第22話 手作りドレスバトル 後編


 大河の言葉に意表を突かれ、「へっ?」と裏声をはもらせた舞と大輝が、憤激して食って掛かる。

「ちょっと、大河さん!? 引き分けって、何で!? あたしの手作りドレスがどう見ても一番じゃない!」

「おい、大河! おまえが優しいのは知ってるけど、引き分けはねえよ、引き分けは! まあ、おれのドレスはちょっとアレだけど!? それでも愛香が一番美しく輝いてるじゃねえかよ!」

 最後に、悄然とした様子で床に腰を下ろし、長嘆息した隆志も続いた。

「気を遣わないでいいですよ、大河さん。分かってますから……僕が最下位だなんてことは」

「何を仰るのです、隆志さん」

 と、大河の中から可笑しそうな笑い声が聞こえた刹那、隆志の首に抱き付いたアリス。悄々とした主のその横顔に、キスをした。何をされたのか分からず、隆志が「え?」と小首を傾げたのはほんの一瞬のことで、アリスの顔に目を落とした途端に頬を染める。

「…ア…アリスっ……?」

「ありがとうございます、ご主人さま!」

「えっ?」

「嬉しいです…とてもとてもっ……! こんなに素敵なドレスなんて、他にございませんっ……!」

 そう言葉通りに欣喜とした声を出すアリスを、耳を疑った隆志が呆然として見つめていた時のこと。
 再び口を開いた大河が、こう言った。

「優れたドレスとは、何でしょうか。デザインが華やかなもの? 縫い目が美しいもの? 高価な生地を使ったもの……? 自分は、『受け取った者を喜ばせることの出来るもの』だと思います」

 隆志と舞、大輝が「え?」と小首を傾げた。主の手作りドレスを身に纏った3体のドールを見回し、大河は続ける。

「アリスを見ても、アリサを見ても、お嬢さまを見ても……自分には、同じくらい、とてもとても……この上なく嬉しそうに見えます。幸せそうに見えます。だからこの勝負、自分は『引き分け』だと思いました」

 そんな大河の言葉に、隆志と舞、大輝は、戸惑いながら主の手作りドレスを身に纏った3体のドールを見つめた。たしかに、大河の言う通りだった。アリスを見ても、アリサを見ても、愛香を見ても、この上なく嬉しそうだった。まるで、優勝したみたいに欣々然として、幸せそうだった。

「どんなにデザインが華やかで、縫い目が美しく、高価な生地を使ったドレスでも、他の者が作ったのでは到底敵いません。ドールにとって最も優れ、そして嬉しいドレスというのは、主の心の篭った手作りドレスなのですから……」

 隆志と舞、大輝は顔を見合わせた。己たちのしていた争いが、酷く馬鹿げ、恥ずかしい程にくだらないことに思えて苦笑する。そして「ごめん」と、声を揃えた。

「舞、的場先輩。僕、ムキになっちゃって……ごめん」

「ううん、隆志と的場先輩を煽ったのはあたしだし……ごめんなさい」

「いや、おれが1番馬鹿だったよ。おれ、おまえらよりオーナー歴長いのに、そんなことも分からないで……。ごめん……隆志、舞ちゃん」

 と三人仲直りした後、隆志はアリスを抱き上げた。微笑し、アリスが望んでいるだろう言葉を、優しい声で言ってやる。

「喜んでくれてありがとう、アリス。似合うよ、とても……」そして、「可愛くて綺麗だね…………やっぱり1番ダントツで」

 と付け加えたことにより、再び親馬鹿争いが勃発した。

「は!? 1番はあたしのアリサだしぃー!!」

「いや、おれの愛香と大河だっつの!!」

「まだ言ってんの、2人とも!? アリスが1番って認めなよ、素直じゃないな!」

 結論。ドールオーナーの親馬鹿は、死ぬまで(死んでも)治らない。
 
 
 
 
 一方、その頃。ドールハウス・Aの201号室――虎之助宅の、リビングダイニングでは。

「ふっふっふ……」

 と、ミシンで作業しつつ、双眼鏡で真向かいのアパートの部屋――大輝宅のリビングダイニングの様子を見ていた虎之助から、不気味とも言える笑い声が響いていた。

「ああ、あいつらの勝負に混ざらなくて良かったぜ。俺が混ざってたら、大輝や隆志はともかく、舞が可哀想だったぜ。何てったって、優勝はこの俺だからな!」

 と高笑いを上げた後、虎之助は双眼鏡を置いてミシンでの作業を再開する。隆志たち同様、作っているのは己のドール――胡蝶への手作りドレスである。隆志たちが手作りドレスバトルをすると聞いた時に、こっそり参戦していた。まあ、結局今日の隆志たちのバトルへの飛び入りはしないでおいたが、すっかり優勝した気分で有頂天だった。学生である隆志たちが全て手縫いで仕上げなければ無かったのに対して、社会人のこちらはミシンを購入。しかも、生地や用途に合わせて二台購入。当然縫い目は美しく、まるでプロのような仕上がりだ。また、隆志たちが余り高価な生地を購入出来なかったのに対して、こちらは――虎之助の好みで白いものだらけだが――良質な生地ばかり。隆志が苦戦したデザインだって、胡蝶の好みを知り尽くしている虎之助には易々(いい)たるもの。2日程でノート一冊分書き上げた。
 その中から胡蝶が選んだものを作り始めて、あっという間に9作目。今回はスカートの裾にフリル、肩口に繊細なレース、胸元に大きめのリボンを飾った、ドロワーズ付きのワンピース型ナイティーだ。

「よーし、出来たぞ胡蝶。ほら♪」

 と、虎之助が出来上がったそれを広げてみせると、黒いソファーの上に座って布製の人形――カントリードールを縫っていた胡蝶が顔を上げた。針とカントリードールを置き、ソファーから飛び降りて虎之助の足元へと歩いて来る。
 そして胡蝶に、新しく出来上がったそれを着替えさせてやった虎之助。

「おおーっ、可愛いぜ胡蝶! やっぱりおまえが1番だ! はい、ターン♪ ホォーーーウ♪」

 欣々然としてデジカメを手にし、胡蝶の一挙一動も逃さんと言わんばかりにシャッター切り捲くり。その何が何でも生徒に見せられない程の馬鹿丸出しっぷりと来たら、従兄弟の大輝に勝るとも劣らない。

「似合う……?」

「おお、勿論だぜ胡蝶! 似合う似合う! ほら、おまえのドールたちにも訊いて見ろ」

 と虎之助が指差したのは、壁際に並んだ沢山の黒いローチェストの上に所狭しと並べられた、多彩なドレスを見に纏ったカントリードールたちだった。胡蝶が作ったそれらは全て、その摩訶不思議な力で魂を込めたもの――生きている。胡蝶が振り返るや否や、その布で出来た1cmばかりの小さな手でぽんぽんと拍手をしてみせた。

「すてきです、ごしゅじんさま」

「おにあいです、ごしゅじんさま」

 と、カントリードールたちの中からいくつも聞こえて来る、甲高く幼い声。これが偉く賑やかで、虎之助は思わず苦笑しながら耳を塞ぐ。

「沢山褒められて良かったな、胡蝶。でもちょっと、作り過ぎじゃねーか? 今また、新入りが出来ようとしてるし……」

「必要なの……」

「んじゃせめて、魂を込めないで作るとか」

「それじゃ、意味がない……」

「ふーん?」

 と溜め息を吐いた虎之助に、胡蝶が再び振り返った。ミシン台の前、椅子に座っている虎之助の顔を仰視しながら、”抱っこして”と両腕を伸ばす。そして虎之助が膝の上に抱っこしてやると、胡蝶が欣然とした様子でこう言った。

「明日…これを着て学校へ行く……」

「そうか、気に入ったか。良かった。でもそれ、寝巻きだぞ。人形とはいえ、それで外に出るのはちょっと変だろ」

「じゃあ…この間作って貰ったワンピース……」

「駄目だ、あれも」

「じゃあ…その前の着物ドレス……」

「駄目」

「じゃあ…その前の前の――」

「胡蝶」

 と言葉を遮った虎之助の顔を見つめた刹那、欣然としていた胡蝶の様子が悄然と変わった。虎之助の次の言葉を、察した故に。

「おまえは学校へ連れて行かない。家に居ろ」

「…もうずっと……連れて行ってもらってないわ……」

 そう、もうずっと――胡蝶が隆志を亡き者にしようとした日以来、胡蝶は家で留守番させられていた。学校へ一緒に連れて行ってと、どんなにお願いしても、虎之助は首を縦には振ってはくれない。

「おまえを連れて行ったら、隆志が怯えない訳がない。おまえに、あんなことされたんだから」

「…もうしない……」

「おまえがそう言った所で、そう簡単に隆志の恐怖は拭えねーよ」

「…でも――」

 とその時、胡蝶の言葉を遮るように、虎之助の携帯電話が鳴った。誰からかと見てみると、それは大輝からだった。

「ん? 大輝?」

 と、虎之助が窓の外――ドールハウス・Bの大輝宅のリビングダイニングに顔を向けると、そこの窓際には大輝ではなく、大輝の携帯電話を持った大河が立っていた。そしてその後方では、目を離している間に一体何が起こったのか、隆志が顔色なしになって呆然と立ち尽くし、舞がパニックに陥った様子で慟哭し、大輝が床の上に愕然と四肢を付けている。

「も、もしもし? 急にどうしたんだ、おまえら。さっきまで、手作りドレスバトルでじゃれ合ってなかったか?」

 と虎之助が仰天しながら電話に出ると、済まなそうな大河の声が返って来た。

「ええ、はい、その……困ったことがありまして、虎之助さんにお願いしたいことが……」

「何だ、言ってみろ」

 と虎之助が返すと、大河が「はい」と返事をしてから続けた。

「あの、手作りドレスバトルが無事終わった後にですね、ふと来月の『中間テスト』の話題を出しましたら、このような状況になってしまい……」

 中間テストと聞き、虎之助は壁のカレンダーに顔を向けた。現在は5月の半ば。来月の半ばの中間テストまでは、あと約一ヶ月程だった。

「何だ、テストがやばいのか。たしかにうちの学校は年に4回しかテストが無くて、出題範囲は拾い訳だが……一ヶ月も時間あるんだから何とかなるだろ」

「ええ、はい。充分な時間なのですが……ちゃんと授業を受けていたら」

 虎之助が眉を顰めて問う。

「大輝も舞も隆志も、授業さぼってたのか?」

「いえ、さぼっていたというか……大輝さまも隆志さんも舞さんも、毎晩毎晩夜遅くまでドレス作りに励んでいたので、授業中は爆睡していた模様にございます」

「何?」

「よってこの約二十日間、なーんにも授業を聞いていなかった訳にございまして……このままですと、お三方の中間テストは全て赤点……なんてことに……」

「ていう訳で」と、愛香の声へと切り替わった。「虎之助、あんたに任せるわ」

「いや、おい、待て……」と、呆れ返った虎之助から、長嘆息が漏れる。「任せるって……3人とも全部じゃねーだろうな?」

「ええ、違うわ。大輝のことは、いつも通り大河が何とかするから。だから、隆志と舞ちゃんをお願いしたいんだけど」

「隆志と舞……か」

 と、呟いた虎之助。膝の上の胡蝶を一瞥した後に続けた。

「大河に、もう1人――隆志のことも頼めねえかな」

「まあ、隆志だけなら何とかなると思うわ。全教科やばい舞ちゃんに比べて、隆志は数学だけ教えて貰えば後は自分で何とか出来るみたいだから」

「そうか。じゃあ、隆志は大河に頼む」

 そう言った後、愛香から舞へと電話を代わって貰った虎之助。胡蝶を下ろして椅子から立ち上がり、窓辺へと歩いて行きながら、大輝の部屋で慟哭している舞に微笑を向ける。

「いよう、舞。大丈夫だ、泣くな。おまえが赤点なんて取らねーように、放課後この俺が責任持って教えてやるから。な?」

 そう舞に語り掛ける虎之助の声は、とても優しく響いた。虎之助の背を憂愁な紅い瞳で見つめる、胡蝶の耳に……。
 
 
 
 
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