第21話 手作りドレスバトル 中編


 春麗らか新緑の季節――5月の上旬。とある土曜日の、ドールハウス・B101号室――隆志宅の中。玄関から真っ直ぐに続く廊下に、ブロンドのウェーブヘアと白いドレスを身に纏った人形――アリスが立っていた。その小さな愛らしい手でノックするは、主の――隆志の寝室のドア。

「あの、ご主人さま? そろそろ、拝見させて頂けませんか? ご主人さまの手作りドレスを……」

「駄目駄目。出来上がるまでのお楽しみ」

 と寝室の中から返って来た返答に、アリスは長嘆息した。腰を下ろして膝を抱え、背を寝室のドアに預けて、話を続ける。

「では、いつ出来上がるのですか? もう5月になってしまいましたよ、ご主人さま?」

「う゛……いや、その、僕は的場先輩に合わせてあげてるんだよっ? 的場先輩、苦戦して時間掛かってるみたいだからっ?」

 何て言い訳をした隆志だが、アリスのドレスを作り始めてからこの約二十日間、大輝に劣らず――いや、大輝以上に苦戦していることなどアリスにばれているだろう。再び廊下から、アリスの長嘆息が聞こえた。

「ご主人さま……しつこいようですが、それがどんな仕上がりのものでも、わたしはとても嬉しいのですよ? ご主人さまの手作りなのですから」

「気を遣わなくていいよ、アリス。大丈夫! 絶対に、舞よりも的場先輩よりも、凄いドレスを作ってみせるから!」

 と、この約二十日間、そんなやる気だけは萎えることはなかった。だって、やっぱり己には己の人形――アリスが飛び抜けて可愛くて、どう頑張ってもそうとしか思えなくて、どうしても他の誰の人形よりも素晴らしい――相応しいドレスを贈ってやりたいのだ。そして、アリスの欣喜する様をこの目で見たいのだ。この世で最も幸せな人形だと、思わせてあげたいのだ。

「ご主人さま……」

 と、またアリスが長嘆息した、その頃――。

 ちょうど真上の廊下――201号室の大輝宅の廊下には、怒気を帯びた愛香の声が響いていた。その小さな美しい手でノックするは、こちらも主の――大輝の寝室のドア。

「ちょっと、大輝。あんた、たった一着のドレスを作るのに、一体何日掛かってんの」

「ご、ごめん。もうちょっと待ってくれ、もうちょっとっ……」

 と寝室から返って来た大輝の言葉に、愛香は長嘆息した。そして、堪忍袋の緒が切れたように声高になる。

「あんた、その台詞何十回目!? いい加減にしなさいよ!」

「ご、ごめん。今度は本当に後ちょっとだからっ……」

「ていうか、あんたどんだけ指に針刺せば気が済む訳!? あんたの指が血だらけになる代わりに、私の指が穴だらけじゃない!」

「ご、ごめん。これ作り終わったら、予備のハンドパーツに変えてやるからっ……」

 愛香の怒号が続く前に、大輝の傍らで助手やらアドバイスやらをしている大河が、「まあまあ」と口を挟んだ。

「落ち着いて下さい、お嬢さま。大輝さまは、お嬢さまに素敵なドレスをと、頑張っていらっしゃるのですよ? それに、今回は本当に後少しで仕上がります」

 そんな大河の台詞を聞き、落ち着いた声で「そう」と返した愛香。退屈そうに背を寝室のドアに預けて小さく溜め息を吐き、十数秒の間を置いてから続けた。

「…別に私、大層なものは期待してないわ。そりゃ、私はゴージャスな綺麗なドレスが好きだけど……いい」

 寝室の中、ベッドの上で懸命に針を動かしていた大輝の手が止まった。ドアに顔を向け、その外にいる愛香に向けて微笑する。

「そんな気を遣うなよ、愛香。まあ、今回はこれがおれの限界で、本当に大層なものじゃねーけど……近いうちに、おまえが満足するようなドレスを作っ――」

「してるわ」と、愛香が大輝の言葉を遮った。「もうしてるわ、満足。どんなに下手でも、あんたが私の為に作ったんだもの……」

「おお、愛香……!」

 と、大輝の目頭が熱くなった、その時のこと。
 突如外から響いて来た、隆志の叫喚。

「うっ、うわあぁああぁぁあ! 待って、舞! 待ってぇぇぇぇぇぇ! そ、それは練習用に作ったものでぇぇええぇぇぇえーーーっ!」

 続いて、階段を駆け上がってくる靴音と、舞の呆れ声。

「何だかんだで、これが一番ちゃんと作れてるってば。頑張り過ぎて可笑しなことになってるドレスより、ずっと」

「で、でも、そんなシンプルなものじゃ――」

「んもーっ、うるさい! 時間切れ! 諦めて!」

「そ、そんなあぁぁぁぁぁーーーっ!」

 と隆志が悲嘆に泣き声を上げるのを聞きながら、大輝は狼狽して再び針を動かした。

「やべっ、おれも時間切れかっ……! 大河、舞ちゃんと隆志に茶でも出して時間を稼いでくれ! 10分……いや、5分でいい!」

「畏まりました」

 と大河が承諾して寝室から出たや否や、開け放たれた玄関のドア。姿を見せたのは案の定、ボストンバッグを肩から掛けている舞と、その中から半身を出しているアリサ。そして、色を失った隆志と、その背後から首にぶら下がっているアリスだった。
 舞が破顔一笑して言う。

「はぁーい、時間切れですよ的場せんぱーい♪ 決戦は今日でーす♪」

「いらっしゃいませ、舞さん、隆志さん。それからアリス、アリサ。バトルの前にお茶をお出し致しますので、こちらへどうぞ」

 と、大河により、隆志と舞、アリス・アリサがリビングダイニングへと案内されてから約5分。急いで愛香への手作りドレスを仕上げた大輝が顔を出すと、それは始まった。既に勝ち誇ったような笑みで優雅に茶を啜る舞と、緊張した様子の大輝、そして生気を失い、まるで死人のような隆志の顔を見回し、急遽審判を務めることにした大河が、こほんと咳払いをしてから「では」と口を開く。

「ご主人さまたちの妙な…熱い……手作りドレスバトル? 開幕です!」

 アリスとアリサ、愛香が欣々然として拍手をすると、大河は主たち3人の顔を見回しながら続けた。

「えーと……では、お三方同時に手作りドレスをご披露といきましょうか。せーの、でいきますよ? いいですね? では、はい……せーのっ!」

 と、大河の声に合わせ、手作りドレスを出したのは舞と大輝だけで、隆志は背に隠し持ったまま出さず。舞のものと己のものを比べ、「げっ」と悪い意味で衝撃を受けた大輝が、狼狽して隆志を催促する。

「お、おい、隆志! 早く出せよ、おまえの手作りドレス!」

「嫌です」

「ふざけんな、出せよ! おれより劣ったおまえの手作りドレスと並べなきゃ、恥ずかしいだろ!?」

「出しません」

「ハァー!? おまえ、男なら潔く諦めて出せ!」

「何を言われようと僕は絶対に――」

 背に隠し持っていたそれ――手作りドレスを、ふと誰かに引き抜かれ、隆志ははっと胸を突かれて言葉を切った。振り返るとそこには、それを広げて高く掲げる舞の姿。

「はーい、これが隆志の手作りドレスねー」

「ちょ、ちょっと舞! 止めてよ!」

 と狼狽して取り返そうとした隆志の手をひょいとかわし、舞はそれをアリスに手渡す。

「はい、アリス。的場先輩の寝室にでも行って、着替えておいで。アリサと愛香さんも」

 承諾したアリスとアリサ、愛香が小走りでリビングダイニングを後にした。その背を――アリスの背を見送りながら、隆志はふと忍びない思いに襲われる。

(僕のドレスが、一番駄目だった……)

 舞のものは、フリルやレースがふんだんに使われたゴージャスなドレス。たしかに初めての手作りドレスなだけあって、縫い目は美しいと言えるものではなかったけれど。それでも、今の隆志には作ることは勿論、そのデザインすら思い付かない。居た堪れないくらい、完敗だった。
 大輝のものは、愛香の美しい身体のラインに沿うような、ロングドレスだった。縫い目は舞より雑で、隆志と良い勝負だ。でも胸元に、とても綺麗な薔薇のコサージュが付けられていた。あんなもの、隆志にはまだ作れない。作り方すら知らない。認めたくないが、負けだった。
 そして隆志が作ったものは、本来は練習用に作ったものだった。舞はこれが一番ちゃんと作れていると言っていたが、それは本当にシンプルな膝丈のキャミソールワンピースだ。安い白い生地に、黒いケミカルレースを肩紐と、胸元、スカートの裾に縫い付けて飾っただけのもの。一番、駄目だった。一番、己の可愛い人形に似合うドレスを作れなかった。

(一番、僕の人形が――アリスが、不憫だ……!)

 ふと椅子から立ち上がった隆志に、舞と大輝が小首を傾げて声をはもらせる。

「隆志、どうかした?」

「止めてくる」

「え?」

「アリスのこと、止めてくる。あんなドレス着たら、可哀想だ! 惨めだよ!」

 と大輝の寝室の方へと駆けて行こうとする隆志を、舞と大輝が慌てて止めていた時のこと。
 リビングダイニングのドアが静かに音を立て、少しだけ開いた。そこから覗く縦に並んだ3つの顔は、上から愛香、アリス、アリサ。それぞれの中から、照れ臭そうな含み笑いが聞こえた。

「おや、レディーたちのお色直しが終わったようですね。どうぞ、お入りになって下さい」

 と大河が言うと、真っ先にアリサが飛び出して舞の首に抱き付いた。

「舞ちゃん、ありがとう! とっても素敵なドレスね! わたし嬉しいっ! 大好きよ、舞ちゃん!」

 なんて望み通りのことをアリサに言われた舞が、堪らず高笑いを上げる傍ら、次にリビングダイニングに入り、大輝の前へとやって来た愛香。

「どう?」

 と、アリサのように露骨に態度には表さないものの、欣然とした様子でくるりと一回転して見せた。「おお」と大輝が声高になる。

「似合うっ……似合うよ、愛香! やっぱりドレスっていうのは、モデルに掛かってるんだな。流石おれの愛香! 美しいぜぇぇぇぇぇっ!」

 と愛香を抱き上げ、欣喜と(馬鹿丸出しで)踊り狂う大輝の一方……。
 最後にリビングダイニングに入って来たアリスから、隆志は顔を背けていた。

「ご主人さま、わたしを見て下さいな」

 そう言われても、顔を向けることが出来ない。惨めで、不憫で、この世で最も不幸せな人形に思えて、見るに忍びない。胸が張り裂けそうだった。

「…もう脱いでいいよ、アリス。脱ぐんだ、早く……早く!」

「ご主人さま?」

 とアリスが小首を傾げるや否や、大河が口を開いた。

「では、審判の自分が勝敗を発表すると致しましょう。うーむ…これは……」

 と、アリスとアリサ、愛香を繁々と見回す大河。少しして、こう続けた。

「引き分けですね」
 
 
 
 
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