第49話 約束のキス
夕立が止んだミヅキのアパートの前。
カレンに突然電話を切られ、シュウは眉を寄せた。
「えーと……?」
「カレンなんだって? 兄貴」
と、サラがシュウの顔を覗き込むように見て訊いた。
「な、なあ、サラ? 脇ヘアー、ノー処理OK? って何だろ?」
「は? 何それ」サラも眉を寄せる。「脇…ヘアー……? あ、脇毛のことじゃない?」
「ああ、なるほど。じゃあつまり、最近のレディは脇毛を処理しなくてもいいかと訊いてたのか、カレンは」
「……普通にした方がいいかと」
「ま、まあな。んで次……、腹マッスル割れてマッスルって何だと思う?」
「は? 何?」サラがますます眉を寄せた。「腹マッスル? マッスルって何のことだっけ?」
「筋肉」
「ってことは、腹筋じゃないの?」
「ああ、そうか。んじゃあ、最近のレディは腹筋が割れてますかと訊いてたのか、カレンは」
「……いやまあ、ハンターなら別に珍しくはないかと。アタシは縦には割れてても、横には割れてないけど。スポーツとかもやってない一般人の女の子だったら、なかなか割れてないんじゃない?」
「ていうか、カレンは何でそんなこと訊いてきたんだ? カレンは今ミヅキちゃんとと一緒にいて――」
シュウははっとして言葉を切った。
同時にはっとしたサラと顔を見合わせる。
「サ、サラ。も、もしかしてカレンはミヅキちゃんのことを言っていたのか?」
「あ、兄貴。も、もしかしなくてもカレンはミヅキの脇毛と割れた腹筋を見たのかと思われる!」
「じゃ、じゃあミヅキちゃんは、細くても筋肉質な脚をしていて、首が普通の女の子よりも太くて微妙に喉仏らしきものが見え、脇毛は処理していなくて、腹筋が割れてるってことだな!?」
「ま、間違いないよ!」
「…そ、そうか。…た、たしかなものを見たわけではないが……」シュウはごくりと唾を飲み込む。「オレは今……、ミヅキちゃんは男と判断した!!」
そういうことになると、サラは安堵する。
「なぁーんだ、ミヅキ男だったんじゃーん。んじゃあ、ヤキモチ焼く必要ないやっ♪」
一方のシュウは狼狽する。
「こっ、今度はオレが腹立つわ!! ミヅキちゃ――いや、ミヅキ!! 女のフリしてカレンにキスしてんじゃねえっ!! あああああっ、もうっ!! こうしちゃいられねえっ!! カレンは今、男と2人きりなんじゃねえかっ!!」
「うわ、そうだ」と、サラが目を丸くする。「あっ、危ないじゃんカレン!! よし、兄貴突撃しよう!!」
「いや、待てサラ! この格好じゃ怪しすぎてドア開けてくれねえ! かといって、カレンはオレの弟子だってこと一般人には広めないようにしないといけねえから、正体バラして突っ込むわけにもいかねえしっ……!!」
「ああもうっ、どうすりゃいいのさ兄貴っ!!」
「今考えてるよ!!」
シュウが頭をフル回転させ、ミヅキの部屋に自然と入れる方法を考える。
そこへ、一台のトラックがアパートの前に止まった。
マナの作った強力な痺れ薬をミヅキに飲まされ、カレンの身体が麻痺して動かない。
言葉すら喋ることができない。
ミヅキのドール作り専用にしている部屋。
そこは壁際の棚の上に隙間なく球体関節人形が並べられ、床には壊された人形たちが転がっている。
部屋の中央の作業台の上には、カレンの顔形をしたたくさんの人形の頭。
そして作業台の空いているスペースのところに、カレンの身体が寝かせられていた。
ミヅキの手が服にかかり、カレンは心の中で必死に助けを求める。
(助けて、サラ…! シュウ、シュウっ……! シュウっ!!)
ミヅキは不気味に微笑しながらカレンの服を脱がしていく。
「そんなに泣かないでよ、カレンちゃん。大丈夫だよ、優しくするから。怖くないよ」
インターホンが鳴った。
(シュウ…!? サラっ……!?)
そう察したカレン。
だが、ミヅキは無視してカレンの服を脱がし続ける。
今度は連続して鳴るインターホン。
「うるさいな」と、ミヅキが顔をしかめた。「誰だろう」
インターホンの次は、どんどんとドアを叩く音。
続いて玄関の方から声が聞こえてきた。
「ブラックキャッツ宅配便でえええええええす!! お留守ですかああああああああああああ!!」
シュウの声だった。
「ああ……、宅配便か。ドール作りの材料ネットで注文してたからな」
「重いです早くしてくださああああああああああああああああああい!!」
「そりゃたくさん注文したから重いだろうけど……」
「あああああっ、腕がちぎれるうううううううううううううううう!!」
「ああもう、分かったよ! 出ればいいんでしょ、出れば! まったく、どんな人雇ってんのブラックキャッツ宅配便!」
ミヅキが苛々とした様子で、玄関へと向かって行った。
途中でカメラに映された映像を確認すると、ダンボールの箱で玄関に立っている人物の顔は見えなかった。
ミヅキが玄関の鍵とチェーンを外す間も、ドアはどんどんと叩かれている。
「はいはい、今開けますよ!」
ミヅキがドアを開けると、目に飛び込んできたのは大きなダンボールだった。
「重いので中まで運びますねー」
「は? いいですよ、玄関に置いてくれれば――って、ちょ、ちょ……!?」
リビングまでダンボールに押し出されていくミヅキ。
ダンボールが床に置かれたときに気づく。
ブラックキャッツ宅配便の人だと思っていたミヅキだったが、その制服を身につけていない背の高い男が立っている。
サングラスに深く被った帽子と、見るからに怪しい。
そしてその背後からも、似たような格好をした女が現れた。
「――だっ……、誰ですあなたたちは!?」
「はいはい坊や、おとなしくしてねー」
と、男の背後から現れた女――サラが、ミヅキの両手を背後で押さえつける。
そして男の方――シュウはリビングの中をきょろきょろと見渡した。
ソファーの上にはカレンのバッグ。
リビングの向かって左側の部屋のドアが、開けっ放しになっている。
シュウはそこへ向かって歩いて行った。
中に入るなり、驚愕する。
作業台の上に、下着姿のカレンが寝かされていて。
「――カっ……カレン!!」
シュウはカレンに駆け寄ると、Tシャツを脱いでカレンの身体に被せた。
シュウを見るカレンの瞳から涙が溢れ出す。
「…シュ…っ……!」
上手く喋れないらしいカレンを見て、シュウはカレンがミヅキに何かおかしなことをされたのだと察する。
シュウはすぐさまカレンに状態異常も治る治癒魔法を掛けた。
狼狽したが故に、3回連続して掛けた。
麻痺が治り、カレンがシュウの身体にしがみ付く。
安堵し、声をあげて泣いた。
カレンの様子を見れば、カレンが何をされそうになったかは一目瞭然。
(――オレ、今初めて一般人をぶっ飛ばしたいと思った)
身体の脇で握られたシュウの拳が震える。
リビングの方からミヅキの声が聞こえてくる。
「ちょっ!? なっ、何すんですか!? ええ!? ちょ、ちょっと待っ……!!」
続いてサラの声。
「暴れんじゃないよ! おとなしくしな! ……あー、やっぱり!!」
サラがミヅキの腕を押さえながら、シュウのところまで連れて来る。
「兄貴!! こいつの下半身確認したよ!!」
「す……、すごいことするね、おまえ」シュウは苦笑しながら振り返った。「んで、どうだった?」
「リンクさんからアルミメダル奪取した感じなんだけど、最下位のアルミメダルだったリンクさんて今度は一体何メダルになっ――」
「んなことどうでもいいわ……。んで、つまり男だったのな」
「リンクさん……?」ミヅキが眉を寄せた。「葉月ギルド・副ギルド長の……? あなたたち、さてはハンターですね!?」
「だったら何だってんだよ、ええ!?」
サラがミヅキの腕を捻り上げ、ミヅキが顔を歪めて声をあげる。
「いっ……痛い痛い痛い痛い!! ハンターのクセに、一般人のぼくにこんなことしていいんですか!?」
「何を偉そうに!」
サラがますますミヅキの腕を捻り上ることにより、ミヅキもますます苦痛に声をあげる。
怒りで今にもミヅキを殴り飛ばしてしまいそうなシュウは深呼吸をした。
サラに言う。
「放せ、サラ。オレたちはハンターだ。一般人に暴力は振るえねえ」
「兄貴っ……」
「放せ、サラ」
シュウの顔を見て戸惑ったあと、サラはミヅキから手を放した。
ミヅキが言う。
「あなたたちのこと、葉月ギルドに連絡しますからね!! いきなりぼくの家に入ってきて、ぼくが何したっていうんだ!!」
「は?」サラが失笑した。「何したって? うちのカレン犯そうとしてんじゃないよ」
「えっ……!?」
ミヅキが困惑したようにカレンに顔を向けた。
シュウの着ていたTシャツを着て、シュウの背に隠れながら怯えた瞳でミヅキを見ている。
サラが作業台へと歩いて行き、カレンの顔をした人形の頭を1つ手に取った。
「しかも、何これ。カレンじゃん。何してんの、あんた。ド変態がいるって言って、警察に突き出してやるよ」
「あっ、あなたたちこそ、葉月ギルドに連絡すればクビになりますよ!?」
「アタシたちがクビだって?」サラがもう一度失笑し、シュウに顔を向けた。「兄貴、ここはビシッと言ってやんなよ。この際、かっこよーく正体バラすしかないって」
「……そう、だな」
ここは、威厳たっぷり俺様系親父のようにカッコ良く!
そう、親父のようにカッコ良く!!
シュウは咳払いをした。
リュウのように瞳を鋭く光らせてミヅキを見据え、
「ミヅキ……、オレたちを誰だと思っていりゅ」
やべっ、いきなり噛んだ!
シュウは少々赤面しながらサングラスを外し、
「おまえなんて、(親父に頼めば)すぐに留置所送りにできちまうぜ。そしておまえがオレたちをクビにしようとしても無駄だ。何でかって?」
ふ、と短く笑いながら、シュウは帽子を脱ぎ捨てる。
リュウのように声を冷たく響かせ、
「この顔を見れば分かるだろ……!?」
よし、なんとか決まったか?
とシュウが心の中でにやけたとき。
「――ぶはっ!!」と、サラが吹き出した。「あーーーっはっはっはっは! あっ、兄貴っ、兄貴っ!!」
「な、なんだよ。最初ちょっと噛んだからってそこまで笑わなくても――」
「ウィッグ! 兄貴、ウィッグ!!」
「――ハッ!」
しまった!
オレ今、10円玉ハゲつきボーズウィッグ被ってるんだった!!
シュウは首まで真っ赤にしながら、慌てて頭からウィッグを取った。
穴があったら入りたいほど恥ずかしい。
変装なしのシュウの顔を改めて見て、ミヅキが目を丸くする。
「えっ…!? リュウさんの息子の……!!」
「それから」と、サラがサングラスと帽子、ウィッグを取って言う。「ここに娘もいるよ? おまけに、兄貴の弟子でアタシの友達のカレン」
ミヅキがシュウとカレン、サラの顔を愕然として見る。
シュウは咳払いをして気を取り直し、ミヅキに言った。
「分かっただろ? オレたちを相手にするってことは、オレたちの親父を相手にするってことだ。んな恐ろしいことしねーで、おとなしく警察に――」
「ま、待って!」と、シュウの背中でカレンが慌てたように言った。「待って、シュウ、サラ……! ミヅキちゃんを警察には連れて行かないでっ……!」
ミヅキを庇うカレンを、シュウとサラは驚きながら見た。
カレンが続ける。
「ミ、ミヅキちゃん、繊細なのよ。心がガラスのように繊細なの。ミヅキちゃん、ドールは傷付くこと言わないから好きだって……。お姉さんたちにいじめられて育ってきたミヅキちゃんは、ドールに癒しを求めているだけなのですわっ……! だから――」
「カレン」と、サラがカレンの言葉を遮った。「庇わなくていいよ、こいつのことなんか。カレン、分かってる? あと少しで犯されるところだったんだよ?」
「わ、分かっているわ。と、とても怖かったものっ……! で…、でも庇わせてサラ……!」
「何で」
「警察はまずいわ、まずいのですわ」
「何で」
「警察に行かせたら、あたくしに飲ませた痺れ薬なんかのこともいつかは訊かれると思うのですわっ……!」
「痺れ薬」とシュウが鸚鵡返しに言った。「そうか、カレン痺れ薬飲まされてたのか! おい、ミヅキ! あんたどこでそのヤバイ薬を手に――」
「シュウ!」と、カレンが慌てたようにシュウの言葉を遮る。「そ、その痺れ薬のことなのだけれどっ……」
「おう?」
「…マ、マナちゃんから買ったみたいなのっ……!」
「は?」と、シュウとサラがぱちぱちと瞬きをする。「誰だって?」
「マ、マナちゃん。あなたたちの妹の、マナちゃんっ…! だ、だから警察に行ったらマナちゃんの名前も出てくることになるし、色々まずいと思って……!!」
「……」
シュウとサラは顔を見合わせた。
カレンの言葉を理解するまでに数秒。
そのあと、お互いの顔が驚愕していった。
「マっ、マナァァァァァァァァァァァ!?」
ミヅキを警察に突き出さない代わりに、シュウは4つミヅキに約束させて帰って来た。
1つ目は、カレンがこのシュウの弟子であることを言いふらさないこと。
2つ目は、マナが金を取って薬を売っていたことを黙っていること。
3つ目は、もう相手の許可なしに人形を作らないこと(特にカレン)。
4つ目は、当たり前だが強姦はしないこと。
帰って来たシュウはもちろん、まっすぐ三つ子の部屋へと向かってマナをみっちりと説教した。
そのあと夕食を食べ、後片付けをし、自分の部屋でシャワーを浴びる。
頭からシャワーを浴びながら、シュウは溜め息を吐いた。
(今日は修行の疲れを取らなきゃいけなかったのに、どっと疲れちまったな。なんかオレ、今日すーげーかっこ悪かったし……。同じ顔でも親父のようにはいかねーぜ……。……でも、カレンが何もされなくて良か――)
何もされなくて良かった。
と心の中で言おうとして、シュウははっとして顔を上げる。
(カレン、ミヅキにキスされてんだった!! …あああ…、もう……、オレなんか結局ほっぺにチューもしてねえのに……。あとでさせてもらおうかな…、いや、無理かな……。カレンは男に襲われたんだ。男が怖くなっちまっただろうな……)
シュウはもう一度溜め息を吐いた。
バスルームから出るとベッドにカレンが寝転がっているのが目に入って、シュウは少し驚く。
「カ、カレン……。な…、何してんだよ、おまえ」
「? 何って、ベッドに横になっているのですわ」
「……ちょっと無防備なんじゃねーの、今日あんな目に合っておきながら。ここはおまえの部屋じゃなくて、オレの――男の部屋だぞ」
「……あなたも、ミヅキちゃんと同じようなことするの?」
そう訊きながら、カレンの顔が悲しそうに歪む。
「し…、しねーけどさっ、オレはっ……」
シュウは言いながら、ベッドに腰掛けた。
背後に寝転がっているカレンに訊く。
「……おまえ、男が怖くねーの?」
「怖いわ。でも、あなたは怖くないのですわ。それから、あなたの周りの男性も」
「そ…、そか。サンキュっ……」
とシュウは笑った。
どうやらカレンに怯えられていないようで安堵する。
カレンが言う。
「今日、助けてくれてありがとう。あたくしね、今日心の中でサラとあなたに助けを求めたの。特に、あなたの名前は何度も叫んでいたわ」
「え……?」シュウは振り返ってカレンの顔を見た。「あ……、ああ、オレとサラがミヅキのアパートの前にいたの分かってたのか」
「それもあるけれど、サラとあなたがきっと遠いところにいても叫んでいたのですわ。特に、あなたの名前は」
どきどきとしながら、シュウは訊いた。
「そ…、それは何で?」
「何で? 愚問なのですわ……」
「えっ…?」
「あなた、あたくしの護衛でしょう」
「――ゴフッ」と、シュウの上半身がカレンの傍らに倒れる。「そ…、そうっすよね、オレってカレンの師であり護衛っすもんね……」
ああ…。
一瞬、カレンがオレのこと好きになったのかもって期待しちゃったぜ……。
カレンに背を向けて横臥した状態で、シュウは苦笑する。
カレンが言う。
「ねえ、シュウ」
「はい…」
「約束のキス、してよろしくてよ?」
「えっ…?」とシュウが顔を明るくし、寝返りを打ってカレンの方を見た。「約束のほっぺにチューOKっすか!」
「ほっぺじゃなくて唇でしょう?」
「――えっ、何!?」シュウは耳を疑った。「くっ、くくくっ、唇!? 唇って言った今!? 言ったの!? ハイそれじゃあもう一度! さんハイっ!」
「くーちーびーるぅーー。に、してよろしくてよ。最初はほっぺのつもりだったけれど……。あなたなら、嫌じゃないわ」
「……」
カレンの顔を見つめるシュウの頬がぽっと染まる。
カレンが仰向けに寝た。
瞼を閉じて言う。
「カモオォォォォンですのよ」
「まっ…、ま・じ・でええええええええええええええええええ!!」
ガバチョっ!
とシュウがカレンに負い被さり、カレンの唇に吸い付いた。
それこそ、襲ってるといわんばかりに。
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