僕も一緒に行くよ」

「う、ううんっ…。う、うち謝ったりせなあかんから、ちょっと時間掛かるし、ジュリちゃんそれまでお茶でもしててやっ……」

 そう言って瞬間移動しようとしたリーナの手を、ジュリが掴んだ。

「昨日のことなら、また夜うちに来てユナ姉上にだけ謝ればいいよ。ミカエルさまのことはもう放っておいて、これからは2人で仕事に行こう?」

 少し閉口し、ジュリの手を振り払ったリーナ。

「ごめん、ジュリちゃん。なるべく早く、戻ってくるから……」

 そう言って、瞬間移動でヒマワリ城へと向かって去って行ってしまった。
 小さく溜め息を吐くジュリの背に、二階から駆け下りてきたハナが抱きつく。

「ジューリちゃんっ♪ 良かった、まだ仕事行ってなかっただね! オラも一緒に行くべよーっ♪」

「ハナちゃん……。仕事、手伝ってくれるの?」

「もっちろんだべ♪ オラがいれば、仕事さくさく捗るだよ! たっくさん働くべーっ♪」

「あはは。ありがとう、ハナちゃん」

 と、ジュリから笑顔がこぼれた。
 辛いことがあっても、ハナといると元気になる。
 自然と笑える。

(僕は、ハナちゃんといる方が幸せなの――?)
 
 
 
 
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