第38話 上空5000mまでの階段


 カレンに手を伸ばしたら振り払われた。
 カレンの部屋のドアをノックしたら鍵を掛けられた。
 カレンの隣に座ったら、カレンが即その場から去っていった。

 カレンの名前を呼んだら、カレンが振り返ってくれた。
 でもその赤茶色の瞳は、とても冷淡だった。

(オレは地上。カレンは上空5000m。まるで手が届かねえ……)

 自分の部屋に備え付けてあるバスルームで頭からシャワーを浴びながら、シュウは絶望しかける。

「プリーズ上空5000mからダイビーングっ……!」

「なぁに、それ?」

 と、マリアの声。

 シュウが振り返ると、マリアが全裸でバスルームに入ってきていた。
 シュウの首にしがみ付く。

「シュウ、カレンちゃんのこと考えてたの?」

「……ああ」

「もうマリアがいるんだから、いいじゃない。あんまりマリア以外に夢中にならないでほしいにゃ」

 マリアの唇がシュウの唇に重なった。

「…マ、マリア……」

 シュウは戸惑いながら唇を放す。
 カレンの顔が頭に浮かんで。

 でもマリアは構わず唇を重ねてくる。
 その強引な様は去年と変わらない。

「マリア、シュウのこと大好きにゃ」

 それも去年と変わらないマリアの台詞。
 シュウはその言葉を疑うことはなかったし、実際マリアの本音だった。
 シュウの金が底を尽きるまでは。

「ねえ、マリアのこと抱いてよぅ」

 その台詞も、去年マリアを飼っていたとき毎晩のように言われた。
 そしてシュウはマリアが望むだけ、マリアを抱いていた。
 と言っても、リュウほど出来ないが。

(ああ、そうだよ。バケモノの親父には敵わねーよ。オレ3回が限界だし。――って、そんな情報バラさせるんじゃねーよ作者っ!!)

 なんて赤面しつつ、シュウはマリアの肩を持ってマリアを引き剥がした。

「ご……、ごめん、マリア。オレ今、そういう気になれなくて……」

「シュウ……?」マリアの瞳が潤む。「マリアのこと、ペットにしてくれたんだよね? それなのに、マリアのこと嫌いなのっ……?」

「そうじゃねえよ、そうじゃねえっ……!」

「Dカップじゃ嫌?」

「そっ、そうでもなくてっ…、その……カレンが悲しむ気が――」

「自惚れにゃ」

 うん、そうだよね。
 オレの自惚れだよね。

 シュウが苦笑して再びマリアに唇を奪われたとき、バスルームの戸が蹴り開けられた。

 バァン!!

「ハイハイ、そこの白猫退いてねー」

 サラだった。
 しかも全裸。

 シュウが仰天してしまう中、サラがマリアの首根っこを引っ掴んでバスルームから放り投げる。
 脱衣所に鍵を掛け、浴室にも鍵を掛ける。

「お、おい、サラ!? おまえ何して……!?」

 シュウは慌ててサラに背を向けた。
 マリアが入ってきたときは驚倒しなかったが、年頃の妹が入ってきたとなれば驚倒してしまう。

「16の女の子が、恥じらいなく兄ちゃんの前にマッパで出てくるのっておかしくねえっ……!?」

「気にすんなって。入れ替わったときにお互い見てんでしょ」

 サラが言いながら風呂椅子に座った。
 ボディソープを含ませたバススポンジをシュウに渡して言う。

「ほら、背中流して」

「な、何様だっ、おまえはっ……!」

「早くしろっての」

「…ま、まったくもうっ……!」

 シュウは戸惑いながらサラの背に回って膝を付き、サラの背中をバススポンジで擦り始めた。
 めっきり強くなったサラだが、キラのように細い背をしている。

「ねー、兄貴」

「何だよ」

「アタシさ、もうすぐで兄貴は自分がカレンのこと好きだって気付いて、カレンにそれを伝えて、カレンとくっ付くんだと思ってた。そう、確信してた。なのに、こんなことになってビックリだよ」

「…ご、ごめん……」

「兄貴は、カレンよりマリアなんだね」

「そっ、そういうんじゃねえっ!」シュウは声をあげた。「そういう気でマリアをペットにしたんじゃねえんだよ……! オレ……、オレ、去年マリアを飼ってたときから、マリアを幸せにしてやりたかったんだ。だから――」

「それは兄貴自身の手じゃなくてもいいんでしょ? マリアが兄貴よりいいって思う人が現れたら、兄貴はその人にマリアを渡すんでしょ?」

「ああ……。もちろん、オレよりマリアを幸せにできる人が現れたなら、オレはその人にマリアを委ねるよ。マリアはそれを望むから」

「だったら兄貴がマリアの飼い主になるなんてやめて、他にマリアの飼い主を探せばいい。それでマリアを兄貴よりも幸せにできる人に渡して、兄貴はカレンを愛せばいい」

「で…、でもさ、カレンはもう遠いところにいるっていうか……」

「ああ、親父にカレンは上空5000m地点にいるって言われたんだって?」と、サラが笑った。「たしかにね。それくらいカレンは届かないところに行っちゃったよ。アタシが兄貴のこと話そうとしても、まるで聞いてくれないし」

「そ…そか……」シュウの胸が痛む。「だからもう、オレ……、カレンのこと諦め――」

「好きなんでしょ?」

 サラが声を強くして、シュウの言葉を遮った。
 顔をシュウの背後に向けて訊く。

「自分がカレンのこと好きだって、気付いたんでしょ?」

「…き、気付いたよ……、さすがに」

「だったらカレンのこと追えばいい! 今度は兄貴が追いかければいい! 上空5000mまでの階段駆け上がるくらいの根性見せろ、このバカ兄貴っ!!」

「サ、サラ――」

「そんなに」と、サラがシュウの股間に目を落とした。「えげつないくらい立派なもん付けてんだからさー」

「――ばっ……!?」シュウは赤面し、慌てて股間を隠す。「みっ、見てんじゃねえっ!! だ、大体こんなとこのデカさが何で根性に繋が――」

「ああ、アタシはデカさよりカタさ派ね」

「は!? おま、何の話して――」

「大切なのは1に愛、2にカタさ、3にデカさ、4にテク」

「おい――」

「その比率としては8:1:0.6:0.4かなあ」

「こら――」

「よって愛があればOKっていうか?」

「サラ――」

「ああでも、レオ兄のカタさは天下一品……!」

「いっ、いい加減黙れえええええええっ!!」シュウはサラの口を塞いだ。「女が親父に似るととんでもねえことになるな、オイ!? 恥じらいをどこに落としてきたおまえはよ!? え!?」

 サラがシュウの手を離し、溜め息を吐く。

「話ずらすなって、兄貴」

「お、おう、ごめん――って、それはおまえだろうがっ!! 話を戻せ、話を!!」

「さっき述べた大切な順番と比率についてはあくまでもアタシの中のことで――」

「そこじゃねえっ!! もっと前だよ、もっと前!!」

「ああ、もっと前ね。早く言えっての」

「お、おう、ごめん――って、分かれよそれくらいよ!?」
「で、何だっけ?」

「忘れたのかよ!!」

「冗談だって」

 そう言ってサラが笑い、顔を前に戻した。
 数秒間を置き、サラが再び口を開く。

「兄貴」

「何」

「兄貴ってさ、来るもの拒まず去るもの追わずって感じだよね。去年マリアを飼ったのも、マリアに泣きつかれたからだったし。マリアが望んだものは、何でも与えてやってるように見えた。マリアが他の人のところに行きたいって望んだときも、兄貴はまったく止めなかったね」

「……ああ」

「兄貴、マリアが去っていってからしばらく空元気だったよね。アタシたち家族に心配かけないように必死に笑顔作ってたんだろうけど、兄貴がひどく悲しんでたのはみんな分かってたよ」

「……そうか」

「アタシにはとてもじゃないけど出来ないや。レオ兄がアタシのところを去ろうとしたら、アタシは必死にレオ兄を追うよ。泣き喚いてすがり付いて、どんなにカッコ悪くてもレオ兄が傍にいてくれるならいいよ。レオ兄なしの生き方なんて、今さら分からなくて……」

 力も気も強いサラが、何だか弱々しくシュウの目に映った。
 そして不思議と、リュウのキラに対する思いを聞いている気がした。

 たしかシュウとカレン、サラとレオンのダブルデートの日にレオンが言っていた。
 リュウに似たサラは、とても弱い部分を持っていると。

 あのときは分からなかった。
 サラとリュウの弱さなんて。
 特に、リュウに弱いところがあるなんて。

 でも今、それを分かった気がした。

 サラが続ける。

「兄貴って強いんだなって、アタシ思うよ。愛する人が遠くに行っちゃっても耐えられるなんてさ。愛する人の幸せを一番に考えられる兄貴はすごいと思う。……でもさ、もうちょっと自分の幸せのために必死になってみてもいいんじゃない?」

「…でも、もうカレンはさ……」

「マリアを幸せにするのは兄貴じゃなくて金。カレンを幸せにするのは金じゃなくて兄貴だった。そして兄貴を幸せにするのもカレン。アタシさ、兄貴といるときのカレン見てるの好きだった。本当、可愛くてさ。それから、カレンといるときの兄貴を見てるのも好きだった。去年マリアを失って以来ぶりに見たよ、あんなに幸せそうな兄貴の笑顔。毎日でなくても、よく見れたらいいなって思う。…だからさっ……」

 と、サラが涙に声を詰まらせた。

「諦めるなんて言わないで、上空5000mまでの階段上りきれってんだっ……!」

「…サラ……」

 サラの背が少し震えている。

(そうだな……、サラ)

 シュウは微笑んだ。

(上空5000mまでの階段を上ろう。オレは、カレンのことが好きなんだから。ここで諦めたら、情けない兄ちゃんになっちまうよな)

 シュウの腕がサラを抱き締める。

「ありがとな、サラ。おまえって可愛い奴」

「あっ、兄貴……!?」と、サラが驚愕した様子でシュウの顔を見た。「アタシ兄貴とエッチは激しく抵抗があるん――」

「当たり前だっ!!」
 
 
 
 風呂上り、シュウはカレンの部屋のドアをノックした。
 カレンの返事がない。

「カレン? もう寝たか?」

「寝たわ」カレンの刺々しい声が返ってきた。「だから何も聞こえなくってよ」

「んじゃ、独り言」

 シュウは少し間を置いてから続けた。

「オレは今地上にいて、カレンは上空5000mにいて……って、意味わかんねーか。まあ、今オレとカレンにはそのくらいの距離ができちまってて、今のオレがカレンに手を伸ばしてもまるで届かないんだけど……。オレ、カレンのいるところまでの階段上ろうとしてるとこ。やっと気付いたんだよ、オレはカレンのことが好きだって。だから……、階段上る」

 カレンの返事はない。

「よって、そこで待っててくれると嬉しい……です。……以上、オレの独り言。おやすみ」

 シュウは、カレンの向かいにある自分の部屋に戻った。
 中に入るなり、マリアに唇を奪われる。

「マリアっ……」シュウはマリアの口を手で塞いだ。「んなことしなくても、金ならやるから」

 マリアがぱちぱちと瞬きをし、シュウの手が離されてから口を開く。

「エッチしなくてもいーんだ?」

「ああ」

「シュウって、それでもお金くれちゃうんだ?」

「ああ」

「変なのー。ま、それならそれで楽だけどにゃんっ☆」

 マリアがシュウから離れ、自分の荷物の中から宝石を取り出して遊び始める。
 宝石に囲まれてはしゃぐマリアをしばらくの間見つめたあと、シュウはベッドに寝転がった。

(まずは、マリアにこれ以上ないくらいぴったりの飼い主を見つけてやること……だな)
 
 
 
 
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