第2話 上の住人


 引っ越し屋が帰ると、時刻は午前11時だった。舞が持ってきてくれた材料で少し早い昼食を作り始めたその姿を見、テーブルの前で待っている隆志は賛嘆の声を漏らす。

「す、凄い…! 舞、3年前は料理なんて出来なかったのに……!」

 あはは、と舞が笑った。

「料理っていう料理じゃないよ。チャーハンだし」

「それでも凄いよ」

 と隆志が再び褒めると、振り返って得意そうに「まぁね」と笑った舞。その笑顔は、やっぱり愛らしいと隆志は思う。そしてやっぱり、

「誰かさんと一緒にしないでってゆーかぁ♪」

 小生意気でさりげなく毒舌なところは相変わらずだ。隆志が苦笑してから他愛もない会話をし、5分。舞が出来上がったチャーハンを2つの皿に盛って、テーブルまで持ってきた。

「はい、召し上がれ♪」

「おお、凄い。本当にちゃんと出来てる。いただきます」

 とチャーハンを一口食べ、そして隆志が絶賛すると、満足そうに笑ってから舞もチャーハンを食べ始めた。その時になって、気になっていたことを問う。

「それで、隆志? さっき何て言おうとしたの? ここの部屋が、何なの?」

「ああ、そうそう。そのことなんだけど」

 と、麦茶で口の中のチャーハンを胃に流し込んだ隆志。ちらりと天井を見上げてから続けた。

「母さんが言ってたんだけど、ここの部屋って『いわく付き』らしいんだよ」

「いわく付き……?」と鸚鵡返しにして一瞬きょとんとした舞の顔は、みるみるうちに恐慌の色に染まっていった。「ちょっ…!? や、やだ、嘘でしょ…!? それって、どんな……!?」

「ここのアパートって、近所の人から『ドールハウス』って呼ばれてるらしいんだけど」

「ド、ドールハウス? あ、ああ、人形の家だね。あたしも小さい頃持ってた」

「うん。この部屋の上の住人がさ、人形持ってるらしいんだけど。それが動くとか何とかで、この部屋に人間でも動物でもない軽い足音が聞こえてくるとか……」

 それを聞き、「ええっ?」と声を上げた舞。怯えるのかと思いきや、「まっさかぁー」と失笑した。

「そんなの間違いに決まってるよ。人形が動くわけないじゃん」

「ま、まあ、普通に考えたらそうなんだけど……」

「ねえ、チャーハン食べ終わったら上の人に挨拶に行ってみよ?」

「ええっ!?」

 と声を上げた際に、舞の顔に米粒を飛ばした隆志。舞の引きつった顔を見て「ごめん」と謝ったあと、続けた。

「そ、そりゃ、母さんから挨拶用の手土産渡されたから、いつかは行かないといけないけどっ……!」

「なんだ、準備万端じゃん。はい、じゃー、決ーまりぃ♪」

 ということで早めの昼食を終わらせたあと、隆志は舞によって2階へと引き摺られて行った。手土産を持って自分の部屋――101号室から出、すぐ脇にあるアパートの階段を上り、201号室の前で立ち止まる。表札には『的場(まとば)』と書かれていた。

「ね、ねえ、舞? きょ、今日じゃなきゃダメっ?」

「ちょっと遅いか早いかの違いなんだから、さっさと済ませちゃおうよ。そんな噂、嘘に決まってるもん」

 と舞が躊躇なくインターホンを押し、「げっ」と顔を引きつらせた隆志。今すぐこの場から逃走したかったが、ピンポンダッシュだなんて子供の悪戯を高校生にもなってするわけにもいかず。額に冷や汗を滲ませながら、中からの返事を待った。
 が、20秒待ってもインターホンから声が聞こえてこず。

「……なかなか出てこないね、隆志。カメラでこっちの様子見てるのかな。怪しい者じゃありませんって伝えるために、にこにこ笑ってみる?」

「い、いや、それ逆に気持ち悪がられるかも。ていうか、単純に留守なんじゃ? だって普通の社会人だったら、昼間働いてるわけだし」

「うーん、そうなのかも」

 と言いながら、舞が今度は3回連続でインターホンを押した。それでもインターホンから声から聞こえてこず、隆志がもう帰ろうと言おうとした時のこと。

「ああもう、しつこいわね!」

 20代かそこらの女の怒声が響いてきて、隆志と舞は思わずビクッと肩を震わせた。聞こえてきたのはインターホンからではない。201号室のドアのすぐ向こうからだ。

「こっちは留守なんだから、さっさと帰ったらどうなの!?」

「え……?」

 と、隆志と舞は戸惑いながら顔を見合わせた。留守なんだからって留守にしていない。
 続いて、今度は同じく20代かそこらの、男の声も聞こえてくる。

「ま、またお嬢様はっ…! 大輝(だいき)さまに、必ず居留守を使うよう言われているではございませんかっ……!」

「だってうるさいんだもん」

「ここは自分が何とか致しますので、お嬢様はお下がりくださいっ……!」

「っそ。んじゃー頼んだからね、大河(たいが)」

 という女性の声のあとに、不審に思った隆志と舞はそっとドアに耳を寄せた。その瞬間に聞こえてきた、コツ、コツ、コツと小さな靴の音らしきものに「ヒッ」と声を上げて飛び退る。だって今の靴の音らしきものは、どう考えても人間の靴の音ではないのだ。もっとずっと軽い、まるで人形が歩いたような足音――。

「た、隆志……!」

 と震え声を出した舞が隆志の腕に抱きつくと、うんと頷いた隆志。この場から逃走しようとしたが、ドアの向こうから男の声が再び聞こえて来、一歩進んだだけで足を止めた。

「も、申し訳ございません、お客様。主はただいま留守にしておりまして…。もうそろそろ帰宅すると思いますが……」

「い、い、い、いえ」と隆志は舞を背に庇うようにして後退りながら、やっとの思いで返事をする。「さ、さっき、ここの下の部屋に、ひ、引っ越してきたので、あ、挨拶にきただけですからっ……!」

「そうでございましたか。では、主に伝えておきます」

「は、は、は、はい、よろしくっ……!」

 と隆志は言うなり、手土産も渡さぬまま舞を連れてアパートの階段を駆け下りていった。2人101号室に飛び込み、ドアに鍵を閉め、チェーンを掛け、向き合ってお互いの真っ青になった顔を見つめながら声を震わせる。

「た、たたた、隆志、こ、こここ、ここのアパート、ほ、ほほほ、本当に、本当に『ドールハウス』っ……!?」

「そ、そそそ、そうみたいっ…! と、とりあえず、さ、さっきの話聞いてると、ダイキさんて人が人形の持ち主っぽいな……!」

「そ、そそそ、それで、お嬢様って呼ばれたのと、タイガって呼ばれてたのが人形だよね、きっと……!」

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 駄目だ、やっぱり僕はこんなアパートに暮らせないぃぃぃぃぃぃっ!」

 そう隆志が確信したとき、鳴り響いたインターホンの音。隆志は「わっ」と、舞は「きゃっ」と短く声を上げると、驚きのあまり思わず抱き合って飛び跳ねた。

「だ、誰…!? も、もしかして上の人……!?」

 そう怯える舞を背に庇い、隆志は恐る恐るドアスコープから外の人物を覗く。そして「あれ?」と首を傾げた。

「ど、どうしたの?」

 と忍び声で訊いてきた舞の方に振り返り、隆志は眉を寄せながら答える。

「どういうわけか、学校の先輩っぽい人が立ってるんだけど」

「学校の先輩?」

「うん。鬼百合学園の制服着てる」

「どれ」

 と続いて舞もドアスコープから外の人物を覗く。するとたしかに、鬼百合学園の制服――キャメルのブレザーを着た、ハリネズミのような頭をした少年がそこに立っていた。襟元のボタンを外したカッターシャツの上に、青いタータンチェックのネクタイをゆるく締めている。

「2年生だね」

「何で分かるの?」

「何でって、隆志。鬼百合学園ってブレザーと黒のソックスは全学年共通だけど、男子のネクタイとズボン、女子のリボンとスカートは学年ごとに色が違うんだよ? あたしたち1年生は赤のタータンチェック、2年生は青のタータンチェック、3年生は緑のタータンチェックなの」

 そうなんだと隆志が首を縦に2回振ったとき、もう一度インターホンが鳴った。それに小さく肩を震わせた舞が、困惑しながら訊く。

「……どうする? 隆志。で、出てみる?」

「う、うん。学校の先輩なんだからいずれは顔合わすことになるし、出てみよう」

 と、ドアのチェーンと鍵を外した隆志。

「もしかしてその先輩、上に住んでる人だったりして……」

 なんて舞が言うものだから、恐る恐る少しだけドアを開けた。すると目に入った、身長170cmの己よりも5cmほど目線が高いハリネズミ頭の先輩。隆志の顔を見るなり「あれ?」とさも意外そうな顔をして訊いてきた。

「ここ、そこそこ高いアパートなのに……学生? 一人暮らし?」

「は…はい……、先輩」

「先輩?」とハリネズミ頭の先輩は鸚鵡返しに訊いたあと、「おお」と声を高くして笑った。「おまえ、鬼百合学園の新入生か! そーかそーか、よろしくな!」

「は、はい、よろしくお願いします」

 と言った隆志の傍らに出てきた舞が、さっきまで怯えていたにも関わらず破顔一笑して続く。

「よろしくお願いしまぁす、先輩♪」

「うっわ、可愛い! 君も鬼百合学園の新入生?」

「はい♪ 国生舞ですぅ♪ 国生って字はたぶん一般的なやつで、舞は踊るって意味の『舞う』って字ですぅ」

 と可愛らしい口調になる舞に、隆志は苦笑してしまう。普段は小生意気な舞であるが、学校の先輩や先生等の前では、愛されキャラに変貌するのである。しかし、いくら学校の先輩や先生でも、

「あれ? おれたちどこかで会ったことない?」

 なんて言ってくるような、軽いナンパヤロウには別で。

「ごめんなさぁい、先輩。記憶にありません。あたしイケメンしか覚えられなくってぇ♪」

 と得意のさりげない毒舌で、ズバッと切り捨てる。衝撃を受けた様子のハリネズミ頭の先輩の顔を見、隆志は苦笑しながらフォローする。

「で、でも先輩、僕も普通ですから」

「悪かったな、普通で……」

「い、いえ、先輩はオシャレだと思います! そ、そのハリネズミを真似た頭とか!」

「ハ、ハリネ……?」

「ウニでしたか? えっ? あ、栗っ? …ド…ドリアンとかっ……!?」

「……。…そろそろ殴るぞ、おまえ」

「す、すみません! ……っていうか、先輩もいきなりナンパなんてしないで下さいよ」

「いや、そういうつもりじゃなかったんだけど……」と苦笑したあと先輩は、「それで」と話を戻した。「おまえ、名前は? おれは的場大輝。的場は一般的なやつで、大輝は『大きい』に『輝く』って字な。おれも一人暮らししてる」

「あ、僕は鈴木隆志です。字は表札にフルネームで書いてるので見てください」と名乗ったあとに、ハッとした隆志。「――って、もしかしてここの上の的場さん……!?」

 舞を背に庇い、顔面蒼白しながら一歩下がった。そうだと頷いたハリネズミ頭の先輩――的場大輝が、隆志と舞の様子を見て顔を強張らせる。

「始業式が終わって帰って来たら、ちょうどおまえらがここの部屋に入って行ったのが見えて挨拶に来てみたんだけど……。まさかおまえら、先におれの部屋を訪ねたとか言うのか……!?」

 戦慄を走らせながらうんうんと頷いた隆志と舞を見、大輝が狼狽した様子で辺りに人がいないか近辺を見回した。そして忍び声で続ける。

「お、おれの部屋で、何か見たか……!?」

 隆志が首を横に振って答える。

「い、いえ、ドアは開けてもらえませんでしたからっ……!」

「ド、ドアの向こうから、声とか聞こえてきたりしたのか……!?」

「は、はい、大人の女性と男性の声がっ……!」

 それを聞き、ぎくりとした大輝の顔が強張った。再び近辺を見回し、さらに小さく忍び声になって続ける。

「いいか、隆志と舞ちゃん」

「い、いきなり名前で呼びますか」

「だって鈴木なんて苗字いっぱいあるからややこしいし、年下の女の子は名前を『ちゃん』付けで呼ぶ主義なんだ、おれは」

「は、はあ……」

「いいか、二人とも。おまえらがおれの部屋から聞いた声は、その……」

「な、なんです? あの声って、人ぎょ――」

「ロボットだ!」と隆志の言葉を大声で遮った大輝が、狼狽した様子で力説する。「そう、ロボットだ、ロボットなんだよマジで! お、おれ昔っからラジコンとか好きでさ、それがエスカレートして会話出来るロボット作っちゃったーみたいな!?」

「…す…凄い技術をお持ちで……」

「そう、凄い! おれは凄い! 世界を目指せる! だからおまえらが聞いた声は、ロボットだ、ロボット! 超ロボット! マジロボット!」

「…そ、そのうちの1つは、タ、タイガさんという名前の?」

「え!?」と声を裏返してから、大輝が続ける。「あ……ああーっ、そうそう! そうなんだ、おれ名前つけてたんだ、ロボットに! 男と女の2体あるんだけど、男の方が大きな河って書いて『大河』で、女の方が愛の香りって書いて『愛香(あいか)』! よ、よろしく!」

「あと」と、舞。「小さな靴の音みたいなのも聞こえましたけど? 小さなハイヒールみたいな。ロボットっていうよりは、まるで人ぎょ――」

「ああーっ、それはな!」と、大輝が今度は舞の言葉を遮った。「あ、あ、あ、あれだ! まだ上手く立てないもんだからさ、杖をついてるんだ、大河と愛香! そう、杖の音だよ杖の音!」

「…………」

 色々と無理がある大輝の言葉に、ますます不審に思った隆志と舞がさらに一歩後ずさる。それを見、ますます狼狽した様子の大輝が、「それに」と続けた。

「おれの実家は寺なんだ! 人形供養もやってる寺! おまえらのその様子見ると変な噂聞いたみたいだけど、寺の息子であるおれが中身入りの人形と暮らすわけないだろ!? 燃やして供養するならともかく! だから変な噂なんて信じないように! いいな!?」

 とビシッと隆志と舞の顔を指差したあと、隆志の部屋のドアを閉めて去っていった大輝。アパートの階段を逃げるように駆け上がっていった。
 そして上から小さくドアを閉める振動が響いてきたあと、隆志と舞は顔を見合わせた。

「…ね、ねえ、隆志。的場先輩って、人形供養もやってるお寺の息子さんだって……」

「う、うん。それが本当だとしたら、噂より的場先輩の方を信じた方がいいのかな……」

「そ、そうだね……」

 でも、と隆志と舞は天井を見上げながら声を揃える。的場大輝はどうも、

「怪しい…………」
 
 
 
 
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