第110話 次女の始末 後編
葉月町の中央。
キラの銅像前。
「――えっ、ええぇぇええぇぇええぇぇえええぇぇぇえぇえぇぇぇえ!!?」
シュウの絶叫が響いていた。
レオンが周りの目を気にしながら苦笑する。
「シュウ、静かにして…」
「だ、だだだだだだって! ププププロポーズ!? レオ兄、サラにプロポーーーズっ!?」
「うん」
「プ、プププ、プロポーズっ…! プロポーズ、プロポーズ、プロポーズ、プロポーズ、ポロポーズっ!」
「シュウ、落ち着い――」
「ハイ、ポーズっ!」
「こう?」
ピロピロリン♪
と、音が鳴ったシュウの携帯電話のカメラ。
「……」
「……」
シュウとレオン、赤面。
「…お…思わず乗っちゃったじゃない。や、やめてよシュウ。僕ときどき月刊『NYANKO』のモデル務めてるんだからさ……」
「ご、ご、ごめんレオ兄っ…。でもカッコ良かったからあとで画像送っておく……。そ、それで」と咳払いをし、シュウは冷静になってもう一度訊く。「レオ兄、サラにプロポーズすんのっ?」
「うん」
と、微笑んだレオン。
ポケットの中から小箱を取り出した。
「うわあ」とシュウの目が丸くなった。「それ、婚約指輪っ?」
「そう」
「すげー…。レオ兄、マジなんだ」
「そうだよ?」
「なんで?」
「なんでって…」
と、きょとんとした顔になったレオン。
シュウ自身も愚問だと思ったが、
「愛してるから」
そんな当然のレオンの言葉を聞いて赤面した。
「? 何でシュウが赤くなるの」
「つ、ついっ…。レオ兄があまりにもさらっと言うからさっ……」
もう一度咳払いをし、シュウはレオンが手に握っている小箱に目を落とした。
サラの顔を思い浮かべて微笑む。
(あいつ、すーげー喜ぶんだろうなあ…。ガキのころから大好きだったレオ兄からプロポーズされるなんて……)
サラの背に庇われているカレン。
サラに異変を感じ、サラの顔を覗き込んだ。
「サ…サラっ? ど、どうしたのっ? サラっ……!?」
「…レ…レオ兄っ……?」
呆然として立っているサラ。
唇が小刻みに震えていた。
前方5メートルのところにいるキャロルが言う。
「どうですか? 愛する男性の心の声は」
「えっ…!?」
と一度キャロルを見たカレン。
再びサラを見る。
「サラっ!? どうしたのっ!? サラっ!?」
「…あ…やっ……」
サラが首を横に振る。
響いてくる。
サラの頭の中に。
レオンの声が。
――僕もいよいよサラと結婚か、ダルイな。
サラの声が震える。
「…レ…レオ兄…?」
――何で僕が。
「レ…レオ…兄っ…?」
――こんな我侭で横暴で生意気な子供なんかと。
「…レオ兄っ…!」
――愛してもいないのに。
「それがっ…、本心っ……?」
――愛してなんか、いないのに。
「…ちっ…、違う違う違うっ! レオ兄の本心なんかじゃないっ!」
サラが叫ぶと同時に、その黄金の瞳から涙が零れ落ちた。
カレンが狼狽して声をあげる。
「サラっ!? サラ、どうしたの!? レオンさんが、何だっていうの!?」
ふふ、とキャロルが笑った。
「なぁーんだ、もう泣いちゃった。あなた、強がってても結構弱いんだ」
俯きがちになっていたサラは顔をあげた。
キャロルがバッグの中に銃を戻し、バッグを足元に落とす。
そして己の首の後ろへと右手を持っていった。
「こんなもの用意してこなくても、充分に始末できちゃったかな…」
キャロルが羽織っていたスプリングコートの中から真っ直ぐ上に引き出したものを見て、サラはカレンの身体を脇に突き飛ばした。
(――仕込み杖!)
背に隠し持っていたソレから刃を抜き出すなり、サラに飛び掛ったキャロル。
振るった刃が空を切った。
「さぁーすが猫さん。すばしっこいこと」
宙から地へと下りてくるサラを目で追いながら、キャロルがまた、ふふ、と笑う。
たん、と身軽な音を立てて地に足を着けたサラ。
その目は落ち着きを払っていなかった。
(違うっ…! レオ兄の本心なんかじゃないっ……!)
頭の中から消えてくれないレオンの声。
――愛してなんか、いないのに。
それはレオンの本心なんかではない。
そう思うのに、サラの胸が潰されそうになる。
サラの様子を見てキャロルがまた、ふふ、と笑った。
「そんなにぼーっとしてると、斬られちゃいますよ?」
サラに向かって刃を振るうキャロル。
普段の修行と両親から継いだ身体能力のおかげで、サラの身体はそれを反射的に避けてくれる。
だが、混乱している頭。
呼吸が止まりそうなほど痛い胸。
涙でぼやける視界。
精神的ダメージは、徐々にサラの動きを鈍らせていく。
ついにサラの頬を刃が掠めたとき、キャロルが犬の牙を見せて笑んだ。
「あぁ、気持ちいい……」
「この変態っ…! …サラっ、サラっ!」カレンが声をあげた。「手を出して! 正当防衛よ! 手を出してっ!」
サラが首を横に振る。
「約束…した……!」
「そんなこと言ってる場合じゃ――」
「約束した!」サラが叫んでカレンの声を遮った。「一般人に手をあげないって、レオ兄と約束した!」
サラの肩を刃が掠める。
「約束守れたら、今日プロポーズと一緒にエンゲージリングくれるって言った!」
サラの腕を、腰を刃が掠める。
「だからアタシは絶対に、約束を守る!」
サラの頭の中に響く声。
――愛してなんか、いないのに。
「今さらレオ兄なしの生き方なんて分からないっ!」
――愛してなんか、いないのに。
「たとえレオ兄がアタシのこと愛してなくてもっ…!」
――愛してなんか、いないのに。
「傍にっ…、いてくれるならっ……!」
「ふぅーん?」
キャロルの左手がサラの首にかかった。
後方に倒れていくサラの身体。
地に叩きつけられた衝撃で、サラの髪の毛をまとめていたコームが外れた。
飛び散ったコームの装飾。
ほどけたサラの明るい茶色の髪の毛。
「…うっ…!」
首からキャロルの手を離そうと、サラが両手でキャロルの手を掴む。
だが、キャロルだって超一流ハンターと最強モンスターのハーフ。
見目は弱そうに見えても、舐めてはいけなかった。
全体重を掛けられて押さえつけられては、なかなかその手は外れない。
サラの身体の上に跨っているキャロル。
ぞっとするような不気味な笑顔を浮かべていた。
「いいこと聞いーちゃった。サラさん、あなた今日のデートでエンゲージリングもらう予定だったんです?」
カレンに嫌な予感が走った。
(この子、何をする気なの……!?)
ふふ、と笑ってキャロルが続ける。
「仕込み杖って切れ味最悪で困りますよね、サラさん。でも、あなたの細い指切り落とすくらいは出来ちゃいますよ?」
「――!」
カレンは咄嗟に近くにあった石を取った。
キャロルに向かって投げつける。
それはキャロルの横顔に当たった。
「はっ…、放しなさい! 今すぐサラを放しなさい!」
「……」
キャロルの顔がゆっくりとカレンの方を向いていく。
次から次へとキャロルに石を投げつけるカレン。
「放しなさいっ! 放しなさいっ! サラを放しなさいっ! 放してっ!!」
「うるさいこと…」
キャロルが右手に持っている刀を持ち上げ、刀尖をカレンの方へと向ける。
カレンが笑った。
「そ…、そうよ、それでいいわ。あたくしに向かってその刀を投げなさい」
「あなた…死にますよ……?」
「ふ、ふん…、舐めないでちょうだい。あたくしだってハンター歴もうすぐ1年が経つのよ。あなたごときの刀を避けることくらい、造作もないのですわ」
そんなわけがない。
カレンがキャロルの攻撃を避けられるわけがない。
サラは蒼白して声をあげる。
押さえつけられた首から無理矢理に声を振り絞る。
「…っ…ダメっ…! ダメっ…カレンっ……!!」
「待ってて、サラ。今あたくしが助けるからっ…!」
そういうカレンの膝はがたがたと震えていた。
キャロルに向かって叫ぶ。
「さっさと投げなさいよ、このド変態赤犬っ!!」
ふふ、とキャロルが笑った。
「りょーかーい…」
と、キャロルがカレンに向かって刀を投げる構えになったとき。
(サラっ、今あたくしが……!)
覚悟してぎゅっと目を閉じたカレン。
同時に、
(――カレンっ!!)
キャロルの右手目掛け、首元から左手を伸ばしたサラ。
刀を投げられないよう、キャロルの右手首を掴む。
そのときだった。
「なぁーんちゃって…」
そんな台詞のあとに、ふふ、ともう聞きなれたキャロルの笑い声。
キャロルの視線がサラを捕らえる。
「――サラっ…!?」
はっとして目を開けたカレンの目の前。
キャロルがサラの首から左手を離し、右手首にしがみ付いているサラの左手を握った。
ダンっ!
と手の平が地につく形で、アスファルトに押さえつけられたサラの左手。
キャロルの右手に振り上げられる刀。
「――やっ…やめてっ!!」
顔面蒼白してキャロルに向かって駆け出したカレン。
でも、間に合わない――。
「ふふ」
と、キャロルが犬の牙を剥き出しにして笑った次の瞬間。
「サ――」
キャロルがサラの薬指目掛けて、刀を突き下ろした。
「――えっ……!?」
呆気なく骨ごと断ち切られてしまった、サラの細い指。
己の左手を目を疑って見つめるサラ。
薬指の付け根と薬指の間に刃が突き刺さっている。
あまりに衝撃的な光景のせいか、本来ならば悶え苦しみそうな痛みを感じない。
その代わりサラの身体中を戦慄が襲う。
「ア…アタ…、アタシの…指っ……?」
「…サっ…! サラァっ!!」
カレンが泣き叫び、サラの上からキャロルを突き飛ばした。
地から刀尖が離れると同時に、少し飛んだサラの左手の薬指。
「サラっ…! サラっ! サラっ!!」
サラの上半身を抱き締めて泣きじゃくるカレン。
サラの左手を取り、止血しようと必死に傷口を手で押さえる。
サラの身体が震えている。
「ど…、どうしよう…カレンっ……」
次から次へと溢れ出す涙でぼやけるサラの視界。
それでも見える。
カレンの手に押さえられていても、左手の薬指の根元から流れ出てくる真っ赤な鮮血。
たしかに切り離されている左手の薬指。
今日のために、一生懸命綺麗にしておいた左手の薬指。
「これじゃっ…、これじゃアタシはめられないっ……」
まだサラの頭の中に響いてくる。
――愛してなんか、いないのに。
愛しい男の声。
「はめられないよ、エンゲージリングっ…」
――愛してなんか、いないのに。
「レオ兄からのエンゲージリングがっ…」
――愛してなんか、いないのに。
「そっ、それがなきゃっ……!」
――愛してなんか、いないのに。
――愛してなんか、いないのに。
――愛してなんか、いないのに。
サラの頭の中、愛しい男の声が木霊する。
「レオ兄…お願いっ…!」大量に溢れ出した、サラの涙。「…傍に…いて……! アタシのことっ……」
愛してなくても、いいから……――。
カレンの腕の中、ふっとサラが気を失った。
カレンが狼狽してサラの身体を揺する。
「サラっ…!? サラっ!?」
「ふふ」響いたキャロルの笑い声。「ふふ…! あははははははははは!」
カレンの耳に酷く心地悪い声。
カレンが涙に塗れた顔でキャロルを睨み上げる。
「黙りなさいっ! 黙りなさい赤犬っ!!」
キャロルがサラを見下ろして声を震わせる。
「あぁ…、気持ちいい…! 泣き顔も、血の匂いも、たまらなぁーい……!」
再び響くキャロルの笑い声。
「黙りなさいと言っているのよ!! 耳が腐るわっ!! 黙りなさいっ!!」
「やぁーだ、怖ぁーい……」
と、キャロルがカレンに背を向けて歩いていく。
向かう先は、薬の仕込まれている銃が入ったバッグのところ。
「リンさんランさんは前菜。一番手こずりそうだったサラさんはメインディッシュ…。そして次は、いよいよキャロルの大好きな甘ぁーいデザート……」
カレンは大きく息を吸い込んだ。
(お願い、レオンさんの耳に届いて……!)
そして絶叫する。
「レオンさんっ!! サラがっ…!! レオンさんっ!! レオンさん助けてっ!! レオンさんっ!! レオ――」
カレンの声が途切れた。
「ふふ、呼んじゃダーメ」
「…っ……!」
己の首元へと手を持っていくカレン。
キャロルが放った銃の針が突き刺さっている。
犬の牙を見せて、キャロルが不気味に笑った。
「わたしの甘ぁーいデザート、逃がさなぁーい…」
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