第11話 胡蝶 中編


「舞ちゃん、それマジ…!? 君、マジで胡蝶さんの従姉妹なのかっ……!? ねえっ!?」

 と半ば乱暴に舞の肩を揺する大輝の手を、隆志が引っ掴んだ。

「ちょっと止めてください、的場先輩」

「ああ、ごめんっ……!」と大輝は舞から手を離すと、冷静になってもう一度舞に問うた。「舞ちゃん、君、胡蝶さんの従姉妹なの?」

「はい。胡蝶お姉ちゃんは、あたしの従姉妹です。家が隣で幼馴染みの隆志も見たことがないくらい顔合わす機会がなかったけど、虫一匹殺せないような、とても優しいお姉ちゃんでした。最後に会ったのは、胡蝶お姉ちゃんが亡くなる2ヶ月前――2年前のお正月だったなぁ。その時胡蝶お姉ちゃんは22歳で、4月から中学校の保健室の先生になるという知らせを聞いて、らしいなって思いました」

 そう答えた舞の顔を見つめながら、「そっか」と返した大輝が目を細めて続ける。

「ねえ、舞ちゃん。これから兄貴に会ってやって」

「越前先生に?」

「うん。そして、そのことを兄貴に伝えてやって」

「はい、いいですけど……?」

 と小首を傾げた舞と顔を見合わせた後、隆志が眉を顰めながら問うた。

「その前にちゃんと話してくれませんか、的場先輩? 状況が分かりません」

 うんと頷いた大輝が答えた次の言葉に、隆志と舞は耳を疑うことになる。

「胡蝶さんはな、兄貴の恋人だったんだ」

 虎之助が胡蝶と出会ったのは保健室の先生――養護教諭になるために入学した大学で、胡蝶は虎之助の2つ下の後輩だったという。中学生の頃からずいぶんと女遊びをしていた虎之助だったが、胡蝶と馴れ初めてからはそれがピタリと止み、結婚をも考えていたほど胡蝶に惚れ込んでいたらしい。あの頃の虎之助はとても幸せそうで、傍から見ているだけで幸せを分けてもらえたと大輝は語る。

「でも、2年前に胡蝶さんが事故で亡くなっちゃった時、兄貴酷く悲しんじゃって、見てられなかったから……おれ、兄貴に人形をプレゼントしたんだ」

 リサイクルショップで偶然見つけた、とてもとても胡蝶の顔形に似た人形――ビスクドールを。茶色だった髪の毛は、緑の黒髪――胡蝶の遺髪に張り替え、胡蝶がそうだったように目の上で前髪を切り揃え、胡蝶がよく着ていた白いワンピースを着せて。

「『大丈夫だよ、兄貴。ほら、胡蝶さんはここにいるよ』って……。ビスクドールのグラスアイは変えられないから、赤いままだったけど。でも、本当に胡蝶さんの顔に似たビスクドールだったから、兄貴凄く喜んでさ……」

 虎之助は当然のように人形に『胡蝶』と名付け、盲愛した。それから間もなくしてのこと。胡蝶――人形の中に、魂が生まれたという。
 舞が「えっ」と声を上げて口を挟んだ。

「的場先輩、その魂ってもしかして、亡くなった胡蝶お姉ちゃんのですかっ?」

 大輝が首を横に振り、足元にいるアリスやアリサ、愛香、大河に目を落とした。

「胡蝶の中身は、こいつらとは違うんだ」

「違うって?」

「こいつらはさ、死んだ人間の魂がスポッと入っちゃっただけだけど」

「いや、『だけ』と言えるほど軽いことじゃ……」

 と隆志が苦笑する傍ら、大輝が窓ガラス越しに向かいのアパート――ドールハウス・Aの、虎之助の部屋に顔を向けて、「でも」と続けた。

「胡蝶は、兄貴に愛されるが故に生まれた魂。見た目も人形、中身も人形。兄貴は自分が愛した胡蝶さんだって思ってるけど……本当は違う。胡蝶さんの魂は、もうこの世にはないんだ」

「――え?」

 大輝の視線を追い、虎之助の部屋に顔を向けた隆志と舞。いつの間にか、さっきまで閉じていた暗幕が開いており、窓が見えた。突然そこを緑の黒髪を持つ人形――胡蝶が、まるで幽霊のようにすーっと横切り、同時に絶叫した。
 別の意味で。

「きゃあぁあああっ! 凄い、お人形の胡蝶お姉ちゃんは空も飛べるんだあぁああぁぁあっ!!」

「ぎゃあぁあああっ! でっ、出たぁああぁぁああぁぁああーーーっ!! ――って、ちょ、舞、えぇーっ!?」

 何を感心しているんだこの女はと驚愕する隆志の傍らで、大輝が笑った。

「胡蝶は中身が人間の魂の人形より、色んなことが出来るからな。いちいち驚いてたらキリがねーよ」

「そっかぁ! 凄いなぁ、お人形の胡蝶お姉ちゃん!」と瞳を煌かせた舞が、一人玄関へと駆けて行く。「ちょっと越前先生のとこに行って来る!」

「あっ、待って舞ちゃん!」

 と大輝が呼び止めると、舞が振り返って微笑んだ。

「大丈夫ですよ、的場先輩。あたし、ちゃんとお人形の胡蝶さんのこと、『胡蝶お姉ちゃん』って呼びますから。越前先生の前で、ちゃんと演じますから」

 それを聞いた大輝が、安堵の表情を見せる。

「そか……、ありがとう舞ちゃん」

 舞は「いえ」と笑顔を返すと、大輝の部屋を後にした。足取り軽くアパートの階段を駆け下りていく音を聞きながら、大輝が携帯電話を取り出した。窓ガラス越しに虎之助の部屋を見つめながら、虎之助に電話を掛ける。3コール程して呼び出し音が切れると、大輝の方から口を開いた。

「なあ、兄貴。おれが初めて舞ちゃんを見た時、どこかで会ったような気がした理由が分かった。それから、新入生の入学式の時、兄貴が舞ちゃんを見て『どこか似ている気がする』って思った理由も分かった」

「おう?」

 と返しながら、虎之助が窓辺に姿を現した。大輝の隣に隆志がいるのを見て笑み、「いよう」と片手を上げる。隆志も笑顔で「こんにちは」と片手を上げながら返す傍ら、大輝が話を続けた。

「おれさ、舞ちゃんのこと、胡蝶さんの葬式で見たんだ」

「は?」と、虎之助は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして問う。「胡蝶の、葬式だって?」

「うん。あの時、兄貴は棺に突っ伏してたから舞ちゃんのこと見てなかったんだよ。兄貴が舞ちゃんのこと『どこか似ている気がする』って――舞ちゃんが胡蝶さんに似ている気がするって思うのは、無理もない」

「大輝、国生舞って一体――」

「舞ちゃんは、胡蝶さんの従姉妹なんだ」

「――え……?」

 と、虎之助が耳を疑うと同時に、大輝の耳に小さく聞こえて来たインターホン。大輝はふと微笑むと、

「それじゃ、少しの間3人で昔話に花を咲かせてくれよ」

 と言って、電話を切った。3人――舞と虎之助、胡蝶の邪魔にならぬようにとカーテンを閉める。その途端、薄暗くなった部屋の中で隆志が口を切った。

「良いんですか、的場先輩。本当のこと、越前先生に言わなくて」

「ああ、良いんだ。人形の胡蝶の中身が、兄貴の愛した胡蝶さんじゃないことは言わなくて」

 という大輝の答えに、隆志は眉を顰めた。

「どうしてです? 僕だったら、嘘を吐かれていたと知ったら怒るし、物凄くショックだ」

「それは嘘がばれたらの話だろ? おれはこのことは一生兄貴には話さず、墓まで持っていく」

「嘘はばれなきゃ良い……ですか」

「ああ。まぁ、悪い結果しか招かない嘘はおれも嫌いだけどさ。この場合、嘘も方便ってやつだ」

「そうでしょうか」

「そうだよ」と答えた後、大輝は隆志から問われる前に「だって」と続けた。「人形の胡蝶をプレゼントしてから、兄貴はまた前みたいに笑ってくれるんだ。幸せそうなんだ。胡蝶だってそう。兄貴に応えるべく、兄貴の愛した胡蝶さんを演じ、兄貴に愛されて、凄く幸せそうだ。だからおれは、この嘘を死ぬまで貫く。隆志、もちろんおまえもそうしてくれるよな?」

 と問われて閉口した隆志の目前、ふと大輝の眼差しが冷然と変わる。

「じゃないとおまえ、胡蝶に殺してもらうよ……?」

「――は…い…っ……?」

 隆志の背筋が凍り付いたとほぼ同時に、アリスが隆志の足元へと歩いて来た。隆志を背に庇うように両腕を広げ、大輝の顔を見上げる。

「そんなこと、このわたしがさせませんよ?」

「……」

 互いに目を据えるアリスと大輝。
 水を打ったような静寂。
 張り詰めた空気。
 息が詰まりそうなこの空間に耐えられなかった大河が、

「あのっ……」

 と口を開きかけた時、大輝が哄笑した。アリスの頭をくしゃくしゃと撫で回す。

「そんなに怖いオーラ醸し出すなよ、アーリスっ! 冗談に決まってんだろーっ? 本気にしちゃって、かぁーわいいやつぅーーーっ♪」

「…かっ…からかわないでくださいっ……!」

 とアリスが隆志の背後へと回り、恥ずかしそうにその片脚に抱きついて顔を埋める一方、隆志が額に滲んだ汗を袖で拭いながら苦笑した。

「本当、からかわないでくださいよ、的場先輩……」

「おまえまで本気にすんなよ、たーかしっ♪ おれ、このドールハウスの噂のせいで友達スゲェ少なかったんだけど、やーっと仲良く出来そうな奴――おまえに出会って、喜んでるんだぜっ?」

「そうですか。まあ、そうでなくとも友達少なそうですもんねえ。今日はともかく、普段は変な頭してるし」

「そうそう、そうなんだよな、おれってー♪ ――って、うるせーよ!」

「まあ、僕も高校生になってからの友達はまだ一人もいませんけどね」

「じゃー、言うなっつの!」

 と大輝の手刀を食らいつつ、笑った隆志。話を戻して承諾した。

「分かりました、的場先輩。僕もこの嘘――人形の胡蝶さんの中身が、越前先生の愛した胡蝶さんではないということは、墓まで持って行きます。僕も、越前先生のことは好きですからね」

「おう、そうか隆志! ありがとな!」

 とさも嬉しそうに破顔一笑した大輝に、「いえ」と返した隆志。恥ずかしそうに脚に抱きついて来ているアリスの頭をよしよしと撫でていると、大輝が「でも」と続けた。

「隆志、おまえ……胡蝶を敵に回すようなことはするなよ?」

「え?」

 と小首を傾げながら大輝に顔を向けた隆志の瞳に、大輝の真顔が映る。

「さっきも言った通り、胡蝶は中身までもが人形。中身が人間の人形よりも、色んなことが出来ちまう。それは霊感のあるおれでさえ計り知れない程の、摩訶不思議で強い力を持っているんだ。だから、胡蝶を敵に回すようなことはするな。絶対にだ。いいか、隆志、覚えておけ……」

 声を呑み、頷いた隆志に向かって、大輝は真顔のまま続けた。

「胡蝶は人間ごとき、赤子の手をひねるように殺せちまうぞ……」
 
 
 
 
 翌週の月曜日の昼時。鬼百合学園の3つある校舎の内、真ん中の校舎――2年生の校舎の1階の廊下に、隆志の叫喚が響く。

「いぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 僕は保健室になんか行きたくないんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 そんな隆志の言葉を全く聞いた様子なく、2人の人物――舞と大輝が、隆志を保健室の方へと向かって引き摺っていく。

「それでですね、的場先輩。越前先生のお部屋のリビングダイニングに、たぁーくさん布製のお人形が並んでたんですけど!」

「ああ、それは胡蝶が作ったカントリードールだよ、舞ちゃん。胡蝶がね、一体一体手縫いで魂を込めながら作るんだ」

「魂をっ? わぁ、お人形の胡蝶お姉ちゃんって本当に凄いんだなぁ」

「兄貴に頼めば一体くらいくれるかもな♪」

「マジですかっ! じゃー越前先生に頼んで――」

「貰うんじゃない、そんなもの!」

 と、突っ込んだのは隆志だった。舞と大輝が振り返ると、顔面蒼白している隆志が「ていうか」と続けた。

「2人とも、さっきから僕の話聞いてる!? 保健室になんか行きたくないって言ってるのに!」

 呆れたように長嘆息した舞と大輝が声を揃える。

「何で」

「何でって、今日は保健室に、越前先生の人形――胡蝶さんがいるんでしょ!?」

「だから行くんだってば」

「何しに!?」

「挨拶」

「僕はそんなことしなくていい! 教室に帰る! かぁぁぁぁえぇぇぇぇるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーっっっ!」

 と叫喚する隆志に、舞と大輝が再び長嘆息した時、近くのスピーカーからアナウンスが聞こえて来た。

『越前先生、越前先生、至急職員室までお願いします。越前先生、越前先生、至急職員室までお願いします』

 その途端、

「ほぉーら! 越前先生保健室からいなくなっちゃったし、教室に戻ろう! ね!? 戻ろう、戻ろう! まだ昼ご飯食べてないことだし!」

 と2人を説得して踵を返そうと思った隆志だったが、やっぱり保健室の方へと向かって引き摺られて行って再び叫喚する。

「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁぁぁぁ! 怖いっ、怖いよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーっ!」

「うるせーなあ、もう。隆志おまえ、何でそんなに胡蝶が怖いわけ?」

「――って、あんた何言ってんですか的場先輩!? あたっ、あたたたたたたたた」

「おまえは北○の拳のケン○ロウか」

「あたたたたたたたりまえ、当たり前じゃないですか的場先輩! 一昨日、あんな話を聞いたばかりなんですよ僕は!?」

「あんな話? ああ……、大丈夫だって」と振り返り、「胡蝶を敵に回さなければ♪」

 と、破顔一笑した大輝をぶっ飛ばしたいと隆志が思った時のこと。
 保健室から飛び出してきた1年の男子生徒が舞にぶつかり、舞が「きゃっ」と声を上げてよろけた。それを隆志が慌てて支える一方、大輝が走り去っていく男子生徒に向かって怒号する。

「おい、おまえ! 謝れ! おい!」

 だが男子生徒は止まることなく、そのまま逃げるように走り去って行く。

「大丈夫です、的場先輩」と舞は笑うと、男子生徒の後姿を見つめながら続けた。「今の、クラスメートの葉山君だったなぁ。あんなに急いでどうしたんだろう? バッグ持ってたし、具合悪くて早退するのかなぁ」

「具合悪い奴があんなに元気に走れるかよ。どーせサボりだろ、サボり」

 と吐き捨てるように言った後、大輝が保健室の開けっ放しになっている引き戸から中に一歩足を踏み入れ、隆志は狼狽して「あっ!」と声を上げた。

「ま、ままま、待ってください的場先輩!」

「ここまで来たんだ、もう諦めろ隆志」

「ほ、ほら、保健室って女子で混み合ってるじゃないですかっ? 胡蝶さんもタダの人形の振りしてるでしょうし、それに話しかけるのはどうかとっ……!」

「あー、隆志。この間おれ、保健室の『見張り』の話しただろ? その『見張り』って胡蝶のことだから」

「え!?」

「胡蝶が――『見張り』が保健室にいる日は、本当の怪我人と病人しか来ねえんだよ。女子が兄貴に何かしようとすると、変なことが起こるから」

「変なことって!?」

「窓ガラスが割れたり、ベッドの足が折れたり、兄貴に何かした女子の頭上に花瓶が落ちてきたり」

「ヒッ、ヒィィィィィィィ!」

 と顔面蒼白して戦慄する隆志を、舞と大輝は容赦なく保健室の中に引き摺り込んで行く。隆志にとって不都合なことに、保健室には本当の怪我人や病人すらおらず、先日来た時は全て使用中だった8つベッドのカーテンは、全て開いていた。ベッドゾーンの奥――窓の前にある虎之助のデスクまでやって来た時、大輝が「あれ?」と小首を傾げながら保健室の中を見回した。

「胡蝶がいない。どこ行ったんだろう」

 舞がデスクやベッドの下を覗き込みながら続く。

「いませんね、胡蝶お姉ちゃん。越前先生、職員室に持って行っちゃったのかなぁ?」

「いや、それはないよ。おーい、胡蝶どこだー? おれ――大輝と舞ちゃんだから、動いても大丈夫だぞー、出て来ーい」

 と舞に続いて大輝も保健室の中を探し回る一方、隆志はいなくて良かったと安堵の溜め息を吐く。それから数分しても胡蝶は見つからず、舞が、

「胡蝶お姉ちゃん、帰っちゃったのかなぁ……」

 と残念そうに呟いた時、床に四つん這いになっていた大輝がはっと胸を突かれた様子で立ち上がった。隆志と舞の方に振り返ったその顔は、血相が変わっていた。

「隆志、舞ちゃん。さっきの奴――舞ちゃんにぶつかったクラスメートのなんとかって奴、バッグ持ってたよな?」

 隆志は舞と顔を見合わせた後、「はい」と頷いた。

「葉山君は、手にバッグ持ってました。黒で、大きめの。……でも、それがどうかしましたか、的場先輩?」

「それ、もしかしたら――」

 とそこへ、大輝の言葉を遮るように、窓の外から絹を裂くような悲鳴が響いてきた。
 
 
 
 
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