第5話 喧嘩 後編
シュウは走った。
カレンを腕に抱えて走った。
死に物狂いで走った。
葉月町の中央、息を切らして母親・キラの銅像の前で四つん這いになる。
(や…屋敷、壊れてませんよーに……)
まったくキラの力は恐ろしい。
危うく屋敷が壊れるところだった。
そして、キラに喧嘩を売るこの女――カレンも恐ろしい。
「お、おい、カレン」
「なんですの?」
と、カレンが白い日傘を差しながら訊いた。
「死にてーのか、おまえっ……」
「死にたくありませんわよ?」
「だったら母さんに喧嘩を売るな! ていうか、オレの家族に喧嘩を売るな! 一番弱いミラだって、おまえ程度殺せちまうぞ!」
「レディのくせに、可愛らしくないのね。あなたあたくしの護衛でしょう? しっかり守りなさいね」
「おま――」
「ねえ、お腹が空いたわ。高級レストランのフルコース食べに連れて行ってちょーだい」
「んなだらだら食ってる暇なんてねえよっ」
「あたくしは食べたいと言っているのですわ。早く連れて行って」
「だから――」
「ああほらっ……」と、カレンがふらふらとよろけシュウに身を預けた。「空腹で倒れてしまいそうなのですわっ……」
いや、おまえ演技だろ。
そう心の中で突っ込みながら、シュウは溜め息を吐いて携帯電話の時計を見た。
(まあ、いいか……。オレの仕事が終わるの遅くなるだけだ)
シュウはカレンを連れて、高級レストランへと向かった。
魔法学校に入学して初日。
ユナ・マナ・レナの三つ子は、午後3時過ぎに下校していた。
ユナが泣きじゃくっている。
「えぐっ…えぐっ…、1年生のうちは学部関係ないのにっ……! 何であたしだけ別のクラスになっちゃったのっ? マナとレナは一緒なのにっ……!」
「もー、泣かないでよ、ユナ。大丈夫だよ!」と、レナが笑う。「別のクラスって言っても隣なんだし、休み時間になったら毎回遊びに行くし! ね、マナ?」
寡黙なマナが、静かに頷いた。
そのあと、遠くを見て口を開く。
「…あ……」
「え?」と、ユナとレナがマナの目線を追った。「あ、兄ちゃん」
ユナ・マナ・レナの足が止まった。
ついでにユナの涙も止まった。
3匹で顔を見合わせ、レナが言う。
「兄ちゃん、今朝一緒にいた女の子といるね。あの女の子、兄ちゃんの弟子って本当だったんだ」
「みたいだね」と、ユナ。「あの女の子、可愛いなあ。お姫様みたいで」
「…可愛いね……」マナが同意した。「あのほっぺ……」
ほっぺ……。
ユナとレナがカレンの頬に視線を向ける。
プニプニ……♪
なんて思っていたときのこと。
シュウがユナ・マナ・レナに気付いた。
「おー、おまえら今帰りかー」
と、シュウが一緒にいる女の子――カレンと共に、近づいてきた。
3匹でシュウの顔をじっと見上げる。
「? 何だよ」
「兄ちゃん」レナが訊く。「その女の子のどこが好き?」
「は?」
「ほっぺ?」
三つ子に声をそろえられ、シュウは眉を寄せる。
「ほっぺ…?」と、隣にいたカレンの頬に顔を向けたシュウ。「……うまそうだな、オイ」
「しっ、失礼ですわっ!」
カレンが顔を赤くして眉を吊り上げ、シュウの足を踏んづける。
「いてっ! なっ、なんだよ褒めてんのにっ!」
「褒め言葉になっていないのですわ!」
「いでででででっ! ヒールでぐりぐりすんなっ!」
シュウとカレンの様子を見て、三つ子が声をそろえる。
「仲良しだね」
「なっ、仲良しっ!?」と、カレンが三つ子に顔を向けると同時に、声を裏返した。「そ、そんなわけないでしょうっ!? バカなこと言わないでちょうだいっ!」
怒られ、途端に泣き虫のユナは涙ぐむ。
「ごめ…んなさ…っ……」
カレンが続けた。
「良いこと? あたくしはこのシュウではなくて、リュウさまを想っているのですわ!」
「えっ?」ユナが驚いた顔をしてカレンを見た。「パ…パパが好きなのっ……?」
どうやら、ジュリが産まれたときにカレンと出会ったことを覚えていないらしい三つ子。
カレンが続ける。
「そうよ、リュウさまよ! リュウさまは離婚して、あたくしと再婚するのですわ!」
「えっ……?」
ユナの瞳にさらに涙が溜まる。
カレンが、ふふん、と笑って続ける。
「あなたたちはリュウさまに捨てられるのよ。今のうちにせいぜい仲良し親子やってなさい」
ユナがついに泣き出した。
「ふっ…ふにゃああああん! パパはっ…パパは、あたしたちのこと捨てたりしないもおおおおん!」
「あー、よしよし!」シュウが慌ててユナの頭を撫でる。「当たり前だろ、ユナ。うちの親父が可愛い娘のおまえたちを間違っても捨てるわけがねえ」
「そうだそうだ!」
と、すっかり腹を立てたレナが声をあげた。
カレンを指差して言う。
「あんた、バカなこと言わないでよね!」
「バカはどっちかしら。あたくしがせっかく、これから起こる現実を教えてあげているというのに……」
「そんなわけないでしょ! パパはママのことしか愛せないんだからね!」
カレンがフンと鼻で笑う。
「笑わせないでちょーだい。先ほどあなたたちのお母様にお会いさせていただきましたけど、とてもではないけれどリュウさまと釣り合うとは思えないのですわ」
「は!? ママほどパパに釣り合う女の人いないよ! あんた、あたしたちのママのこと悪く言う気!?」
「リュウさまがあーんな野蛮なモンスターなど、愛するわけがないのですわ」
「バッカじゃないの! パパとママの愛の結晶を目の前にして、何言ってんの!? このチビデブ!!」
そして熱を増す喧嘩。
シュウが口を挟む隙なく、レナとカレンが言い争う。
「チッ、チビデブですってぇーーー!? もういっぺん言ってみなさいよ、この白髪頭!!」
「だっ、誰が白髪頭だ! 銀髪って言ってよね!」
「銀髪も白髪も一緒なのですわ! まるで老婆ね!」
「なっ、何だとぅ!? 焼いたモチみたいにぱんぱんの顔してるくせに!」
「なっ、何ですってぇーーー!?」
「ぷにぷに二の腕! ムチムチ太もも!」
「きゃーーーーーっ!!」と、カレンが甲高い声をあげた。「信じられないのですわ! 黙りなさい!!」
「貧乳!!」
「なっ、なっ、なんですってぇーーーーーー!? もう許さないのですわ!!」
ああ、何だろうこの子供の言い争い……。
シュウは苦笑しながら、ようやく割って入った。
「はいはいはいはい。落ち着け、おまえら。今朝といい、こんなところで迷惑だぞ」
「兄ちゃん邪魔しないでっ!!」
シュウの腕に押さえられ、じたばたと暴れるレナ。
そんなレナの肩を、マナがぽんと叩いた。
「帰ろう…」
「マ、マナ……」
レナはいつでも冷静で無表情なマナの顔を見つめたあと、頷いておとなしくなった。
泣いているユナの手を引き、家へと向かって歩いていく。
(ああもう、また余計な時間食っちまったじゃねーか……)
と、シュウが携帯電話の時計で時刻を確認して溜め息を吐いたときのこと。
まだこの場にいたマナが、カレンの顔をじっと見て呟いた。
「性格ブス…」
うわ、すげえ……。
シュウの顔が引きつる。
衝撃を受けて硬直しているカレンの脇を、マナが何事もなかったかのように通り過ぎていく。
どれからフォローしてやろうと考えながら、シュウはカレンに目を落とした。
「え、えと……、カレン?」
「……なんですの」
「あ、あれだぜ? おまえたしかに小さいけど、デブじゃねーぞ? うちの女たちは華奢だけど、おまえのその気持ち良さそうな頬とか二の腕とか太ももとか…って、太ももは見えてねーから知らねーけど……、オレはいいと思うけど? 女っぽくて」
「……」
「それに貧乳だって――」
「貧乳言わないでちょうだい」
「わ、わり。その…、ない方が可愛いと思うぜ? オレは……」
「……リュウさまは?」
「え?」
「リュウさまもそう思っているの?」
「えっ?」
シュウの声が裏返った。
や、やべえ。
親父すーげー巨乳派……!
嘘も方便というし、ここで嘘を吐いてやった方がいいのか?
いや待て、カレンはすでに巨乳の母さんに会ってんだ!
ま、まるで説得力ねえ!
や、やべえ。
どうしよう……。
カレンがシュウの顔を見上げる。
上目遣いでシュウを見つめるその瞳には、少し涙が浮かんでいる。
「う……」
ま、まずい、泣くかも。
シュウは慌てて言った。
「いいじゃねーかっ…、親父のことなんかっ……!」
「良くないのですわ」
「うっ、うるせえっ! 乳はない方が可愛い! 可愛いったら可愛い! おまえは可愛い!!」
なんじゃそりゃーーーっ!?
自分で言っておいて、シュウの顔が引きつる。
質問に対して、なーーんの答えにもなってねーぞ、オレ。
しかも何だ、オイ。
この自分の意見を押し通す強情っぷりはよ!?
まるで親父じゃんよ!?
駄目じゃんよ!?
もしかしてオレ、外見だけじゃなく中身も親父に似てんの!?
似てきてんの!?
うーわー。
オレの未来、すげー不安だぜ!
――って、話ずれてるぜ!
シュウは、はっとして再びカレンを見た。
俯いているカレン。
シュウに聞こえないように呟いた。
「…ありがとう……」
「え? 何?」
「何でもないのですわっ!」
そう言ってシュウを見上げたカレンの顔は、元気を取り戻していた。
どうしてかは分からなかったが、シュウは安堵して笑う。
「そうかよ」
「ええ。さあ、次のお仕事へ向かうのですわ」
「おうよ。早くしねーと仕事終わるの深夜になっちま――って、おいカレン。そっちじゃねえって。おまえ本当、激しい方向音痴だな……」
「うっ、うるさいのです……わーーーーーーっ!?」
「わーーーーーーっ!?」突然叫んだカレンに、思わず驚いたシュウ。「びっ、びっくりすんな、おまえ。どうしたんだよ?」
そう訊きながら、カレンの目線を追った。
そして、
「――!?」
顔面蒼白。
ごくりと唾を飲み込む。
ついに、
(会っちまったーーーーーーーーーーーっっっ!!)
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