第25話 森崎先輩の少年人形 中編


 宮城県と山形県の県境にある大輝の実家――人形供養寺へとやって来ている隆志たち。大輝の父・五右衛門が帰宅するまでの間、持ち込まれた人形が仕舞われているという人形倉庫へとやって来た。木造の大きなそこの扉には強固な南京錠が掛けられており、それを鍵で外しながら大輝がこう言った。

「ここにいるのはさ、まだ供養の済んでいない人形たちなんだ。人形によっては『遊んでやること』が供養になるから、ちょっと手伝ってくれね? まあ、うちに持ち込まれるのは激しい奴が多いから、ちょっと危ないんだけど」

 それを聞いた隆志が「えっ!?」と顔面蒼白し、舞や人形たちを背に庇う一方、進んで前へと出たツワモノが一人。

「うん、任せて♪」

 圭である。いそいそとバッグの中から人形用の小さな櫛だの、沢山の衣装だの取り出して準備万全。続いて大河も持参した小さな剣を鞘から抜くと、大輝の傍らに並んだ。

「もしかしたら、襲い掛かってくるかもしれませんので」

 と剣を構える大河を見て、苦笑した大輝。

「壊したりしないでくれよ、可哀想だから」

 と大河に言い、「はい」という承諾の返事を確認してから扉の取っ手に手を掛けた。古く重たいその扉が軋むような音を立てて開くと、そこは薄暗い闇になっていた。大輝と大河を先頭に、圭、隆志、舞、アリス・アリサ、愛香の順に中へと入っていく。そして最後の愛香が「よいしょ」と言いながら扉を閉めると同時に、大輝が倉庫の電気のスイッチを入れるや否やのこと。

「皆さん、お下がりを!」

 と、大河が大輝の一歩前へと出た刹那、正面から般若のように顔を歪めた市松人形が飛んで来、隆志と舞が「ヒッ」と声を揃えて飛び跳ねた。
 その一方、構えた剣でその市松人形を受け止めた大河。壊さぬよう剣は振らず、力で押し返して溜め息を吐く。

「やっぱりと言うか……相変わらずですね、ここは。皆さん、改めてお気を――」

 お気を付けを、と言おうとした大河の言葉を遮るように、再び飛んできた市松人形。だがそれは方向を変え、大河ではなく圭の顔面へと直進して行った。そしてその首の根元に両手を掛け、背後の扉に叩き付ける。

「森崎さん!」と絶叫し、こうなったらと壊す覚悟で市松人形目掛けて飛躍した大河であったが。「――って、ちょ、だ、大輝さまっ?」

 大輝に首根っこを掴まれて宙ぶらりん。早く圭を助けねばと手足をばたつかせて狼狽したが、次の大輝の言葉に従った刹那、そんな必要はなかったことを知る。というかむしろ、己は誤ったことをしようとしていたのかと済まない気持ちになってしまう。

「よく見ろ、大河。森崎先輩の顔を」

「…………申し訳ございませんでした。間違ってました、自分。いや本当、マジで」

 その傍らの隆志と舞、驚愕。目を疑わずにはいられない。思わず遠巻きになってしまわずにはいられない。一体何故だろう。一体何故、

(森崎先輩、喜んでんのぉぉぉーーーっ!?)

 圭が市松人形の顔を見下ろし、頬を染めて「ふふっ」と含み笑いをした。

「初めまして、いちま(市松人形)さん。わたし、圭よ。よろしくね」

 なんて、暢気に挨拶をしている場合ではないのに。

「ねえ、皆見てっ…! わたし、お人形さんにこんなにも情熱的にハグされてるぅぅぅぅんっ……!」

 いや、殺人的に首を絞められているのに。どう見ても。

「うんうん、分かってるよ。わたしと遊びたいのね。ああもう、わたし感激ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!」

 と圭にぶっ壊される勢いで抱き締められた市松人形が、一瞬助けを求めて隆志たちへと手を伸ばしたのは気の所為だと思いたい。

(ていうかもうこの人、突っ込み切れない……)

 と隆志たちが呆然と見守る中、圭が床の上に正座し、市松人形を(半ば強引に)膝の上に座らせた。鼻歌を歌いながら櫛を持ち、市松人形の乱れた黒髪を物慣れた手付きで丁寧に梳かしていく。その後、市松人形の古びた着物を脱がし、持参した綺麗な赤い着物に着替えさせ、赤い花の髪飾りを付けてやった。
 すると、どうだろう。般若のようだった市松人形の顔が、見る見るうちに愛らしく微笑していく。

「うわ、スゲェや、森崎先輩」と大輝が声高になって言う。「その市松人形、怨念が凄まじかったのに、綺麗さっぱり消えちまった」

 今度は”抱っこして”と手を伸ばして来た市松人形を優しく抱き締めた圭が、大輝に問う。

「この子の中の魂は、純粋なお人形のもの?」

「うん。兄貴んとこの胡蝶と一緒で、純粋な人形の魂」

「そう」と返事をした後、圭は市松人形の頭を撫でながら続ける。「市松人形って、女の子が生まれるとお守りのような役割として親戚から贈られて来たりするでしょ? もしかしたらこの子もそうだったんじゃないかな。それで、その持ち主の女の子に、魂が生まれるほど大切にされた。愛された。幸せだった。でも、大人になると大抵の人はお人形遊びをしなくなってしまい、それはなくなってしまう」

 そう言うと圭は、優しく微笑して市松人形に問い掛けた。

「だから、ただただ寂しかっただけなんだよね? 悪い子なんかじゃ、ないんだもんね……?」

 そんな圭を見つめながら、舞が呟く。

「凄いなあ…森崎先輩って……」

 隆志が同意して頷くと、適当に近くの人形を取って圭に続いて髪を梳かし始めた。

「あたしも見習わなくっちゃ!」

「じゃあ、僕も」

 と隆志も続き、大輝も続いてから約2時間半。大輝が倉庫の中の人形を回して「よし」と満足そうに笑った。

「『遊んでやること』で供養出来る人形は、もういねえな。皆サンキュ。供養が済んだこの人形たちは、抜魂してお炊き上げしてやれば成仏する」

「抜魂してお炊き上げか。私たちもこの世に思い残すことがなくなった時が供養完了の時で、その後そうして貰うのよね」と愛香が自分の手足を繁々と見つめながら言った。「燃やされると思うと、ちょっと嫌かも。死んだ時、自分の身体が火葬場で燃やされるとこ見るのも嫌だったし」

「いや、おまえらキャストドールは可燃じゃなくて不燃だから、抜魂の後は別の方法で処分することに……」

「別の方法って何よ?」

「…ま、まあ、気にすんなっ……!」

「ハァ!? ちょっと大輝!? まさかそのまま不燃ゴミの袋にぶち込んで捨てるんじゃないでしょうね!?」

「ああ、今日はいい天気だなあ」

「雨降ってんでしょうが!!」

 と喚く愛香の傍ら、圭が小さな声で口を開いた。

「的場君、この子も……?」

 呼ばれた大輝と喚いていた愛香が「え?」と声を揃えて振り返ると、圭はもう一度問うた。

「この子も、抜魂してお炊き上げするの……?」

 この子――圭が最初に遊んでやった、市松人形。一時も己の傍らから離れなかったそれを、圭が愛おしそうに抱き締める。

「そうだよ、森崎先輩。その市松人形は声に出して喋れないけど、森崎先輩に感謝してるよ。供養してくれてありがとうって、言ってるよ」

「……ば、抜魂って、中から魂を抜くことなんだよねっ? 的場君のお父さんにして貰わないでも、壊れちゃったりすると、魂が抜けちゃうんだよねっ? そ、それならその壊れるその日が来るまで――」

「森崎先輩」と、大輝が圭の言葉を遮って、心苦しそうに続けた。「別れたくないっていう、その気持ちは分かるよ。でも、その子の供養は済んだ。それから、持ち主だった女の子のお守りっていう、市松人形としての役割も終えたはず。後は少しでも早く、安らかに眠らせてあげなくちゃ」

「…………」

 圭が困惑した様子で俯いたその時、本堂の方から帰宅したらしい五右衛門の声が聞こえて来た。

「大輝、帰ったぞ。大輝」

 その声に、はっと胸を突かれた圭。声高に「フォル!」と言うと、市松人形を腕に抱いたまま倉庫を飛び出した。その後をアリスを腕に抱いた隆志、アリサを腕に抱いた舞が続き、最後に倉庫に鍵を閉めた大輝が両腕に愛香と大河を抱いて続いた。
 本堂の中央、帰宅した五右衛門が立っている。その右手には、鎖で雁字搦めにされたトランクが持たれていた。それがガタガタと音を立てて揺れている。

「フォル!? フォルなの!?」

 とトランクに手を掛けようと思った圭を、五右衛門が片腕で制止する。

「危険だ、お下がりなさい。これは、たしかにあなたの人形かもしれない。だが、中には邪悪な魂が入り込んでいる」

「そうだとしても、わたしは――」

「森崎先輩、下がって」と圭の言葉を遮った大輝が、圭を後方へと引き摺っていく。「あのトランクの中の人間の魂、やばい。怨念の塊だ。倉庫になんて仕舞っておけるレベルじゃない。今すぐ親父とおれで、読経供養する」

「読経供養?」と、隆志と舞が声高になって問う。「的場先輩も出来るんですかっ?」

 大輝は一言「まあな」と答えると、衣と袈裟に着替えてくるからと本堂を後にした。その後を、愛香に剣を渡した大河も付いて行く。

「お手伝い致します、大輝さま」

 大河も本堂から居なくなると、五右衛門が口を開いた。

「むしろ大輝の供養は、私より優れていてね。今はまだ学生で、修行僧にも満たぬというのに大したものよ。なんて、私は親馬鹿だね」

 と五右衛門が笑う一方、「へえ!」と感嘆した隆志と舞。大輝の意外な一面に興味を持ち、あれやこれやと発問しようとした時、遠くから――本堂に隣接する家屋の玄関から、「もし」と五右衛門を呼ぶ中年女性の声が聞こえて来た。どうやら近所の人が訪ねて来たようだと、大輝・大河に続いて五右衛門も本堂から出て行くと、隆志と舞、アリス、アリサ、愛香が顔を見合わせて一斉に口を開いた。それはもう大輝の話題で、先ほどの五右衛門の言葉は「冗談だったのではないか」だの「そんな馬鹿な」だの「有り得ない」だの「ていうか肉食ってるんだから生臭坊主じゃん」だの言いたい放題である。
 その一方で一人口を閉ざしていた圭が、相変わらずガタガタと揺れているトランクに歩み寄って行った。隆志たちに気付かれぬよう、忍び声で話し掛ける。

「フォル、聞こえる? フォル? 大丈夫だよ……今、わたしが出してあげるからね」

 と、トランクを雁字搦めにしている鎖に手を掛け解いたその時、圭に話を振った隆志が「あれ?」とその姿を探して本堂の中を見回した。そしてそれがトランクを開けようとしていると分かるなり、血相を変えて駆け寄る。

「――だっ、駄目ですよ、森崎先輩!」

 それに、はっと胸を突かれた舞とアリス・アリサ、愛香も隆志に続いた。人間2人と人形3体で圭を押さえ付ける。

「離してっ! 離してよ、皆っ! フォルをっ……わたしの大切なフォルを出してあげるの! 離してっ……離してぇっ!」

 と圭が涙声になって叫喚していると、ふとトランクの中から声が聞こえて来た。

「うっせーなあ、フォル、フォルって。誰だそりゃ」

 十代後半くらいの、少年の声だった。
 息を呑んだ隆志たちが顔を見合わせる中、圭が声高に問う。

「フォルっ? フォルなのっ?」

「だから、誰だそりゃって言ってんだよ」

「じゃ、じゃあ……あなたは誰なのっ……?」

「オレか? オレはな……」

 大きく揺れ出したトランク。鎖が外されたそれは、蓋を壊さんばかりに大きな音を立てて開いた。

「国分生誠(ときわきよし)だ、覚えとけ」

 と、トランクの中から姿を現した少年人形は、アリスやアリサ、愛香、大河と同様にレジンキャスト製の球体関節人形だった。髪の毛もガラスの瞳も身に纏っている服も黒く、その顔立ちは少年というよりはアリス・アリサと同じくらいの愛らしい少女を思わせたが、その眼光は人を射るようであった。そしてその眼光からは、霊感の無い隆志たちでさえ感じた。この少年人形の中の魂は、怨恨に満ちていると。
 背筋に寒気を感じた隆志が、舞やアリス、アリサを背に庇って後ずさる一方、圭が何ら恐れた様子なく欣然として「フォル!」と呼んでその少年人形を抱き締めようと手を伸ばす。それを圭の前に立って制止した愛香が、己と同じか若干小さなその少年人形を――フォルを見つめて問う。

「トキワキヨシ? あんた、トキワキヨシって言ったわよね? それって、今年の冬に起きたあの事件の……?」

「ほう? オレのこと知ってんのか」

「あんたやっぱり、あの……」と、愛香が悲しそうに声を落とす。「成仏出来ていなかったのね……可哀想な子」

 可哀想。そんな言葉の次の刹那、フォルの中の生誠から怒気を帯びた声が響いて来た。

「――っせぇ! このババァが!!」

 と振り上げた拳にはメリケンサックが装備されており、隆志が咄嗟に愛香を守ろうと手を伸ばす。

「愛香さん、危ないっ!」

 だが、メリケンサックよりも、隆志の手よりも先に、愛香が手に持っていた剣の柄の先でフォルの首元を突いた。

「――っんですって、クソガキャァッ!!」

 そして「うっ」と声を上げて吹っ飛んだフォルが、縦にも横にも40cmを優に超える大きさの木魚に背をぶつけて止まったのを見、隆志の顔が顔面蒼白する。

(僕、もしかして庇おうとした相手を間違った……!?)

 と、あまりのことに本気で考えてしまう。

「だぁぁぁぁぁれが、ババァですってぇぇぇぇぇぇぇぇーーーっ……!? もぉぉぉ、怒った……! このガキ、私の手で始末してやるわっ!!」

「だ、駄目!」と、圭が狼狽して愛香を抱き竦めた。「お願い止めて、愛香さん! わたしのフォルを壊さないで! ババァだなんて、本気で言った訳じゃないよ!」

「別にババァ言われたからって始末してやるって言ってんじゃないわよ! いや、ババァ言われたからなんだけど!」

 隆志が苦笑しながら「どっちだ……」と忍び声で突っ込む一方、愛香が圭の腕の中で暴れながら続ける。

「圭、こいつの目を見てみなさい! あんたのフォルは、もっと優しい目をしていたじゃない! それなのに、こんなに歪んで……! こいつは――国分生誠の魂は、人間に対する怨恨の塊よ! ここにいる私たちのこと、一人残らず殺す気よ! 殺らなきゃ、殺られるのよ!」

「そ、そんなこと――」

 そんなことないと言おうとした圭の言葉を遮るように、起き上がったフォルの中から生誠の笑声が聞こえて来た。

「そうだぜ。そのババァの言う通りだ。てめぇら全員、逝かせてやんよ」

「――って、まぁぁぁたババァ言ったわねこのクソガキマジ殺ス!!」

 と完全に堪忍袋の緒が切れてしまった愛香を、圭の腕の中から引っ張り出した隆志。それを舞にしっかりと抱かせ、さらに圭の手をがっちりと握らせ、本堂の戸口を指した。

「ここは危険だから、愛香さんと森崎先輩を連れて早く外に出るんだ、舞。アリス・アリサも。そして的場先輩たちを呼んで来て。その間、フォル君のことは僕が何とかするから」

「いいえ、わたしはご主人さまと共に残ります」

 と返したアリスが隆志の傍らから動かない一方、「分かった」と頷いた舞がアリサの力も借り、精一杯の力を出して圭を戸口の方へと引き摺っていく。
 それを見、ふっと短く笑った生誠。

「逃がさねえっつの!」

 そう言うや否や、すぐ足元にあった木魚を持ち上げて舞たちの方へとぶん投げた。息を呑んだ隆志とアリスが止める間もない速さで飛んで行ったそれは、フォルの方へ、フォルの方へと戻ろうとする圭に向かっていた。木魚の大きさから察するに、その重さは20kgを超える。当たってしまったら、大怪我は免れない。

「――森崎先輩っ!!」

 隆志が蒼白して絶叫した次の刹那、圭の顔面から胸元に掛けて直撃した木魚。それが落ちて床にヒビを与えると同時に、後方へと飛んで舞の傍らに倒れた圭。

(ああ……わたし、死ぬんだ)

 真っ白になった頭の中、そんなことだけは確信した。
 だが、すぐにおかしなことに気付く。顔面を潰されたはずなのに、泣き叫ぶ舞の姿がはっきりと見える。その声も煩い程にちゃんと聞こえる。何より、何一つ痛みを感じない――

「おいおい、どうなってんだこりゃ。何でその女じゃなくて、こっちの人形が……」

 生誠の声が聞こえて、圭はそちらへと顔を向ける。そして、その生誠の視線を追うと――

「――…い…いちま…さん……?」

 圭が供養したあの市松人形が、惨烈な姿になって倒れていた。
 
 
 
 
 一方、その頃の虎之助は。

「ああ…今日は胡蝶とあちこち車でドライブデートするはずで家を出たっつーのに……」

 隆志たちのことが気になり、結局大輝の寺の駐車場へとやって来ていた。
 
 
 
 
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