第8話 そして失恋


 シュウ宅の裏庭、カレンは思い切って告白した。

「ずっと昔から、リュウさまのことが好きでしたっ……!」

 カレンと向かい合って立っているリュウが訊く。

「で?」
 ――ってオイ、親父!
 どうなの、その反応……!?

 屋敷の角から2人の様子を窺っていたシュウの顔が引きつる。

 カレンが困惑した様子で続ける。

「そっ、それであのっ…! あ、あのっ……、あたくしと再婚してくださいっ!」

 なかなかすごい台詞を頑張って吐いたカレン。
 リュウが即答する。

「無理」

 少しは考えたフリしてやれ!

 心の中、シュウは突っ込まずにはいられない。

「俺、キラしか愛せねーから」

 うわ、本当にバカ正直。

「悪いな」

 絶対思ってねーだろ、アンタ。
 ていうか……

 と、シュウはごくりと唾を飲み込む。

 どうする、カレン。
 どう出るんだ、カレン。

 ここでしつこく追いかけるようだったら、絶対親父ブチ切れんぞ…!?
 ていうか、おまえ絶対しつけーだろ、カレン……!

 だってあんなに親父のこと落とす自信満々だったし!?
 むちゃくちゃ親父のこと好きみてーだし!?
 もう何年も想ってるみてーだし!?

 絶対しつこく親父のこと追い掛けまわ――

「わかりました。諦めますわ」

 ほーらねえぇぇぇぇぇ!?
 ――って、え?

 シュウは耳を疑った。

 ウソ、何?
 諦めた?
 しかもすげーあっさり?
 どうしたんだよ、オイ……?

 予想外のことにシュウが困惑していると、リュウが踵を返して戻ってきた。

「これが俺のやり方だ。文句言うなよ」

 そう言って、シュウの脇を通り過ぎて玄関へと向かっていく。

 文句は言わない。
 バカ正直だったとはいえ、思ったよりずっとマシな台詞だったから。

(それより……)

 と、シュウはゆっくりとこちらへ向かってくるカレンを見た。

 キラの夜目が利くところは、それなりに受け継いだシュウ。
 暗くてもカレンの表情がよく見えた。

(ああ…、やっぱり……)

 シュウの胸が痛む。

(平気な顔、してねえ)

 カレンが必死に何ともない顔を作っているのが分かった。
 いつもの気の強そうな瞳は、とても弱々しくなっていて。

 俯きがちにシュウの脇を通り過ぎたカレン。

「おいっ……」

 シュウの手が、カレンの手首を掴んだ。
 カレンがシュウに背を向けたまま、口を開く。

「何かしら。あたくし、もう帰らなくては」

「……送る」

「1人で帰れますわ」

「何言ってんだ、方向音痴が」

 そう言ってシュウは、カレンの手首を引いてカレンの一歩前を歩く。
 カレンの歩くスピードに合わせて。

 シュウの自宅屋敷と葉月町だけを繋ぐ道を、無言で歩いていく。
 これから葉月町に入ろうかというとき、シュウが口を開いた。

「……大丈夫か?」

 カレンの足が止まる。

「…な…何を言っているのかしら。大丈夫に決まっているじゃない。平気ですわ、こんなの」

 シュウが振り返ると、カレンが俯いていた。
 カレンが続ける。

「平気よ…、平気なのですわ。だって…、だって、分かっていましたもの。昼間、リュウさまを見たときから……」

「え?」

 昼間といえば、カレンは屋敷の裏庭でキラたちと一緒にいるリュウを見た。
 そしてきっと、そのあとから元気がなかった。

「分かっていたわ…、分かっていたのですわ。…あなたのお母さまには、敵わないって…、分かっていたのですわ……」

 カレンの脳裏に再び浮かぶ。

 キラを見つめるときの、リュウの優しい顔が。
 リュウにあんな顔をさせることができるのは、きっとキラだけ。
 リュウが言ったように、リュウはキラしか愛せない。
 世の中のどんな女も、このカレンも、キラには敵わない。

 リュウに、愛されない。

「だからっ……!」俯くカレンの視界がぼやける。「だから、平気なのですわっ……!」

 カレンの足元に、ぽたりぽたりと雫が滲んでいく。
 シュウの胸がずきずきと痛む。

(ああもう……)

 一歩カレンに近づいたシュウ。

(葉月町に入れなくなっちまったじゃねーか……)

 カレンの小さな身体を、そっと抱き締めた。
 カレンは少し驚いてシュウの顔を見上げたあと、シュウの胸に顔を埋め、堰を切ったように声を上げて泣き出した。
 
 
 
 しばらくしてカレンが泣き止んだあと、カレンを家の前まで送って行ったシュウ。
 カレンの返答を予想しながら訊いた。

「カレン、その……、ハンターやめるか?」

「……あーら、どうしてかしら?」と、カレンのいつもの気の強そうな瞳がシュウの顔を見上げる。「あたくし、あなたの弟子をやってあげるのだわ」

「偉そうだな、オイ。……っていうか、まだハンターやる意味あんのか?」

 予想外のカレンの返事に、シュウは少し驚きながら訊いた。
 カレンがハンターになったのは、リュウの傍にいるためである。
 リュウのことを諦めた今、もうハンターをやる意味がないように思えた。

 カレンの顔がむくれる。

「何かしら。あたくしが弟子をやってあげると言っているのに、嫌だと言うのかしら」

「そうは言ってねーけどよ」

「だったら、おとなしく明日も迎えに来ればいいのですわ」

 と、もうすっかり元気になった様子のカレン。

「はいはい、分かったよ」そう言って、シュウは笑う。「それじゃ、また明日な」

 シュウがぽんとカレンの頭に手を乗せたあと、踵を返していく。

 リュウよりも少しだけ華奢なシュウの背中。

 それが見えなくなるまで、カレンは見つめていた。
 軽い動悸を感じながら。
 
 
 
 シュウが自宅へと帰って来ると、リンとランの双子が出迎えてくれた。

「おかえりなさいなのだ、兄上」

 そう声をそろえて、シュウをキッチンへと引っ張っていく。

 大好きなシュウをテーブルに着かせたリンとラン。
 キラとサラが用意してくれておいた晩ご飯を温めなおし、シュウに持ってきてくれる。

「ありがとな、リン、ラン」

 シュウに頭を撫でてもらい、リンとランは嬉しそうに笑った。
 シュウの向かいに座って、声をそろえる。

「それで、兄上」

「ん?」

「どこへ行っていたのだ?」

「へっ?」

 シュウの声が裏返った。

 ま、まずい。
 リン・ランはブラコン。
 カレンを送ってきただけならまだしも、抱き締めてましたなんて言えネエェェ!

「ちょ、ちょっとコンビニに――」

「兄上」

 リン・ランがシュウの言葉を遮った。

「な、なんだ?」

 消えるリン・ランの笑顔。

「服にマスカラ付いてますなのだ」

「――!?」

 しまったああぁぁぁぁ!!

 シュウは自分の胸元に目を落としてぎょっとしてしまう。

 こら、カレン!
 泣いても落ちねーマスカラ使えっ!

 あったよな、そういうマスカラ!?
 たしかうちの女たちが愛用してるとか何とか!
 何だっけ!?

 ウォ…?
 ウォーター……?
 ウォータークローゼット!?

 ――って、それ便所だよ!
 大丈夫か、オレ!
 すーげー恥ずかしいボケかましたぜ、オレ!

 シュウの動揺した様子を見て、リンが言う。

「ウォータープルーフのマスカラを使わないからそういうことになるのだ」

 そう、それそれ!
 ウォータープルーフ!
 カレンにすすめとこ。
 ていうか……

 シュウは苦笑した。

「リン、ラン。怒るなよ」

 ランが言う。

「あの女だな、兄上。カレンだな?」

 ばれてーら。
 完全にばれてーら。

 シュウは箸を置いて、溜め息を吐いた。

「そんなに心配すんな、おまえたち。カレンが好きだったのはオレじゃねーんだよ」

「え……」

 と、リンとランが、ぱちぱちと瞬きをしたのを見ながら、シュウは続けた。

「いずれバレるかもしれねーから言っておくけど……。カレンは、親父が好きだったんだよ。その想いが叶ったか叶わなかったかなんて、おまえたちも分かるだろ?」

「……」

「だからさ、あいつはオレの弟子続けるけど、そう目の敵にするなよ。あれで結構、繊細なんだぜ? 仲良くしてやってくれよ」

 リンとランが顔を見合わせた。
 そのあとシュウの顔を見て、リン、ランの順に口を開いた。

「分かりましたなのだ、兄上」

「今度カレンに会ったら、ごめんなさいしますなのだ」

「よし、良い子だな」

 そう言ってリンとランに笑顔を向けてやり、シュウは再び箸を手に持った。

「明日は兄ちゃんが、特別におまえたちの好きなものを弁当に入れてやろう」

 それを聞いて、リン・ランがきゃっきゃとはしゃぐ。
 キラ似の無邪気なその笑顔は、まだまだ幼い。

(やっぱ妹って可愛いよな)

 そんなことを思いながら、味噌汁をすすったシュウ。
 その背後を、リュウとミラが通り掛かる。

「さて、俺は風呂入るかな」

「パパ、私も一緒に入りたぁーい(ハート)」

「ぶっ」

 シュウ、味噌汁噴射。
 ミラが声を上げる。

「やだっ! お兄ちゃん汚いな、何してるのよ」

「おっ……、おかしいだろ、ミラ! おい、ここに座れ!」

 と、シュウは自分の隣の椅子を引いてミラを座らせた。
 リュウのことは風呂に行かせ、シュウは食事を中断してミラと向き合う。

「おい、ミラ」

「何よ、お兄ちゃん」

「今年で17になろう年頃の娘が父親と風呂入るなんて、おかしいと思わないのか!?」

「おかしいかしら」

「おかしいのっ!」と、シュウがミラにデコピン。「1匹で入れ! いいなっ?」

「はーい、分かったわよ……」ミラは額を擦りながらしぶしぶ承諾したあと、シュウの胸元に目を落とした。「ふーん。カレンさん、パパに振られちゃったんだ」

「――!?」

 なっ、何で分かったのおぉぉぉぉ!?

 シュウ、仰天。

 女ってスゲエェェ…!
 女ってコエェェェ……!

 なーんて思うのは後にしろ、オレ!

 リン・ランに続いて、シュウはミラにも言う。

「おい、ミラ。カレンさ、もう憎まれ口叩かねーと思うから仲良くしてやってくれねーかな」

「カレンさん、お兄ちゃんの弟子続けるの?」

「ああ。だからこれからも顔合わすと思うし。……いいよな?」

「……ん、いいよ。私ももう、怒ってないから」ミラがそう言って笑い、立ち上がった。「カレンさん、サラや三つ子とも喧嘩したんでしょ? 伝えてくるね」

「おう、サンキュ」

 シュウは再び箸を持ち、食事を続けた。

(あとは母さんだよな。全室の窓ガラス粉砕させるほど怒らせちまったし、大丈夫かな……)
 
 
 
 晩ご飯のあとにシュウがキラを探すと、キラは夫婦の寝室にいるようだった。
 ドアをノックして、キラの声が返ってきてから中に入る。

「どうかしたのか、シュウ」

 と、キラがビール片手に、ベッドの上に何十種類も並べられた首輪を見つめながら聞いた。
 猫科モンスターが揃って大好物のものといえばビールである。

 また、首輪は野生のモンスターではないという証になるものだから、キラのように純粋なモンスターは必ずつけなければならなかった。
 ハーフに関しては、ぱっと見でモンスターに近い場合は首輪をつけなければいけない。

 よって、黒猫の耳が生えているミラや三つ子、ジュリは首輪をつけている。
 黒猫の尾っぽだけが生えているシュウや双子は、つけなくても良い。
 黒猫の耳も尾っぽも生えていないサラは、まったくつけなくて良い。

 キラが真剣な顔をして訊く。

「なあ、シュウ。母上の明日の首輪、どれが良いと思う」

 最近、首輪をコレクションしているキラである。
 毎日違う首輪をつけては鏡の前で満足しているそうな。

「とりあえず、その皮製で鋲が一周ぐるりと打たれてて、いかにも首輪っぽいのは親父のドS心を鷲掴みにして朝まで寝かせてもらえないと思うからやめた方がいいんじゃねーかな」

「……。そうだな」

 キラが苦笑して納得し、レースで出来たチョーカーのような首輪を選んで着けた。

「それで、どうしたのだ? シュウ」

「ああ、うん。その……」シュウはキラの顔色を窺いながら言った。「カレンのことなんだけどさ……?」

「良いぞ」

「え?」

「おそらく、リュウに振られたカレンがこれからもおまえの弟子を続けるといったところだろう? 良い。連れてこい」

「なっ、なんで分かったの……!?」

「えっ!?」キラの声が裏返った。「べ、べべべ、別に母上はカレンがリュウに振られるところを立ち聞きなんかしてないぞっ?」

「……。ふーん……」

 シュウに白い目で見られ、キラは狼狽したように続ける。 「ほっ、本当なのだっ! 母上、本当に立ち聞きなんかしてないのだぞっ! 立ち聞きなんて、そんな悪いことしないのだぞっ?」と、言ったあと、キラが誇らしげに胸を張った。「母上な、ちゃーんと座って聞いてたのだぞっ♪」

「いや、うん、あのさあ……」

 立って聞いていようが座って聞いていようが同じことだと思うのだが、何でそれに気付かないんだろう、この黒猫。
 よくリンクさんに天然バカって言われてるけど、本当否定できねーぜ、オレは。
 なあ、ママン……。

 言葉が続かず、シュウは苦笑して話を戻した。

「えーと、それでさ、母さん」

「なんだ?」

「カレンとさ、その……仲良くやってくれるよな?」

「ああ」そう言って、キラが優しく微笑む。「だから心配せずに連れて来い」

「ありがとう、母さん。それじゃ、おやすみ」

 シュウは安堵して両親の寝室から出た。

 緩やかな螺旋階段を上っている途中、2階から下りてきたミラと遭遇した。
 ミラが笑顔で言う。

「あ、お兄ちゃん。サラもユナ・マナ・レナも、カレンさんのこと受け入れてくれるって」

「おう、そうか」

 それが分かれば、もう大丈夫だった。
 リュウはカレンを見たところで何食わぬ態度をするだろうし、これでカレンとシュウの家族が揉めることはないだろう。

「説得してくれてありがとな、ミラ。おやすみ」

 そう言ってミラの頭を撫でたあと、シュウは自分の部屋へと入った。
 シャワーを浴びる前に、少しの間だけベッドに寝転がって疲れた身体を伸ばす。

 そのときにメールの着信音が聞こえて、シュウはポケットから携帯電話を取り出した。

(カレンからか)

 そのメールの内容を見るなり、シュウは微笑んだ。

『今度、あなたのご家族に謝らせてもらえるかしら?』
 
 
 
 
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