第11話 ハンターというもの 後編


 ジュリの部屋に備え付けてあるバスルームの洗面台の前。
 シャワー後、腰まであるガラスのような銀色の髪の毛をキラに乾かしてもらいながら、ジュリは口を開いた。

「母上。僕、母上に訊きたいことがあるのです」

「何だ、ジュリ?」

「母上は、父上の奥さんの前に、父上のペットです」

「うむ。私はリュウの妻である以前に、リュウのペットだ」

「父上が死んでしまったら、どうしますか?」

「リュウが死んだら……?」

 と鸚鵡返しに訊いたキラ。
 ふと微笑み、何ら迷う様子なく答えた。

「そうだな、リュウが骨になって墓に入ったら、すぐさま私もその傍に行きたいな」

「――えっ……!?」

「残されるおまえたちには悪いが、私はそうするだろうな」

「……死ぬってことですかっ?」

 キラが頷く。

「私たちペットとなった猫モンスターというものはな、主のことを何よりも誰よりも大切で愛しているのだ。親よりも子よりも、主なのだ。主のいなくなった世では、幸せになれないと言っても過言ではないのだ」

 ジュリの黄金の瞳が困惑して揺れ動く。
 続けるキラ。

「主の幸せは己の幸せ。主の不幸は己の不幸。そして、主の死は己の死……。主が永久の眠りについたのならば、己もその傍らで共に眠る。それが私たち主を持った猫モンスターというものなのだ。そうすることが私たちにとって、とても幸せなことなのだ」

 ジュリが衝撃で涙ぐんでしまう中、そう言って笑った。
 
 
 
 
 翌朝、リーナと仕事に向かったジュリ。
 夜は一匹でオリーブ山へと向かった。
 そこの地図を見ながら、召喚カブトムシ・テツオに乗ってまっすぐに奥深くにある湖へと向かう。
 そこにアオイがいると、確信していたから。

 昨夜のキラの言葉を、ジュリは何度も頭の中で繰り返している。

(主の幸せは己の幸せ。主の不幸は己の不幸。そして、主の死は己の死……)

 やがて、湖へと辿り着いたジュリ。

(主がいなくなった世では、幸せになれない。主が永久の眠りについたのならば、己もその傍らで眠る。それがとても幸せなこと)

 10mほど先にいるアオイを見つめた。

(…あなたもそうなんですか……? アオイさん……)

 湖の畔のところ。
 アオイがときどき何かを追いかけているように手を伸ばして小走りになったり、ゆっくり歩いたり。

 アオイの呟いている言葉が、ジュリのよく利く黒猫の耳に聞こえた。

「エリック…、どこ…? エリック……」

 エリック。

 ジュリはそれが誰だか知らない。
 だが、アオイが探している飼い主だということは分かった。

 もうこの世にはいない、アオイの飼い主。

(飼い主さん――エリックさんは、もうこの世にはいないんです……)

 それをアオイに伝えなければならないジュリ。
 だけど、言葉が喉から出てこなかった。

「エリック? そこにいるんだろ? ねえ、エリック……?」

 そう微笑み、アオイはその盲目の赤い瞳で辺りをきょろきょろと見渡す。
 真っ暗な視界の中、主を呼ぶ。

 それを見つめながら胸に痛みを感じたジュリ。
 呼吸が止まってしまいそうなほど痛かった。

(いないんです、アオイさん…。エリックさんは、もういないんです……)

 喉から、その台詞が出てこない。
 伝えなければならないのに。

「エリック? ねえ、エリック…? どうしていつもみたいにあたいの手を引いてくれないんだい? そこにいるんだろ? ねえ、エリ――」

 地面の上に飛び出した木の根に躓き、アオイが前屈みに転んだ。

(――あっ…! アオイさんっ……!)

 と思わず駆け寄ろうとしたジュリ。
 だが、うつ伏せに転んだままアオイが突然声をあげ、驚いて足を止めた。

「ねえ、エリック! 早く起こして! あたいが転んだときは、いつもすぐさま起こしてくれるじゃないか! ねえ、エリック!」

 それは涙混じりの声だった。

「どうしてだい、エリック! 何のつもりだい、エリック! 昨夜からずっと、あたいはおまえさんを呼んでいるのに! ねえ、エリック…! 聞こえないのかい!? エリックってば……!」

 ジュリの耳に、アオイの悲痛な声が響く。

 アオイがどんなに呼んだところで、主がアオイの前に現れることはない。
 アオイがどんなに手を伸ばしても、主がその手を引いてくれることはない。

 アオイの主は、もうこの世にいないのだから――。

 目線の先にあるアオイが涙でだんだんとぼやけていく中、両手に持ったチャクラムを握り締めたジュリ。

(主の幸せは己の幸せ。主の不幸は己の不幸。主の死は己の死……)

 アオイのところへと向かって歩き出した。

(主のいなくなった世では幸せになれない。主が永久の眠りについたのならば、己もその傍らで眠る。それがっ……)

 ジュリの足音を黒猫の耳が察知し、立ち上がって振り返ったアオイ。
 その頬は濡れていた。

「ジュリっ……?」とジュリがいる方へと顔を向け、絶叫する。「ジュリ、あんたハンターなんだろ!? だったらあたいを助けておくれ! ねえ、ジュリ! あたいを今すぐエリックのところへ連れて行っておくれ!」

「それがっ……」

「ねえ、ジュリ! お願いだよ、あたいをエリックのところへ…、主のところへ、連れて行っ――」

「それがっ…」アオイの言葉を遮った、ジュリの涙声。「それが、とても幸せなことっ……!!」

 ジュリの両手から、チャクラムが放たれた。
 
 
 
 
 ジュリ宅の玄関先に立っているリュウとリーナ。
 これから瞬間移動で消えようという2人を、サラが呼び止めた。

「待って親父、リーナ。ジュリのところに行くの?」

「おう」と頷いたリュウ。「心配だからな」

 リーナが続く。

「うちもジュリちゃんの様子見にっ……!」

「アタシも行くよ。これ以上は凶悪モンスターを放っておけないからね」

 そう言ったサラ。
 普通は男でも両手で持たなければよろけてしまいそうな重さの長戟を、軽々と片腕で肩に担いだ。

 3人がオリーブ山の奥深くにある湖に辿り着くと、ジュリとアオイの姿が目に入った。

 アオイの方へと歩いて近づいていくジュリ。
 何やら泣き叫んでいるアオイ。

 3人がジュリに声をかけようと同時に口を開きかけたとき、ジュリの両手からチャクラムが放たれた。

 回りながら飛んで行った刃。
 それはアオイの胴体の上を斜めに滑って交差し、再びジュリの手へと戻った。

「――ジュ…リ……?」

 呆然とした様子のアオイ。
 白いワンピースを真っ赤に染め、後方へと倒れる。

「アオイさんっ……!」

 チャクラムを投げ捨て、ジュリが慌ててアオイの身体を抱いた。

 震えているジュリの身体。
 大きな黄金の瞳から、大粒の涙が幾多も零れ落ちていく。

 それを濡れていく己の頬で感じながら、アオイはようやく気付く。

(――ああ…、そうか……。あたいの主はもう、この世にいなかったんだ……)

 ふと微笑んだアオイ。
 手を伸ばし、ジュリの頬の涙を指で拭う。

「ジュリ…、あんた、本当に優しい子だね……」

 アオイの赤い瞳にジュリの顔は映らない。
 それでもジュリが今どんな表情をしているのか分かった。

「そんな顔するんじゃないよ、ジュリ。あたいは嬉しいんだからさ……」

「…っ……!」

 口を開いたジュリ。
 でも、涙しか出てこなかった。

「ジュリ…、その優しさがあるなら、立派なハンターになれるよ…。あたいの、主みたいに……」

 そう言って、ジュリの傍らに顔を動かしたアオイ。
 ジュリがそちらに顔を向けても何も見えなかったが、アオイにはきっと何か見えたのだろう。

 咳き込んで吐血したあと、アオイがジュリに顔を戻す。

「ねえ…、ジュリ……?」

「…は…はいっ……」

 と、やっとの思いで返事をしたジュリ。
 アオイが掠れた声で続ける。

「あんたに、お礼…言わなくっちゃね……」

「お…お礼……?」

「うん……。ジュリ……」

 ジュリの黄金の瞳と、アオイの赤い瞳。
 それが初めて合ったと思った瞬間、アオイの瞼はゆっくりと閉じていった。

「あたいを主のところへと連れて行ってくれて……、ありがとう……ね……」

 ジュリの頬に触れていたアオイの手。
 それは静かに、胸の上に落ちた――。

 はっとしたジュリ。

「ア…アオイさっ……!」

 アオイの身体を揺する。 
 もう二度と動くことはないと分かっていても揺する。

「アオイさんっ…! アオイさんっ……!」

 鼓動が感じられなくなったアオイの身体を抱き締め、嗚咽するジュリ。

 その頭の上に、サラの手が乗った。
 アオイの死に顔を見つめて言う。

「幸せそうだね……。あんたがアオイさんを救ったんだよ、ジュリ」

 頷いたジュリ。
 サラに抱き締められながら、ますます嗚咽した。
 
 
 
 
 翌日、再びオリーブ山の奥深くにある湖へとやってきたジュリとリーナ、リュウ、サラ。
 湖の周りを囲う木の根元に、アオイとエリックの墓を作った。
 たくさんの白薔薇と、きっとアオイも好きだっただろうビールを供えて合掌する。

「アオイさんもエリックさんも、これなら寂しくないやろ!」

 と笑ったリーナ。

「うん、これなら……」

 と笑って同意したジュリの瞳から、一粒の涙が零れ落ちる。

「ほら泣くな、ジュリ」

 と、ポケットの中からプラケースを取り出したリュウ。
 その中からタラコを取り出し、ジュリの口の中に入れて続ける。

「おまえはハンターとして、やるべきことをやった。おまえのお陰で人々が救われた。つまりおまえは偉い」

「はい、父上」

 と頷いたジュリを、サラが抱き締めた。

「よく頑張ったね、ジュリ。あんた、一人前のハンターとしてやっていけるよ」

 そんなサラの言葉に、顔を輝かせたジュリ。

「はい、サラ姉上!」

 と嬉しそうに笑い、サラに抱きついて甘えた。

 リュウが言う。

「うーん、ジュリに褒美を与えねーとな」

 うんうんと、リーナが頷く。

「せやな。ジュリちゃんハンターになってからは忙しいし、どこかに遊びに連れて行ってあげるのがええんちゃう?」

「あー、そうだね」と同意したサラ。「ねえ、親父。今月って兄貴の誕生日じゃん? カノン・カリンとセナもだけどさ」

「だな、今月はシュウの誕生日だな」

「その日にジュリ遊びに連れて行ってあげたら?」

「おう、そうだなサラ」と、声を高くしたリュウ。「ジュリ並に可愛いカノン・カリンとまだチビなセナの誕生日は別の日にちゃんと盛大に祝ってやるが、シュウの誕生日にはジュリ連れて皆でどこか行くか」

「シュウくん哀れやな……」

 とリーナが苦笑するものの、そういうことになった。
 リュウがジュリを片腕に抱っこして言う。

「んじゃ、帰るかジュリ」

「はい、父上」

 とリュウに言ったあと、もう一度アオイとエリックの墓に顔を向けたジュリ。
 そこで手を繋いだ2人が笑った気がして、微笑んだ。

(アオイさん、エリックさん、どうか天国でもお幸せに……)
 
 
 
 
次の話へ
前の話へ

目次へ
感想掲示板へ
小説トップへ
HOMEへ
inserted by FC2 system