第109話 次女の始末 前編


(久しぶりの葉月町ね…)

 と、キャロルは夕方の葉月町を歩きながら苦笑する。

(ママってばテスト前とテスト期間は絶対に外に出してくれないんだもの。テストで間違ったところは復習させられるし。結局春休みになっちゃったわ…)

 一ヶ月前に来た時のように、キャロルの犬耳は人目を引く。
 相変わらず猫モンスターやそのハーフに威嚇されながら、キャロルはシュウ宅の方へと歩いていく。

 途中、遠く――キラの銅像前にレオンの姿を見かけた。
 スーツに身をまとい、腕時計を見て時刻を気にしている。

「あらあら、素敵な猫さんがいると思ったら…」

 ふふ、と短く笑ったキャロル。
 レオンの目に入らぬよう、さらに遠のいた道を歩いてシュウ宅へと向かっていく。

「これからデートなのね、サラさん。今日はホワイトデーだものね。レオンさんと素敵なデートをする予定なのかしら?」

 キャロルがもう一度短く、ふふ、と短く笑った。

(ざぁーんねん…)
 
 
 
「あれっ? レオ兄、早いね」

 と、仕事帰りに葉月町の中央にあるキラの銅像前にやってきたシュウ。
 携帯電話で時刻を確認して続ける。

「オレも待ち合わせ時間より早く来たのに。しかも……」と、シュウはレオンの全身を見渡した。「ちょっとホワイトデーだからってカッコイイんじゃねーの? オレなんて戦闘服のままだぜ?」

「うん…、今日はとても大切な日だからね」

 と、微笑むレオン。
 シュウは首をかしげた。

「え、何?」

「サラから何も聞いてない?」

「うん。…あ、何かカレンは知ってる風だったけど」

「そう。実はね、シュウ。今日、僕はサラにプロポーズするんだ」

 そんなレオンの言葉を聞いたシュウ。

「……へ? プロ…ポ……?」

 理解するまでに10秒もの時間がかかり。
 その後、仰天して絶叫した。
 
 
 
 葉月町へと続く一本道。
 シュウ宅と葉月町を繋いでいるためにだけあるこの道は、人の気配が少なかった。

 シュウ宅と、葉月町入り口のちょうど中央あたり。

 カレンとサラの顔が引きつっている。

「やっぱり出たわ、サラ」

「やっぱり出たよ、カレン」

 2人の前方、約5メートルのところ。

「ごきげんよう、カレンさん、サラさん」

 キャロルが微笑んで立っている。
 ぺこりと頭を下げてから続ける。

「出た、だなんてわたしをバケモノやオバケみたいに言わないでほしいです」

「あー、ごめんごめん。バケモノやオバケと一緒で見たくない顔なもんだからさ、醜くて」

 と言って、ふんと笑ったサラ。
 キャロルを睨みつける。

「この道の先にあるのはウチだけ。何の用だ、赤犬。その耳も面も犬の匂いも、虫唾が走るんだよ。さっさと失せな」

「それは申し訳ございませんでした。失礼します」

 とキャロルが深々と頭をさげた。

(良かった…、おとなしく引き返すのね)

 と安堵したのはカレンだけ。

 サラの黄金の瞳は逃していない。
 キャロルが手にぶら下げているバッグの中に、右手を入れたのを。

(何か出す…!)

 それはキャロルが不敵な笑顔を浮かべた顔をあげると同時に、サラの視界に飛び込んだ。

(――麻酔銃!)

 咄嗟の判断でカレンを抱き締め、歩道から車道へと飛び出したサラ。
 カレンの身体がアスファルトに打ち付けられないようにと、己の背を犠牲にする。

 サラの細い背がアスファルトの上を滑っていく。
 止まるか止まらないかのうちに、カレンがサラの腕の中から叫んだ。

「サラっ!」

 一方、サラが車道に飛び出すとほぼ同時に銃の引き金を引いていたキャロル。
 放たれた針は、宙を舞ったサラのストールを通過していった。

 それを見てキャロルが、ふふ、と短く笑う。

「すごいです、サラさん。さぁーすが、リュウさまとキラさまの娘といったところでしょうか」

「加えて、アタシはレオ兄の弟子ハンターだからね」

 ふん、と笑い返したサラ。
 カレンを起こさせて立ち上がり、カレンを背に庇ってから続ける。

「舐めんじゃないよ、クソ犬が。アタシの親友には指一本触れさせないよ」

 サラの背にいるカレンが震えた。

 明るい茶色の髪の毛をアップにしてまとめているサラ。
 水色のミディアムドレスから露出している、細い背と肩。
 擦り剥けて血が滲んでいた。

(ああ、大変っ…! シュウ、レオンさんっ…! 助けてっ……!)

 助けを求めようと、携帯電話の入っているバッグを探してきょろきょろと辺りを見渡したカレン。
 バッグはさっき飛んだ際に、遠くまで飛んでいってしまった。
 同様にサラのバッグもカレンの手の届かないところに飛んでしまっている。

(どうしましょう…! 携帯は届かない、他に人も見当たらない…! このままじゃ……!)

 もう一度サラの背を見たカレン。
 ドレスにまで血が染み渡っていた。

(ああ…! サラっ……!)

 サラの背、カレンは覚悟を決める。

「サラ、待ってて…! 今あたくしがバッグの中の――」

「ダメ、カレン」

 小声のカレンの台詞を、サラが小声で遮った。
 キャロルを睨み付けたまま続ける。

「絶対にアタシの背から出ちゃダメだよ、カレン。絶対に。大丈夫、この程度の傷なんて痛くないよ」

「でもっ――」

「ふふ」と、カレンの言葉を遮るかのように響いたキャロルの笑い声。「サラさん、そんなにカレンさんを庇わなくても大丈夫です。今日のわたしの狙いはカレンさんではなく、あなたなのですから」

 サラは眉を寄せた。

「アタシ…だって?」

「ええ、あなたです。サラさん」と、キャロルがサラに向かって銃を構えた。「この銃、どんな銃だとお思いですか?」

「それは麻酔銃だ。モンスター狩の輩が使う、拳銃型の麻酔銃だ」

「正解です。でも、ざぁーんねん。この銃の中に入っているのは麻酔薬ではありません」

 だったら何だと考えたサラ。
 すぐに分かった。

「…なるほどね。あんたが作った薬が含まれてるってか」

「あら、わたしが薬を作っていることをご存知で?」

「あんたが先月葉月町をうろついてたことなんてバレてんだよ。うちのリン・ランをおかしくしたのもあんただね?」

「別に?」ふふ、とキャロルが短く笑う。「わたしはただ、リンさんランさんにシュウさんの本音を聞かせてあげただけですよ?」

「本音…だって?」

「はい。彼女たちには、想い人の心の声が聞こえる薬が入ったキャンディーをプレゼントしたのです」

「じゃあ、何。リン・ランは兄貴の心の声を聞いておかしくなったってわけ」

「はい」

 と、にっこりと笑ったキャロル。
 銃の引き金にかかっている指に力が入る。

「サラさん、あなたにも愛するレオンさんの本音を」

「――サラ避けてっ!」

 と蒼白して叫んだカレン。

(んなこと出来るわけないじゃん、カレン)

 心の中、サラは笑った。
 キャロルが放った銃の針が、かざしたサラの手に突き刺さる。

(アタシが避けたら、あんたに当たっちゃうよ)

 サラの背後から顔を出し、カレンが涙の混じった声で叫ぶ。

「きゃっ、きゃああああっ! サラぁっ!」

「あーあぁ、アタシもまだまだだなあ。親父なら指で摘んで折ってたところなのに、アタシときたらもろに手の平に刺さってんじゃん」

 と笑い、手の平からサラが針を引っこ抜く。
 そして、身体が前へと出掛けていたカレンを背に押しやった。

「出てきちゃダメだって、カレン。アタシは大丈夫だから」とカレンに笑顔を向けたあと、再びキャロルに顔を向けたサラ。「で? 針刺さったけど、まだ何ともないよ?」

 ふふ、とキャロルがまた笑う。

「さぁーすが、サラさん。本当、感嘆の溜め息が出てしまいそうです。薬の即効性をあなたの魔力が遅らせているのですね」

「アタシを舐めるなって言ったでしょ。それより、気になるんだけど」

「はい?」

「あんたは兄貴が好き。リン・ランが邪魔なのは理解ができる。その次にあんたが消すのはカレンだと、アタシは思ってた。それなのに、どうしてアタシを狙う」

「邪魔だからです」そうキャロルが即答した。「わたしが一番始末したいのはもちろん、シュウさんの恋人であるカレンさん。でも、サラさんあなたはそれを阻止しようとするのです」

「あー、なるほど納得。そりゃアタシが邪魔だわな」ふん、とサラが笑う。「同様に、アタシもあんたが邪魔だ。アタシの大切な親友と兄貴の幸せ……、壊そうとしてんじゃないよ!!」

 サラの怒りに満ちた黄金の瞳。

 それを見ながらキャロルがまた、ふふ、と笑う。

「そんなに怒ったところで、あなたは何が出来ます? 一般人であるわたしに、ハンターであるあなたが」

「…っ…!」

 サラは奥歯をぎゅっと噛み締めた。

 約束した。
 レオンと約束した。

 一般人に手をあげないと、サラは約束した。

(その約束を守れたらアタシはレオ兄からもらえるんだ…、エンゲージリングを……!)

 だから奥歯を噛み締めて堪える。
 歯軋りがした。

 必死に押さえつける。
 大切な親友と兄の幸せを壊そうとするキャロルを、今すぐこの場で八つ裂きにしてしまいたい感情を。

(レオ兄っ……!)

 サラの脳裏に浮ぶ愛しい男の顔。

 小さい頃からずっと好きだった。
 いつかこの男と結婚できたらと、ずっと夢見ていた。

 それがもうすぐで叶えられようしている。
 このチャンスを逃すわけにはいかない。

(レオ兄…、アタシ約束守るからね。そしたら…、そしたらプロポーズと一緒にエンゲージリング――)

 心の中、サラは言葉を切った。

「…えっ……?」

 と、きょろきょろと当たりを見回す。
 今、レオンの声が聞こえた気がして。

 キャロルが言う。

「おやまあ、薬が効いてきたようですね」

「何…」

「レオンさんの心の声が、あなただけに聞こえてきますよ。そう、本音が」

「――」

 レオンの声が、サラの頭の中に響いてきた。
 
 
 
 自分の部屋の中、マナは分厚い本と睨めっこしていた。
 その本は、魔法を加えた薬――魔法薬について書かれてるもの。

 これでもう、25冊目だ。

(キャロルさんが葉月町の、魔法薬の材料が売っているお店へと入っていった…)

 マナはざっと目を通しながら、ページを次から次へとめくっていく。
 1ページを見る時間はほんの一瞬であるが、ちゃんと読めている。

(それはつまり、キャロルさんは薬を作るということ…。あたしと同じ、魔法薬を…)

 もうしばらく泣いているリン・ランの声が、マナの頭の中から離れない。

(リン姉ちゃんラン姉ちゃんは、「兄上の嘘吐き」って言っていた…。「兄上は本当はわたしたちのこと大切に思ってなかった」って言っていた…。そして「兄上の心の中の声を聞いた」と言っていた…)

 そんなバカなと、マナは思う。

(兄ちゃんがあたしたち妹を大切に思っていないわけがない…。たとえ兄ちゃんの心の中の声が聞こえたとしても、あたしたちが悲しむようなことを言うわけがない…)

 とあるページでマナの手が止まった。
 そのページに書かれている薬を見て眉を寄せる。

「…『思い浮かべた相手の心の声が聞こえる薬』…? キャロルさん…まさかこれを…?」

 そう口にしてから、マナは首を横に振った。

(そんなわけがない…。兄ちゃんはあたしたちを大切に思ってくれてる…)

 次のページをめくったマナ。
 また手が止まる。

 一瞬息を呑んだ。

「――これだ…! 『思い浮かべた相手の思ってもいない心の声が聞こえる薬』…!」

 マナは部屋を飛び出した。
 隣のリン・ランの部屋へと飛び込む。

「リン姉ちゃん、ラン姉ちゃん…!」

「マナ……?」

 ベッドに突っ伏して泣いていたリン・ランが、顔を上げてマナの顔を見た。
 マナが続ける。

「いい加減に話してくれるよね…?」

「え?」

「ね…!?」

 と、目を見開いたマナ。
 リン・ランの身体の上に隕石を召喚して浮かべる。

「――!? ふっ、ふにゃあああああああ!」リン・ラン、今までとは別の意味で涙目になる。「な、ななななななななにをなのだマナっ!?」

「リン姉ちゃんラン姉ちゃん、誕生日パーティーのときキャロルさんが訪ねて来たんでしょ…?」

 何度も縦に頷くリン・ラン。
 それを確認したあと、続ける。

「そのときキャロルさんに何をもらったの…?」

「キキキキキキキキキ」

「サルのモノマネしてなんて言ってない…!」

 じりじりと隕石が近寄ってきて、リン・ランは慌てて声を上げた。

「キャっ、キャンディィィィィィィィィィィィィィィィっ!!」

「キャンディ…?」

「好きな人の顔を思い浮かべながら食べると、好きな人と結ばれるかもしれない、おまじないキャディもらいましたなのだああああああああああっ!!」

 間違いない。

 と、判断したマナ。

「リン姉ちゃんラン姉ちゃんが飲まされたのは『思い浮かべた相手の思ってもいない心の声が聞こえる薬』…」

「えっ…!?」

「あたしがこれから本当の『思い浮かべた相手の心の声が聞こえる薬』を作る…。15分以内に…。リン姉ちゃんラン姉ちゃん、手伝って…」

「えっ…!?」

「嫌な予感がする…。次に犠牲に合うのはカレンちゃんか…、それともカレンちゃんや兄ちゃんを守ろうとするサラ姉ちゃんか…」

「えっ…!?」

「ねえ早くして…!」

 と、困惑しているリン・ランに、さらに隕石を近づけるマナ。
 リン・ランが顔面蒼白しながら泣き叫ぶ。

「はっ、早くしますなのだああああぁぁああぁぁぁああぁぁああっ!!」

 マナはリン・ランの上から隕石を消すと、自分の部屋へと急いで戻っていった。
 リン・ランも泣きながらマナのあとを着いて行く。

 マナは魔法薬の本を手に取り、『思い浮かべた相手の心の声が聞こえる薬』のページを開いた。
 普段から豊富にそろえている材料のおかげで足りないものはない。

 マナはリン・ランを助手に、すぐさま薬の調合に取り掛かった。

(カレンちゃん、サラ姉ちゃん…! 間に合って…!)
 
 
 
 
次の話へ
前の話へ

目次へ
感想掲示板へ
小説トップへ
HOMEへ
inserted by FC2 system