第3話 保健室の先生
翌日の午後。鬼百合学園高校では入学式だ。4月上旬の現在、ここ宮城県は、夜と朝はまだ結構肌寒い。また、今にも雨が降り出しそうな天気の今日は陽光が当たらなく、昼近くになっても部屋が暖まらなくて、隆志は暖房をつけたリビングダイニングで鬼百合学園高校の制服に着替えていた。キャメルのブレザーに赤いタータンチェックのズボンを穿き、入学式ぐらいはとカッターシャツのボタンをきちんと上まではめて赤いタータンチェックのネクタイを締める。
「うー…、ちょっと恥ずかしいな……」
なんて鏡の前で赤面したのは、高校生の制服を着て照れくさいというよりは、可愛らしい制服が恥ずかしいという理由からだ。女子には制服が可愛いからと理由で人気のある鬼百合学園だが、男子の場合、大半は本命の公立高校に行けなかったから仕方なく……という感じだろうと隆志は思う。
少しして迎えに来た母・隆子と徒歩3分先にある鬼百合学園に向かい、校門を潜ってその無駄なくらい広い敷地内に入ると、2、3年生が親切に体育館まで案内してくれた。アスファルトの上に建つ3つの大きな校舎の前を通り過ぎ、敷地と敷地の狭間にある車道を渡り、隆志が通っていた中学校の3倍はあろうか広い砂のグラウンドの上を歩き、そしてようやく体育館へと辿り着いた。
そして中に入るなり、
「きゃーっ、お久しぶりだわぁーん!」
と隆子がとある人物と手を握り合って小躍りした。そのとある人物というのは、
「本当に久しぶりねーっ! 元気だった? 鈴木さぁーん!」
舞の母・唯(ゆい)である。顔は舞とよく似た美人なのだが、これがまたど偉い怪力の持ち主で。唯の顔を見るなり隆志は蒼白してしまう。昔、自転車のチェーンが外れて困っていたところを唯が助けてくれようとしたのだが、力加減を誤った唯にチェーンをぶっ千切られてしまい。あのとき美女の二の腕からムキムキっと盛り上がった筋肉は一生のトラウマだ。
「あーら、隆志くん大きくなったわねー! お元気だったー? おばちゃんは元気よぉー♪」
と言いながらボディービルのポージングを1つ、2つ、3つと決める唯からビリッと服の破れる音がし、隆志は顔を筋肉を引きつらせながら笑顔を作る。
「は…ははは……、ほ、本当、唯おばさんお元気ですね……あ、相変わらず」
唯の傍らにいた舞が、思わずといったように顔を赤くして眉を吊り上げた。
「や、やめてよ、ママ! 恥ずかしいっ! あっち行って!」
と舞が保護者席へと向かって唯の背を押すと、唯と隆子が腕を組みながらそちらへと向かってスキップして行った。ドジな隆子と怪力な唯コンビは3年前までも色々とやらかして来たが、今年からまた色々とやってくれそうだ。
「きゃんっ! 躓いてパイプ椅子倒しちゃったわぁん☆」
「鈴木さん、大丈夫? 私も手伝うわ、パイプ椅子を直すの――って、あらヤダ。ぶっ壊しちゃったわパイプ椅子」
なんて、早速やっていることだし……。
「………………」
無言のまま苦笑してしまう隆志と舞。背後からポンと肩を叩かれ、はっとして振り返った。するとそこには大輝の顔があって、2人はビクッと肩を震わせる。
「ま、的場先輩……!?」
「よう、待ってたぜおまえら!」
「きょ、今日はハリネズミ頭じゃないんですね」
「おう! どうだー? 今日のおれの髪型♪」
「み、右から強風が吹いてきたときの頭だと思います……」
「おまえらもうちょっと他に例えないのか……」と苦笑したあと、大輝が手に持っている紙に目を落とした。「良かったなー、おまえら同じクラスで」
「え?」と声をそろえ、隆志と舞は顔を見合わせたあとに大輝に確認する。「そうなんですか?」
「おう。どっちも1年A組。隆志は出席番号14番で、舞ちゃんは7番な。入学式はクラスごとに出席番号順で並ぶようになってるから、始まる前に自分の席に着いとけよ?」
「はぁーい」
と返事をした舞が、1年A組の場所を探す。そして体育館の左端の方に見つけると、「きゃっ」と短く声を上げた。
どうしたのかと隆志が舞の顔を見ると、瞳がきらきらと煌いている。
「的場先輩、的場先輩! あの茶髪の人、誰ですかぁ?」
「え? どれ舞ちゃん?」
と舞が指差す方へと顔を向けた大輝が、「ああ」と笑った。
「あのちょっと柄悪いホストみたいな男は、越前虎之助(えちぜんとらのすけ)っていって、保健室の先生」
「保健室の先生?」と、驚いた隆志は声を高くする。「男の保健室の先生なんて、いるんですか?」
「ああ。珍しいだろ? 世の中には少しだけどいるんだよ、男の保健室の先生って。ムカつくことに、女子の半数があいつに心奪われちまうんだよな。でもまあ、あいつっておれの従兄弟なんだけどね」
「従兄弟? 全っ然、似てませんね顔!」
「おう、兄弟じゃなくて従兄弟だからな。まあ、おれはあいつのこと『兄貴』って読んでるけど――って、隆志おまえどういう意味だ? え?」
と顔を引きつらせた大輝に、隆志がつま先をグリグリと踏まれて悲鳴を上げる傍ら。
「そっかぁ、的場先輩の……。きゃあぁあぁぁあぁぁあ! 越前せんせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
舞が保健室の先生――越前虎之助の方へと黄色い声をあげながら駆けて行った。
それを見た大輝が苦笑する。
「あっれ、ごめん隆志…。舞ちゃんもあいつに惚れちまったかな……」
「さあ」
「さあって、おまえいいのかよ? 舞ちゃん彼女なんだろ?」
「ええっ?」と声を上げて、隆志は少し赤面する。「ちっ、違いますよ、幼馴染みなんです舞は!」
「え? あーなんだ、そうなんだ。おまえ舞ちゃんの彼氏じゃなくて、ただの幼馴染みなんだ。舞ちゃん超可愛いもんなー、納得、納得」
「……どういう意味です、的場先輩?」
「さっきの仕返し――って、いでででででででで!?」
と今度は大輝が隆志につま先をグリグリと踏まれる一方。
1年A組の椅子をきちんと並べ直している虎之助のところへとやって来た舞が、背の高いその顔を見上げて頬を染めた。近くで見ると本当に眉目秀麗だ。今日は入学式でスーツを着ていてまるでホストのようだが、普段着ているであろう白衣もとても似合いそうだった。
「なんだ? 新入生か、早く席に着けよー」
「はい、越前先生♪ あ、お名前は的場先輩から聞きました。あの、あたし、1年A組7番の国生舞っていいますぅ♪ よろしくお願いしますぅ♪」
「おう、よろしくな」
とポンと頭を撫でられ、笑顔を向けられ。
「きゃあぁぁぁあっ、越前先生ってば、もうダメですぅぅぅぅぅぅぅぅんっ……♪」
腰砕けになってグニャリと海老反りになった舞の身体を、慌てて駆けて来た隆志が支えた。
「セ、セーフ……! なっ、何してんだよ舞!? 危ないな!」
「だって隆志ぃ、越前先生やばぁぁぁぁぁいっ……♪」
「やばいのはおまえだよ……」
と苦笑したあと、隆志は虎之助の顔を見あげた。精悍な顔付きが物恐ろしい感じがしたが、たしかに同性から見ても、いや、老若男女誰が見ても、眉目秀麗だと思った。
「よろしくお願いします、越前先生。僕は鈴木隆志です。的場先輩の部屋の下に引っ越してきました」
「ああ…、あの部屋に……」
「は、はい」と頷いたあと、隆志は戸惑いながら訊く。「あ、あの、越前先生、僕が引っ越してきた部屋って、実はその『いわく付き』らしいんですけど、ほ、本当なんですか? 的場先輩に訊くのはなんだかちょっとアレっていうか…そのぉ……」
と言葉を濁す隆志の顔を、数秒の間見つめた虎之助が、「いや」と笑った。
「まったく『いわく付き』じゃないから、安心して暮らせ」
という虎之助の言葉を聞き、隆志は少し安堵する。昨日の大輝の言葉は明らかに怪しかったが、きっぱりと言い退けた虎之助のその言葉は少し信用できた。
隆志に身体を支えられていた舞が身体を起こし、「そういえば」と続いて発問する。
「越前先生、的場先輩のご実家って本当にお寺なんですか? 人形供養もやってるとかいう」
「ああ、そうだよ。大輝の父――俺の叔父さんが、寺の住職なんだ。去年までは祖父が住職だったんだけどな」
「へえ」
と返した隆志は、さらにまた安堵した。舞も安堵の笑みを浮かべている。どうやら大輝の昨日の言葉は本当だったらしい。ということは、『ドールハウス』だなんて噂は、本当に噂にしか過ぎないのかもしれない。と言っても、やっぱり大輝のロボット説は信じがたいが……。
「おっと、そろそろ入学式が始まるな。鈴木隆志、国生舞、早く席に着け」
と言って2人を席に着かせると、虎之助は1年A組の生徒たちの椅子から離れていった。そこへ小走りで駆け寄っていった大輝が、虎之助に話しかける。
「なあ、兄貴」
「おー、大輝。新入生の席案内ご苦労。もう帰っていいぞ。おまえ今日これから昼飯も食わずにバイトだろ?」
「うん。そうだけど、もう少し……」
「うちはマンモス校で生徒数がパネェの。新入生と保護者、先生たちだけで体育館は満員御礼。2年のおまえの居場所はなし。邪魔邪魔、帰った帰った」
「話くらい聞けっつの!」
「何だよ」
と虎之助が溜め息を吐くと、大輝が忍び声で「あのさ」と続けた。
「さっきさ、兄貴さ、隆志と舞ちゃんと話してただろ?」
「ああ。おまえが昨日話してた2人って、あの子らか」
「うん。でさ、その舞ちゃんの方なんだけど……、何かどこかで会ったことあると思わね?」
「……おまえ、あの子ナンパしたいなら俺に頼らないで直接――」
「そうじゃねえっつの! どいつもこいつも! おれの好みは年上のお姉さんだ!!」と大輝は声高に突っ込んだあと、また忍び声になって続けた。「おれ、マジであの子――舞ちゃんの顔、見たことある気がするんだよ。兄貴はまったく覚えない?」
ちらりと舞の方に顔を向けた虎之助が、「ああ」と頷く。
「覚えはないな」
「じゃー兄貴の知り合いじゃないんだな。だとしたら、おれどこで見たんだろう?」
「……が」
「蛾? どこ?」
とボケた大輝はシカトし、舞を見つめている虎之助が小さく呟いた。
「…どこか…似ている気がする……」
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