第31話 落ち込んだ双子


 6月末。
 季節は梅雨に入り、外では雨が降りしきっている。

 自宅リビングの中、ほぼ同時に仕事から帰ってきたリュウとサラはソファーに座って晩酌をしていた。

「ねえ、親父。春だねえ」

「ああ、サラ。春だな」

 リュウとサラの目線の先には、テレビの前に胡坐を掻いて座っているシュウの背。

「本当、春だよねえ、親父」

「本当、春だぜ、サラ」

「アレの」と、リュウとサラは声をそろえる。「脳内」

 アレ=シュウであるが、そんな背後の方で行われている会話は、本人の耳には入っていない。
 膝の上に座らせているカレンの爪を整えてやって、ご機嫌そうな声が聞こえてくる。

「でーきたっ! よしよし、これで怪我しねーなっ♪」

 ここのところ、シュウはずっと機嫌が良い。
 6月の半ばにカレンの気持ちを知り、カレンとキスして以来ずっとだ。

「それにしても、何だよこの可愛い手。こんな可愛い手、子供以外でなかなか見たことねえ。ああ…、たまらなく可愛いぜ……」

 と、カレンの小さな手を見つめてうっとりとした様子のシュウ。
 そんなシュウを指し、サラは小声で言う。

「親父、親父。兄貴の奴、あれでも自分がカレンのこと好きだってことに気付いてないんだよ」

「まじかよ、オイ」と、リュウも小声になる。「あいつ最近、カレンの頭から爪先、中身まで全て可愛い可愛い言ってるけど、惚れた欲目だってことに気付いてねーのかっ……」

「最近の兄貴ってさ、ママを見る親父みたいだよね」

「ばっ……! 何言ってんだよっ……!? 俺がキラを見るときなんて、もっとうっとりしてんぞ!?」

「……。そうだけどさ」

 ひそひそと話しているリュウとサラに向かって、シュウがくるりと身体の向きを変えた。

「見て見て、親父、サラ」と、シュウがカレンの手首を持ち、カレンにバンザイさせて言う。「かっわいいだろ、このカレンの手ー♪ 小さい子供みてえーっ♪」

 にこにこと笑っているシュウ。
 その膝の上のカレンの顔を見ると、複雑そうな表情をしていた。

(あたくし、何でこんなに子供扱いされてるのかしら……)

 シュウに抱っこされるのは嬉しいが、やっぱり何かが違う。

(あたくしにとってシュウは恋する相手だけれど、シュウにとってのあたくしはやっぱり妹と変わらないのかしら)

 そんなことをカレンは感じている。
 まあ、それは好きだと告白する前からのことだが。

 でも、以前に増してシュウが構ってくれるようになったのも事実だ。

(よく構ってくれるようになったのは、あたくしの気持ちを知って、ただ単に嬉しいから? それだけよね? あたくしのこと恋の対象として好きとかそういんじゃないわよね)

 じゃあ、シュウがこっそりおやすみのキスを毎晩してくれるようになったのは何故だろう。
 カレンはますます疑問が浮かんでしまう。

(あたくしが毎日どきどきしているおやすみのキス……。それも妹としてる感覚だっていうのかしら。たしかに、いつも軽いキスよね。サラがシュウの身体になったときは、もっとこうラブラブな恋人同士がするような濃厚なキスだったし。やっぱりあたくしとのキスは、妹としている気分なのかしら……?)

 カレンは頭を後ろに傾け、シュウの顔を下から見つめた。

(ああもう、考えるのやめましょう。考えれば考えるほど分からなくなってくるのですわ。それに、今のあたくしはこれだけでも幸せを感じているのだから。あのとき思い切って告白して良かった。迷惑がられなくて良かった。喜んでくれて良かった……)

 シュウがカレンに目を落とし、頬を指でつんつんとしながら訊く。

「何だ、人の顔じっと見て。キスか」

「カモオォォォォン! ですのよ」

「やめろよ、カレン。おまえのその台詞のせいで、一部の読者さまの腹筋が破壊された挙句に窒息死してるらしいぜ」

「知っててワザと言ったのですわ」

「ちょっと楽しいしな」

「ええ」

 シュウがカレンに、ちゅっと音を立ててキスをする。
 リュウは溜め息を吐いて言った。

「シュウおまえ、女にうつつ抜かして叶えるべき目標忘れんなよ」

 リュウの目にはカレンがシュウに夢中になっているというよりも、シュウがカレンに夢中になっているように見えて。
 シュウとカレンが仲良くやってくれること自体は良いのだが。

 夢中になりすぎて、シュウの目標である『親父を超えること!』というものが忘れ去られているような気がしてならない。
 シュウにさらさら抜かされる気はないリュウだが、シュウにその目標を忘れてほしくはない。

 そしていつかは、あくまでもいつかの話だが、超えるとは言わずとも並んでほしいと思う。
 男の子が産まれたら、このリュウに継ぐ超一流ハンターに育てるのが夢だったから。

 シュウがリュウの顔を見て口を尖らせる。

「べ、別に忘れてねえよっ……! いつでも母さんに夢中な親父に言われたくねえってのっ……!」

「俺はキラに夢中になる分、強くなるからいいんだよ」

 たしかにリュウは、今年で39歳だというのに未だに強くなり続けているようなバケモノだ。
 その一番の原因がキラ、次に来るのが娘たちだろう。
 それらを守るために、リュウは強くなっている。

「……ま、忘れてねーならいーけどよ」

「おう」

「ところでよ、シュウ」

「なんだよ、親父」

「おまえ、リン・ランの前じゃカレンと何もないフリしてるつもりだろうが、リン・ランはおまえの異変に気付いてんぞ」

「へっ?」動揺したシュウの声が裏返った。「う、嘘っ、何でっ……!?」

「まー、気付くだろうねー」と、サラが口を挟んだ。「兄貴、リン・ランの前でカレンのこと構わなくても、カレンを見る目がこの間までと違うもん。自然と目で追ってるし。カレンも、リン・ランとここ最近気まずそうだよね」

「え」と、シュウは再びカレンに目を落とした。「な、何、そうなのかっ?」

「え? えと……」カレンがシュウから目を逸らしながら言う。「す、少しっ……」

「なっ、なぬぁー!? お、おいカレン、リン・ランと喧嘩になったりしてねえっ?」

「ええ、大丈夫よ。喧嘩にはなっていないのよ。喧嘩ではなくて……、リンちゃんランちゃんが、あたくしのせいで何だか落ち込んだ様子で……」 「いや、間違ってもカレンのせいじゃないけどさ」と、サラ。「兄貴、ちょっと最近リン・ランのこと放っておきすぎなんじゃない?」

「え……」

 言われてみれば、そうだったかもしれない。
 ここ最近、リン・ランの笑顔を見ていない気がする。

 シュウの様子を見たカレンが膝の上から避けると、シュウはリン・ランの部屋へと向かって行った。
 
 
 
 双子の三女・リンと四女・ラン。

 母親譲りのガラスのような美しい銀髪と、大きな黄金の瞳が彼女たちの自慢。
 チャームポイントは何かと訊かれたら。「兄上――シュウと、とおそろいの黒猫の尾っぽ」だと答える。

 現在、満14歳で魔法学校水学部3年生。
 その並外れた魔力から、6年生のトップもびっくりの優等生。

 身長は次女・サラの次に高い165cm。
 身長の高さは父親似なのだろうが、口調・性格などは母親似。
 たまに激しく天然バカなところには困ったもの。

 ブラコン歴10年以上。

 そんな彼女たちの部屋の中。
 ここ最近、頻繁に深い溜め息が漏れている。

「はぁ……」

 と、リンが溜め息を吐き、

「はぁ……」

 と、ランも溜め息を吐く。
 只今ベッドに寝転がり、一緒にシュウの隠し撮り写真集(カレン集団リンチ事件の犯人からもらったもの)を見ているのだが、普段はあまり見ることのできない仕事中のシュウの姿に恍惚として溜め息を吐いているわけではない。

「兄上、最近カレンちゃんと仲良しだな……、ラン」

「うむ、とっても仲良しなのだ……、リン」

「兄上、最近わたしたちのこと忘れてる気がするのだ……」

「うむ、とっても忘れられてる気するのだ……」

 そんな心配が、リン・ランに溜め息を吐かせていた。
 同時にぽろりと零れてきた一粒の涙を手の甲で拭う。

「何故だと思う、ラン」

「何故だと思う、リン」

「わたしたちが、悪いことしたからかっ?」

「わたしたちが、兄上とサラ姉上の中身が入れ替わったときに、兄上の身体をいじくったからかっ?」

「あのとき、いじくりまくったからかっ?」

「あのとき、楽しみまくったからかっ?」

「でも、わたしたち的に一線は越えてないぞっ」

「うむ、わたしたち的に我慢したぞっ」

「それにしても、あのとき……」と、声をそろえたリン・ラン。「楽しかったぞー……」  当時を思い返し、恍惚とする。
 その後方――ベッドの足元で、少し前から部屋に入ってきていたシュウは顔を引きつらせた。

「……コラ」

 とシュウの声で、リン・ランが驚倒して飛び上がる。

「ふにゃああああああっ!?」同時にくるりと振り返り、シュウの顔を目を丸くして見る。「あっ、兄上っ!? いっ、いつからそこに!?」

「少し前からだよ。おまえたちオレの中身がサラになってたとき、オレの身体を随分といじくって楽しんだようだな」

 怒ったシュウの顔を見て、リンとランが泣き出す。

「ふっ、ふにゃあああああん! ごめんなさいなのだああああああ!」

 わんわんと泣かれ、シュウは脱力してしまう。
 苦笑しながら双子の頭を撫でてやる。

「ああもう、泣くなよ。兄ちゃん怒ってねーから。おまえたちの一線が、兄ちゃんの中の一線と同じだと信じてるぜ……」 「兄上ええええええっ!!」

 リン・ランがシュウにしがみ付いた。
 リン、ランの順に言う。

「あっ、兄上っ、最近わたしたちのこと忘れてませんかなのだっ?」

「あっ、兄上っ、最近カレンちゃんのことばっかり見てませんかなのだっ?」

 ギクッ

 としてしまったシュウは、慌てたようにリン・ランの頭を胸元に抱き締めた。

「そんなことねえよ。兄ちゃん、おまえたちのこと忘れたことなんかねーし」

「ほ、本当にっ?」

「本当、本当。え、えと、うーん……、そ、そうだ、リン・ラン!」シュウは双子から深く疑われないうちに話を逸らした。「今度、兄ちゃんと一緒に出掛けようぜ!」

「えっ?」と、リン・ランがシュウの顔を見上げる。「兄上とお出掛けっ?」

「ああ。最近、オレとおまえたちだけで出掛けてなかっただろ。行きたいところとか日付とか決めておけよ。兄ちゃん、その日の分の仕事は前日までに終わらせるから」

 リン・ランの瞳が輝き、満開の笑顔が咲く。

「にゃああああっ! 兄上とお出掛けなのだーーーっ!」

 ベッドの上、リン・ランが抱き合って小躍りする。

(ああ……、やっぱり)

 シュウの胸が痛んだ。

(リンとランの笑顔、久しぶりに見た。オレが知らないうちに、落ち込んでたんだな……)

 シュウはリン・ランの額にキスしてやったあと、部屋をあとにした。
 ドアの近くには、カレンとサラの姿があった。

「コラ」と、シュウはカレンとサラにデコピンする。「立ち聞きか」

「別に、そういうつもりじゃないよ」と、サラが額を擦りながら言う。「リン・ランがちょっと心配でさ。んでも、元気出たみたいだね」

「ああ」

 シュウは頷いたあと、機嫌を窺うようにカレンの顔を見た。
 カレンが笑って言う。

「あたくしのことは気にしないで、リンちゃんランちゃんとお出掛けしてきてよろしいのですわ」

「おう……、サンキュ」

 そう言って微笑んで、シュウはカレンの唇にキスした。

 リン・ランの『兄上とお出掛け』は、次の土曜日に決定された。
 
 
 
 
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